オレンジのはんぶん-3


 春になるたびに思い出す感触がある。

 まだ生地が固くて肌に擦れるとくすぐったさをもたらす、懐かしの中学校の制服。

この前に五〇周年を迎えた私の通う中学校は、男女の制服、ジャージ共に新しいデザインに切り替えた。

 私の三歳上の姉曰く新しいデザインのテーマは『爽やかさと交通安全』とのことで聞いた時は開いた時は口が塞がらなかった。

 ちなみに『爽やかさ』は黒いブレザー(肩パットが男女とも立派)と黒と白と青のチェックの女子のスカート、男子は同じようなチェックのスラックス。高校生みたいな格好。


 でもって、『交通安全』の要素としてはスカートとスラックスが夜道で車のライトに反射して光る、という間抜けな仕様。

 車のライトだけでなく、カメラのシャッターでも反応していたのは、五月に貰ったクラス写真を見て大笑いしたのを三年も経った今でも、よく覚えている。

 あの制服の質感も、色もまだ鮮明に思い出せる。そして、同じぐらいに鮮明なのが中学一年の時にクラスメイトになった彼____大野オオノの後ろ姿。そして桜色。

忘れられずに頭ん中で燻っている。燻っているぐらいなら、消えてしまえばいいのに。

なんて。消えてしまったらずっと、悲しみにくれるだろうに、思ってしまうのだ。


入学式の翌日。私たち1年1組は淡々と自己紹介をし、やる気のない体育担当の男性教諭、確かフルカワは、私らに明日の予定や持ち物をいい、低い声でぶっきらぼうに「荷物をまとめて教室から早く退室するように」と言った。

 その時に私の周りに友だち、と呼べふような女子がいたのかはわからない。でも、オオノを見つけたというのはやはり、誘ってくれる親しい友だちはいなかったのだろう。

 だから、その日。彼の視線の先にそれを見た。

 廊下側に座っていた彼が日差しが漏れる窓際に寄るのを、窓際で帰り支度を済ませた私は見つけた……いや、見つけてしまった。

 そして私はなんでだかそこから動けなくなってしまった。今から考えてもほんとうに意味がわからない。

 彼はクラスメイトに声をかけるわけでも、先生に頼まれて括られていないクリーム色のカーテンを閉める為でもなく、窓際の棚に手をおいて取り憑かれたかのごとく、窓の外を見つめていた。私も彼の視線を追うように窓の外を見れば、桜色の塊からゆらゆら吹かれて花びらが舞って、ああ、桜吹雪っていうのはこれなんだ。とそんときに目を奪われて、初めて理解した。

 違う、と次の瞬間にさっきまでの感動を否定した。なぜかって?光ったのだ、桜色の花びらが積み重なって、太陽の光を含んで、反射した。雷雨のようだった。

 私もゆらりと、彼のいる方へ寄って桜に見惚れた。綺麗で綺麗で。この世で一番綺麗だって思った。

 現実に戻ったのは、確かフルカワが「お前ら帰ってなかったのか!?」と泡を食ったような勢いで私らのもとにやって来た時だった、気がする。


2人で密かに行った小さなお花見。それが彼と私の出会いで、私にとって大野という男の子を意識する布石になったのは、私しか知らない。


「そんなだっけ……?」

「そんなだったよ。そのあといっしょに帰った」

「あ、それはなんか覚えてる、気がする」

 オオノの歯切れの悪い返しに思わず吹き出す。オオノはあんまり人に好かれてる方ではない。嫌われる要因はどこか遠くを見ていること。もうひとつは、たぶん思ったことをそのまま言ってしまうこと。

 だけれど、思ったことをそのまま言うというありきたりな短所が生まれたのは私の知っている限りで、高校に上がってからだ。

 つまり。オオノはよく言えば、昔のなんにも言えない中学生の自分と決別をした。ちょっと棘のある言い方にすればなるものをした。

「なーんかそういう反応見るの久々な気する」

「マジでいってる?」

「だってさ、初めて会った時と反応違うもん。印象はいっしょ」

「え……。そういうサクライも雰囲気変わったから」

 軽口を叩けば、おんなじぐらいの強さで叩き返してくれる。それが心地良かった。

 愛だとか恋愛だとかはさておき、きっともう少し時間があれば、私とオオノは親友になれるんじゃないだろうか。時間の問題だ。私らは面白いぐらいによく似ている。馬鹿にはなりたくないって必死に自分を変えようと足掻いた。それで今になった。

 純粋さをかなぐり捨てて自己暗示をかけたのがオオノの馬鹿な行為、愚の骨頂だったとするなら。ならば、私の馬鹿は君に恋をしてしまったことかもしれない。

「サクライってさ、昔は穏やかだったよ。ほんとうにさ……満開の桜の木が柔らかい風に吹かれてるみたいだった」

「やけに詩的な表現だね。……そーゆーの好きだなぁ」

「好きそうだよね、いっつも小説読んでるし」

なんせ図書委員長だし。そう目を線みたいにしていつものように彼は笑う。

逃げていた言葉をうっかり発したのに、私の心も頭もあの笑顔でいっぱいで気にならなかった。ああもう末期だよ責任は私にあるね。


「じゃあさ、オオノ的には今の私の印象っていかがなもんなの?」


流れとしては申し分のない返球だと思った。

会話というキャッチボールにおいて大事なことを守った。

そしてオオノも


「雷」


そう、即答した。

オオヤの言葉はそのひと単語だけじゃなくて、ふたたび彼の口が開くのがマスク越しにでもわかった。


「いつかにみた、一番綺麗だと思った桜の光景に似合う。

最初はただの印象深い桜吹雪だって思った。でも、花びらが光を発したみたいに輝いたんだよね。

一見すると穏やか。でも本当はかがやき激しさを持ってるんだ」


オオノのその言葉は本当に私に向けられたものなのか、理解できない。

______だって、それは私にとってのオオノへの感情だったから!

自分の妄想じゃないだろうか、こんな美味しい恋愛小説みたいな展開。

でもオオノにはそんな気持ちはない。

彼は桜を世界で一番好きなわけじゃない。目につくだけ。

目につくから印象に残ってしまうだけ。

ああ、それでも思わずにはいられない。

彼が私を特別に思ってくれればよかったのに。

せめて性別が同じだったらもっと話せたのに。

なんであと1日のこのタイミングでいうんだろうか。

そこも含めて君らしい、っていう感想を浮かべてしまう私って、私って。

ああ、だめだなぁ。ほんと君が好きすぎてこまる。


「じゃあ、サクライ。また明日」

「うん。ばいばい」


 オオノに向け手をゆるゆると振る。オオノはそんな私の様子を見てコクリ、と頷く。

そして、オオノは私に背を向けたまま歩き出す。一歩一歩遠ざかるその背中はオレンジ色に染まっていく。眩しくて反射的に瞬きをしたくなったけれど、見えなくなるのがもどかしくて、目の前が歪む。

 私は足が床に固定されたみたいで指一本、動かせなかった。

 オオノの出身小学校と、私の出身小学校は違う。まぁ、お互いにそれぞれの学校の学区の端っこだったけれど。

 私らの地元の最寄り駅はちょうど私とオオノの家のあるあたりのちょうど真ん中に建っている。私の家は北口からいくのがベスト。オオノの家は真反対の南口____私らの駅では中央口を通過するとすぐ。

 だからここでお別れなのはどうあがいても変わりはしない。

 明日はクラスメイトが全員揃う。明日は後輩たちが整頓してくれた教室にいる。その時、机は黒板の真正面を向いているだろう。

 だから、明日も今日みたく話せるとは限らない。もしかしたら、これが最後かもしれない。

 ……これが最後?そんなん嬉しいわけない!!

中央口から出て帰れないわけじゃないのだ。嫌なら、追いかければいい。単純明快。

 それでも。

 私はただ、立ち尽くすだけ。

せめて忘れないように。オオノの背中を忘れないように。見失わないように。


 人は、声から徐々に忘れていくんだそうだ。記憶がポロポロ崩れていく。風化するとはよくいったものだよ全く。


「大野」


 呼ぶ声は風に乗って流れた。流すんならさぁ、オオノの耳元まで運んでよ。

存外耳の遠いオオノにせめて今だけでいいから、私の音を残して。

 いつかオオノは私のことを綺麗さっぱり忘れる。避けられることではない。だけれど、少しでもオオノの記憶にとどまっていたかった。

 オレンジの光中にオオノの背中が見えなくなって、私は無意識に握りしめていた右手から力が抜ける。しばしそこに立ち尽くしてははっとひとり笑う。

 自らを嘲笑う。

 そうでもしないと泣いてしまう。

 回れ右をして薄暗い北口へと私は歩く。歩けば歩くほどオオノの、あの笑顔を思い出してしまって私はなんて馬鹿だろう、と空を仰いだ。

 そのオレンジは腹が立つほど美しかった。

その空は雲ひとつなかったのに、うっすらと霞をまとっていた。

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