第31話 握力59

「……申し訳ございません」


 地獄みたいな夕食も終わり、髪も乾かし終えた俺はベッドの上で土下座をしていた。


 相手は言わずもがなの辻野さん。

 理由は言わずもがなの『好きじゃない理由』を見つけられなかったから。


「そ、そんなに頭下げないで……?そこまで気にしてないから……」

「……え?」


 不意に降り注ぐ言葉に頭を上げてみれば、そこにいるのは気まずそうに乾いた毛先をクルクルといじる辻野さんの姿。


「その……確かに、崎守くんはクソ野郎だとは思います……」

「うっ……」

「確かに『嫌いなところを見つけられないのなら付き合ってくれてもいいじゃないですか』とも思います……」

「うぅ……」

「確かに、私に魅力がないのは重々承知しています……」

「うぅぅぅ……」


 追い打ちをかけるような言葉は当たり前のようにズキズキと胸に刺さる。


 その度にベッドへと頭が近づいていく俺は、ついにはおでこをついて土下座を披露する姿に。


「……でも、それって他の人もそうです……よね?」


 確認するような言葉がつむじに舞い降りる。


 そんな言葉に目を見開いた俺は勢いよく頭を上げた。


「そう!そうなんだよ!!というか他の人――他の女子は全員なんだよ!でも、辻野さんはマイナスもなくてプラスもない……女の子と言うかなんというか……」


 結局は相手を傷つけてしまう言葉を口にしてしまう俺は再度おでこを下げる。


「分かっています。遊園地で聞いた崎守くんの言葉を整理すれば、なんとなく理解できます」

「辻野さん……!」


 ここまで俺のことを理解してくれる女性はかつて存在しただろうか。


 下げたおでこを辻野さんに向ける俺は薄く涙を浮かべ、


 そういうところはほんっっとうに良い女性だ!」

「……じゃ、じゃあ……プラス……ですか……?」


 恥ずかしそうに人差し指と人差し指を突き合う辻野さんは、赤らめた頬をこちらに向ける。


「プラス……。プラス……なの……か……?」

「上がらないんですか……!?」

「うーん……。上がるとこなんだろうけど、なんと言うかな……。付き合いたいとは思わないと言うかなんというか……」

「…………はっきりしない男ですね」

「はい。ごめんなさい」


 ジト目とともに向けられるその言葉は刹那にして俺の頭を下げさせる。


「遊園地でも言ったと思うけど、俺も『恋』って気持ちがよくわかってねーんだよ……。どこからが『付き合いたい』という感情なのか、どこからが『好き』という感情なのかが分からん……」

「……ちなみにですけど、私もそれは曖昧です」

「…………好き好き言ってるのに?」

「だって好きなんですもん!曖昧ですけど、好きか嫌いかの二択で問い詰められたら『好き』なんです!この世の誰よりも!崎守くんのことが!!」

「……おぉう」


 突然告げられる大声の告白は俺の部屋によく響く。

 下手したら近所にも聞こえているかもしれないが、今は熱くなった頬を沈めないといけない。


「だから、崎守くんもいつか分かります。私のことがこの上なく好きなる感情が」

「……辻野さんが相手なのは確定なんだ」

「当たり前です!私以外の人を好きになったら……そうですね。この前言ってたあの赤い箱を使って崎守くんをいじめます」

「……おっけ。他の人を好きになることはないから安心しろ」


 目が本気なのを見るに、もしそんな事が起これば相当吸い取られるのだろう。


 この言葉を聞くに、使い方は知らないんだろうが……どこかしらで使い方を入手するはずだ。

 そうなったら――


「おぉう……鳥肌が……」

「寒いですか?」

「……いや、なんでもない。ちょっと考え事してただけ」

「ほんとですか……?」

「なんで嘘つくと思うんだよ……」


 そんなため息混じりの言葉を吐き捨てる俺はふいっと視線を扉の方へと向ける。


 ――刹那、隣に腰を下ろした辻野さんはギュッと俺の手を掴んできた。


「――はっ!?」

「寒いなら寒いと言ってください。私がいつでも温めてあげますので」

「いやいや……!全然寒くないって!」

「もう嘘は聞きたくありません」

「うそじゃねーよ!?」


 土下座ポーズから体を跳ねさせた俺は壁へと背中をくっつけるが、辻野さんの手から俺の手は離れない。


「手を離さない時点で信憑性はありません」

「……まぁ、うん。ごもっとだ」


 ふいーっと顔を逸らす俺は掴まれた手に力を込め、辻野さんからその手を開放させ――


「離しませんよ?」

「いや離せよ!」


 不意に込められるのは、離さないと言わんばかりに掴まれる両手の握力。


 慌ててその手を引っこ抜こうとするのだが、


(まじでこいつゴリラじゃね……?)


「いま、失礼なこと思いました?」

「あーいや。なんでもない」


 グイーッと腕を引っ張る度に強まるその両手の力は、今ではもう痛い。

 だから俺は離すことを諦め、ストンとベッドにその手を落とした。


「……やっぱりさ、これまで俺が拒絶しなかったというのは嘘じゃね……?」

「嘘じゃないですよ。今回は確かに力を入れましたけど、普段はひとつも力を入れていません」

「……ちなみに握力はどのくらいで……?」

「え?59ぐらいですけど……普通って聞きましたよ?」

「誰に聞いたんだよ……!!」


 帰宅部の女子で59って何事だよ!


 レスリングか何かやってるのか?いやまぁそんな動作は今まで一度も見たことないんだけど!!


「ふ、普通じゃないんですか……?」


 不意に向けられるのは心底心配そうな上目遣い。


「……まぁ、女子にしては強いんじゃないか?いいと思うけど……」


 そんな物を目の前にすれば完全に否定することはできず、マイナスを補うような言い方で紡いでしまう。


「含みがあるようにも見えますけど……気にしないでおきますね」

「おう、それがいい」


 逸らした瞳を辻野さんに戻した俺は大きく頷く。


 そうして時計に目を向けた俺は話を逸らすように口を切る。


「もう10時過ぎるけど、いつ家に帰るんだ?怖いなら送ってくけど」

「……今すぐに帰ってほしんですか?」

「…………いえ、単に気になっただけです」

「ふーん、そうですか」


 不貞腐れたように頬を膨らます辻野さんはそっぽを向く。


「今日は帰りません」

「……え?」


 尖らせた口を時計に向ける辻野さんはそう紡いだ。


「今日はこの家――崎守くんの部屋で寝ます」

「…………え?」

「ちゃんと許可も取っていますので」

「いや……許可取る取らないの以前に……ここ、異性の部屋だぞ……?」

「好きな人なら問題ないです!」


 バッと勢いよくこちらに顔を向けてくる辻野さん。


「……一応俺、男だぞ……?」

「知ってます!」

「…………色んな所触る可能性だってあるんだぞ?」

「別にいいですよ?」


 そんな脅し文句に、淡々と紡いだ辻野さんはコテンと首を傾げる。


『逆に触ってくれて構いませんよ?』と言いたげに。


「……辻野さんには危機感とかないのか……?」

「ありますよ!けど、崎守くんならなにをされても構わないと思っています」

「『好きな人』だからか……?」

「はい!」

「……そか」


 熱くなる顔を隠すようにそっぽを向く俺に、辻野さんはこれ見よがしの笑みを向けた。


「ささっ!そろそろ寝ましょう!今日は疲れたでしょう!」


 そんな言葉とは反し、元気いっぱいな声が降り注ぐ。


「まだ10時だぞ……?」

「え?この前10時くらいに寝てませんでした?」

「……あんときは疲れてたんだよ……」


 思い出すのは机の上で寝落ちしたときなのだが……あれはノーカンだ。


 たしかに今日も疲れたけど、あの日ほどではない。

 というか多分、耐性がついてきて慣れたのだと思う。


「散々遊んだんですから今日も疲れてますよ!」

「残念ながらひとつも疲れてない。ってことで寝るなら1人で寝てくれ」

「――どこにも行かせませんよ?」


 流れ作業のように紡いだ言葉と一緒に腰を上げようとした俺なのだが、掴まれた手を引っ張られる。


 もしかしたら離してくれるのではないか?と淡い期待も抱いていたのだが……案の定、俺は辻野さんの胸に後頭部から倒れてしまった。


「…………」


 そんな状況に、目と頭を白くした俺は思考を停止させ、無意識に埋もれていく頭に神経を尖らせる。


「崎守くんって結構軽いんですね……」


 先述した通り、胸に頭があることをなにも思っていないのだろうか。


 まるで可愛がるように言葉を紡いだ辻野さんはギュッとお腹に手を回してきた。


「……逃さないために……」

「違いますよ!?寒いって言ってましたから温めてるんです!!」

「物は言いようだな……」

「だから違いますって!」


 脳死で言葉を吐き捨てる俺のお腹に更に力を込める辻野さん。


 そんなことをされれば逃げも隠れもすることもできず、元々していたかどうかも怪しい抵抗の力を弱めた。


「……信じてくれましたか?」

「別に信じてはないけど、まぁ。うん。寝るから離してくれ」

「いいんですか!?」

「うん」


 これ以上この胸に頭を埋めていたら理性が保てなくなる。

 そう判断した俺に、辻野さんはバッと手を離した。


「それじゃあ寝ましょう!電気消してきますね!!」

「それぐらい俺が消すけど――」

「崎守くん逃げるじゃないですか」

「……俺の信用性ゼロだな……」

「当たり前です!あまり言いたくはありませんけど、結構クズな男ですので!」

「…………」


 腰を上げた辻野さんがリモコンを取りに行く中、グサッとナイフが突き刺さった俺は倒れ込むように枕に顔を埋める。


「あっ、すみません……。言い過ぎましたね……」

「いやいいよ。うん。本当のことだし……」

「で、でも!そのクズさも含めて大好きです!そしてそのクズさ以上に私は崎守くんの優しさや、匂いや顔や体つきや身長や体重や――」

「おいやめろ。メンヘラみたいになってるから」

「メン……ヘラ……ですか……?」

「知らんのかい」


 枕の隙間から見えるコテンと首を傾げる辻野さんの顔にツッコミを入れれば、不意に視界が真っ暗になる。


「こうして崎守くんの意識がはっきりしてる状態で隣で寝るのは初めてですね〜」

「……そうだな」


 暗闇の中近づいてくる大きな物体に冷淡な声を返す。


「お邪魔しますね〜」


 そんな俺なんて気にした様子もないその大きな物体はベッドに腰を掛け、ブランケットを手に取って――同じ枕に頭を倒してきた。

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