第4話

 ホームルームが終わった後、職員室に用事がある葵を先に行かせ六明は何の気になしに読みかけの本を広げた。

 あ――と気づけばクラスの中には一人。時間にして十五分は経っている。

 やっちった。と声を上げ慌ただしく荷を包み、机の角にぶつかりながら教室を飛び出す。

「おっと――」

 教室からでたところで女子生徒とぶつかりそうになる。

「ごめんなさい。急いでて――」

 そそくさと立ち去ろうとする六明を女子生徒が呼び止める。

「ねえ、もしかして日向さん――かな?」

 六明が足を止め、振り返った。

 呼び止めた女子生徒の名は野阿弥といい、最上級生の先輩だった。

 肩までの短い髪を内側に巻き、細身の体で肌は色白。

 そんな野阿弥先輩は葵に代わって様子を見に来てくれたのだという。

「すみません、わざわざ」

 六明が声を落として申し訳なさそうに言うと野阿弥先輩が頭を振った。

「迷惑だなんて思ってないから。それに本を読んでたんじゃないかな?」

「え?あ、そうです。葵――三雲から聞いてたんですか?」

「うん。とっても本が好きな子、て聞いてる。ふふ、つい夢中になると抜け出せなくんるんだよね。時間なんてあっという間」

 野阿弥先輩とそんなことを話しているうちに美術室が近づく。

「絵画に漫画それに小説。全部まとめての文芸部なの。で、一応美術室が本部扱いで漫画と小説の部室は転々としているというか。まあ、それは各リーダーに聞いて」

 野阿弥先輩が美術室の扉を開けると絵具の匂いが六明の鼻を突いた。

 肩掛け鞄を抱えながら美術室へと入る。普段、美術の時間に使う時と変わりがないのだが机をどかし、イーゼルを広げている光景をみると小さなアトリエに来たように思える。

「編集長お帰り」

 一人がキャンバスから顔を覗かせ野阿弥先輩へそう言った。

 続くように「編集長、課題なんだけど」と声が上がる。

「あなたたちわざと言ってるでしょ。編集長じゃなくて部長だから」

「え?」と野阿弥の隣で六明が呟いた。

「あれ?私言ってなかったけ。私はこの文芸部の――」

「編集長」と複数の声が上がったかと思えばケラケラと笑う声が美術室に響いた。

 顔の前で拳を固めてわなわなと震えていた野阿弥先輩だが、大きく息を吸い観念したかのようにため息を長く吐いた。

「なんかごめんね」

 六明の入部届を受け取りながら野阿弥先輩は言った。

「それで、えっと、小説でいいんだよね?」

「はい、お願いします」

「今はそこの扉を開けた準備室で書いてるはずだから」

 その準備室の中に有喜多月代というリーダーの人がいるという。

 一つ息を吸って吐き扉をノックする。

「失礼します」

 ゆっくりと扉を開けると「おお、来た」と、葵がキャスター付きの丸椅子を回転させながら言った。

 葵の他に二人、一つ上の先輩が雑多のなかに広げたノートパソコンとにらみ合っている。

「あの、遅れてすみません。えっと、有喜多先輩は――」

「ツッキー呼んでるよ」と一人の先輩がヘッドホンを首にかけながら言った。

 ツッキーと呼ばれたこの人が有喜多先輩なのだろう。

 有喜多先輩は顔だけこちらに向けた。

「今日から入部することになった――」

「日向六明くん、だね。編集長と三雲くんから聞いてるよ」

 そう言い切ると再びパソコンに目を向け肩肘をついた。

「ああ、もう」ともう一人の先輩が立ち上がり有喜多先輩の椅子を回転させる。

「なにすんだよ」

「自己紹介ぐらいしなよ」

「だからそっちが三雲くんでこっちが日向くんだろ?」

 有喜多先輩が力の入ってない指先で六明たちを差した。

「私たちの自己紹介とか編集長に課題のこと頼まれてたんじゃないの?」

 小言から耳をそらすように首を傾け、耳の後ろ側を有喜多先輩が掻いた。

 はぁ。ともう一人の先輩が溜め息を吐き切り六明たちの方を見る。

 葵はいつの間にか六明の隣に来ていた。

「私は西條荻、よろしくね。で、こいつが――」

 西條先輩が有喜多先輩の肩を叩く。

「――有喜多月代。小説の方でリーダーを任せられてはいる」

 六明たちも改めて自己紹介したが、西條先輩は変わらず有喜多先輩の肩に手を置いたまま。

 有喜多先輩がだるそうに息を吐く。

「来月までに小説を書いて欲しいんだ。で、普段は短編でも長編でもフリーなんだけど、珍しく編集長からお代がでてるんだ。桃太郎を自分たちに仕上げてこい、て」

「桃太郎?」と声を上げたのは葵だった。

 六明も続いて口を開く

「桃太郎、て、あの桃太郎ですよね」

「そう。川から桃が流れてきて、桃太郎が鬼退治に行く。おとぎ話の桃太郎」

「それを自分たちなりにアレンジしろ、てことですよね?」

「そういうこと」と有喜多先輩が西條先輩の肩を払いのけ椅子を回転させた。

 弾かれた西條先輩が六明たちの方に来て、木で出来た椅子を二つ机の下から引っ張り出して一つを六明に押し渡した。

「ああ、と。ごめんね」と木の椅子に腰かけながら言う「普段はもっと口数も多いんだけどね」

「――筆が進まない、とかですか?」

 六明が小声で言う。

 有喜多先輩はパソコンの前で肩肘をつき、もう片手の指先で机を叩いている。

「ご明察。もう締めの最終ページなのだけど言葉が纏まらないみたいなの。で、締め切り前だからちょっとピリピリしてるのよね。推敲もしなきゃだし」

「締め切り前、て。有喜多先輩、選考に応募してるんですか?」

 葵が小声ながら興奮を隠しきれない様子で西條先輩に聞いた。

「まあね」と西條先輩が軽く答え、椅子から立ち上がりヘッドホンを耳にかけた。

「とりあえず、さっきツッキーが言ったように、来月までに自己流桃太郎を書き上げれば何しててもいいから。そうそう、ワープロしか使えないパソコンだけど。使いたかったら編集長に言えば貸してくれるから」

 西條先輩はそういうと、元々座っていたキャスター付きの椅子に腰かけくるりと回転させた。

 どうする?と六明は葵と顔を合わせる。

 葵はとりあえずパソコンを借りに行くと準備室を出ていった。

 六明は準備室内を一通り見渡し、肩掛け鞄から本を取り出し読みだした。

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