第29話 心拍数が早くなりました

「――んむっ」


 辻野さんの悲鳴が耳をかすめる。


 というのも、俺が辻野さんを頬に手を当てて強引に窓の外へと顔を向けさせたから。


「綺麗か?」

「……綺麗です……」

「そうだ。俺の顔なんかよりも500倍綺麗だ」

「で、でも、私は崎守くんを見たいです……!」

「ダメだ」


 グイーッと体ごと強引にこちらに向けてくる辻野さんだけれど、片手で肩を抑えてやれば、不意に飛び跳ねる肩は呆気なく動きは止まってしまう。


「相変わらず肩は弱いのな」

「い、いきなり触るからです……」

「それでもだろ」


 いつもは負けていた力勝負も、真相をしれば力が容易に入る。

 逆に今までどうして負けていたのか不思議なくらいに。


「……分かりましたよ。外見ますよ……」


 力で勝てないことを把握したのだろう。

 致し方ないと言わんばかりに言葉を漏らす辻野さんなのだが、ストンと落ちる肩の筋肉を見るに、この景色に見とれているのだろう。


「綺麗だろ?」

「……はい。綺麗です」

「なんで意地張ってるんだよ」

「別に張ってません……。けど、見れてよかったとは思ってます」

「だろ?俺の顔よりもよっぽど綺麗だ」

「……好きな人を卑下しないでください」

「あ、はい。ごめんなさい」


 やおらに頬から手を離す俺も窓の外に目を向ける。

 頂上は通り過ぎてしまったものの、夕焼けに照らされる海やら町並みやらは絶景そのもの。


 今この瞬間だけは、他のなによりもこの景色が美しい。


「ちょっと、体倒してもいいですか?」

「……ん?なぜ――」


 言葉を返す前に辻野さんは椅子を倒すように俺の胸に背中を預けてくる。

 まるで俺の心音を聞くように。


「な、え?ん?なんで?」

「今はどれぐらいどきどきしてるのかなぁと思いまして」


 黒縁メガネがこちらを見上げる。

 赤くなった頬を隠そうともせずに。


「……自分だけが恥ずかしい思いするのが嫌なだけじゃなくてか……?」

「ち、違いますよ……!別に崎守くんに肩を触られたとか頬を触られたとか、そういうのは気にしてません……よ?」


 俺に答えを促すように小首を傾げる辻野さんなのだが、


「全部言うじゃん」


 すべてを口にしてしまった以上そういう解釈をせざるを得ない。


「……全部じゃありませんし……」

「他にもあるのか?」

「もちろんです。好きな人と一緒にこの絶景を見るとか、好きな人の体に触れているとか。他にも色々あります」

「……ならよかったな」


 よくもまぁこんな淡々と恥ずかしい言葉を口にできるもんだ。


「あっ、心拍数が早くなりました」

「……気のせいだろ」


 思わず顔を背けてしまう俺は残り4分の1の窓の外を見る。


「気のせいじゃないです。私のレーダーがピピピって言ってます」

「じゃあそのレーダーぶっ壊れてるな」

「ぶっ壊れてません!正常です!」

「ならこの心拍の上昇は綺麗な景色を見てるからだな」

「むぅ……素直じゃないですね……」


 視界の端で頬を膨らませる辻野さん。

 もちろんそんな辻野さんに触れることもない俺は置き場所のない手をギリギリ見える膝の上へと――


「崎守くんも触りたいんですか?」


 先程までの膨らませた頬はどこへ行ったのやら。

 突然右手を掴んだ辻野さんは懐疑的な瞳で見上げてくる。


「……はい?」

「だって私の胸の方に手を持ってきてたじゃないですか」

「いや、これは膝の上に置こうとしただけで――」

「嘘が下手ですね?素直に触りたいといえばいいのに」


 俺の言葉を遮った辻野さんは不純物の欠片も混じらない笑みを浮かべ、


「――っ!」


 たわわな胸に俺の右手を沈めた。


「ほら、聞こえるでしょ?この状況だから心拍数高いけど……いつもはもっと穏やかだからね?」


 この行為がごく普通なものだと思っているのだろうか?

 普段通りに口を開く辻野さんは赤らめた頬をこちらに向けてくる。


「…………うん」


 一瞬驚きはしたものの、今思えばこいつは痴女だった。

 こんな行為なんてこいつにとってはごく普通で、俺からすれば願ったり叶ったりの状況じゃねーか。


「あれ?崎守くん?固まっちゃった?」

「いや?心を無にしてるだけ」

「え?どうして?」

「そりゃまぁ……この体制ですし、中身を見ると言いましたし……」


 不幸なことに、今俺の股関節にあるのは辻野さんの腰。

 色々と反応してしまったらあれが当たるのは目に見えている。


 だから俺は列になる人だかりを視野に収めながら――


「――っ!」


 慌てて沈めていた手を抜いた俺は辻野さんの脇腹を両手で抑える。


「んぇ?」


 なんて呆けた声が耳をかすめるが、完全に無視を決め込む俺は力任せに辻野さんを持ち上げた。


「さ、崎守く――まっ!わ、脇に指が入って……んっ、くすぐった……。や、やめへ……!」

「この状況を見られる方がまずいだろ……!」

「ど、どこがよぉ……!」


 そうして辻野さんを離しを得た俺はそそくさと脇に添えていた指を外し、何事もなかったように腰を上げた。


「お疲れ様でした〜」


 入る時に会釈したスタッフさんとはまた別のスタッフさんの声とともに扉が開く。


「足元に気をつけてお降りください」


 頬を赤くした辻野さんを気にする様子もないスタッフさんは丁寧に案内してくれる。


「ほら行くよ。辻野さん」

「ひゃ、ひゃい……」


 乗るときと降りる時の立場が完全に逆転している俺は辻野さんに手を差し伸べる。

 さすればやおらにその手が掴まれ、勢いよく辻野さんを立たせた。


 刹那、スタッフさんがギョッと目元を蕩けさせた辻野さんを凝視したようにも見えたが……きっと気のせいだろう。

 なんたって俺達はなにもしていないのだから。


「次行きたい場所ある?」

「い、いえ……。全て行きましたので……」

「あーそっか。んならそろそろ帰るか?」

「は、はい……。帰りましょう……」


 階段を降りる俺たちだが、足がおぼつかない辻野さんは今にも転びそう。


 そんな辻野さんを支えるように肩に手を回してやれば――ビクンッとその肩が飛び跳ねた。


「……やっぱ肩弱いな……」

「い、いきなり触るからです……!」


 若干正気に戻った辻野さんの悲痛な叫びが遊園地に響く。

 もちろん何ら気にしない俺は階段を降りきり、入場ゲートへと向かった。

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