第2話

 登校中、六明はふと正門横の金網を見た。

 葵がよりかかった場所、古い金網が撓んでいる。

 コンマ何秒の逃避行跡がそこにあった。

 そっと撫でてみる。

「おはよう」と葵がこちらに向かってきたのはそんなときだった。

 手提げ鞄を持ち直した葵に「おはよう」と返す。

「で、どうするの?」

 歩き出してすぐに葵が六明に聞く。

 葵に文芸部に入らないか聞かれて、六明は昨日は「考える」とだけ言った。

 ――言ったのだが、特に考えてきてはない。

 別にあの場で入部すると言ってもよかったのだが。頭が一瞬真っ白になったというか、なにも考えられず咄嗟に否定的な言葉が出た。

「その、さ。文芸部って確か三ヵ月に一回、作品発表あるんだっけ?」

「うん。掌編小説から長編小説、私小説に日記体小説なんでもいいみたいだよ。まあ、文芸部の小説部の話だけど」

 葵が誘ってきた文芸部は主に絵本や漫画を描く漫画研究部と、小説を描く部でわかれているらしい。

 そもそも葵が文芸部に誘ってきたのは小説部に一年生ただ一人だけで、先輩の空間に一人だけでは耐えられないからという理由だった。

「なんで私?」と六明は聞いた。まだどの部にも入ってないことは担任しか知らない、はず。

「めっちゃ集中して本読んでるから、本好きなのかなぁって。それと仮入部にいく様子もなかったし」

 葵の答えはそうだった。

 確かに本を読むのは好き。だけど――。

「私、小説は書いたことないよ」

「え、意外」

 下駄箱から上履きを落として葵が言う。

 本が好き、だから書くことが好きとはならないだろう。

 ゲームが好きだからと作る人や、食べるのが好きだからと料理する人が、必ずしもイコールではないと葵に言うと「確かに」と眉を上げた。

「んじゃ、私って珍しいタイプなのかな」

「本を読むのも書くのも好きなの?」

「うん」と葵はつま先を叩き、踵を滑り込ませた。

 はじまりは二次創作だったと葵は言う。

 好きなものと好きなものを対決させる、そんな物語をパソコンのメモ帳に殴り書きで書いていたらしい。

「好きなもの同士なのに戦わせるの?」

 むごくない?と六明が言うと葵は顔の前で手を振った。

「いや死人が出るようなガチの戦いじゃなくて。なんとか対なんとか、て大抵共闘になるんだけど、知らない?」

 ほら特撮でも――と葵が言うがピンとこない。

 日向家のテレビは居間にあるし六明の部屋にはパソコンもなく、端末も一回机の上に置いてしまえば連絡でも来ない限りいじることはない。

 片手には必ずと言っていい程本を持っている。

 だから、というわけでもないのだが流行りの芸能人や音楽家の話を振られてもピンとこないのだ。

 特撮やアニメなんてもってのほか。だから葵に一言「ごめん」と、わからないと言った。

「あっとね」と教室へ歩き出した葵が目線を上げながら言う「ようは真の黒幕がでてきて、それをボコるのよ」

「つまりモリアーティの仕業かと思ったら違くて、結果的にホームズとモリアーティが手を組むことに、て解釈でいい?」

「え?あ、うん。はは、ごめんホームズは読んだことなくて」

 ま、大体そんな感じ?と葵が言う。

 お互いどこかズレているようだが、葵が書いていたというモノについては理解できた。

 確かにこいつとこいつが出逢ったら、なんて夢想したことはあるが比べても仕方ないし輝ける場所が違うと段々と熱が冷めていくのだ。

 葵は違うのだろう。冷めるどころか沸騰し、泡のように湧いてくる感情を文字に変え書き殴るのだろう。

 それは素直にすごいことだと思った。

「てことで私は読むのも書くのも好きなのよ」

 葵が席に座りながら言う。

「読むって言っても純文学は読んだりはしないけど」

「ホームズは別に純文学じゃないと思うけど。それに純だとかそういう区分けなんて私は必要ないと思うんだ。文字は文字だし、受け取る側によっていくらでも変わるじゃん」

「言うねぇ」と葵がニヤつき頬杖をついたとき担任が教室に入ってきた。

 それと同時に蜘蛛の子を散らすようにクラスメイトが席につく。

「後でね」と葵が手をヒラヒラさせる。

 ホームルームが終わるや否や、担任に呼び出しを食らった。

 さすがに昨日の形相ではないが、大きな顔に昨日の相貌がみえる。

「日向、部活動についてなんだが――」

 担任の言葉を遮るように六明は入部届を担任にみせた。

「入る部活決めました。それと、すみませんでした」

 うぬ。だか唸るような声を出し入部届を受け取ると、なにも言わずに教室を出ていった。

 完全に見えなくなったところで六明が息を吐き切り、肩からだらりと垂れ下がってゆく。

「ねえねえ」と葵が六明の脇から顔を覗くように言う「入る部活って――」

「文芸部」

 部長に渡すためのもう一枚の入部届を葵にみせる。

「マジで?超うれしい、もちろん小説っしょ?」

「まあ、それは。部室は美術室、でいいんだっけ?」

「うん、一旦そこに集まってそこから移動ってかんじ」

 それじゃあ、また。と葵は選択授業に必要なものを持って教室を出ていった。

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