第21話 ん?なんでいるの?
「スー……スー……」
耳に届くのは少女の寝息。
天井は昨日からずっと見ている真っ白な塗装。
ブランケットには人一人分では放出できないほどの熱が籠もっており、その熱から逃さまいと言わんばかりに掴まれている俺の右腕。
「……ん?」
寝起きの俺には少々情報量が多すぎた。
枕よりもふかふかな少女の胸は俺の腕を挟んでおり、ほっぺたよりももちもちな太ももは俺の足を挟んでいる。
そして、その俺の至る所を挟んでいる少女は辻野さん。
記憶が正しければ昨日、俺はこいつの告白を振ったはず。
そしてこいつは機嫌を悪くして帰ったはずだ。
それなのも関わらずなぜ、こいつは俺のベッドにいるんだ?というかなんで寝てる?
「んぅ……」
俺が右を向けばきっと唇が当たってしまうのだろう。
そのぐらいの距離から聞こえる辻野さんの声は甘く、弱点を克服したはずの耳を強く刺激する。
慌てて辻野さんから頭を離した俺は自由に動く左手でスマホを手に取る。
「……8時……?」
何度目を擦ってもスマホに映し出されるのは『8:12』という文字。
横目に見える私服姿から察するに、昨晩からいたわけじゃないのだろう。
……ということは、こいつは朝早くからこの家に乗り込んで俺のベットで寝ているということ……。
「……何時に来たんだよこいつ」
流し目でジトッと隣のやつを睨みつける俺はすっかり怠さが無くなった体を捻る。
そして胸やら太ももやら、柔らかい箇所から全身を脱出させて絨毯に着地した。
2回目ともなると、この状況に慣れてしまうらしい。
別に誇らしいことでもなんでもないんだが、脱出できただけでも俺を褒め称えるべきだろう。
「…………まぁ、寝かせといてやるか」
できれば今すぐにでも叩き起こしてやりたいのだが、昨日の罪悪感からだろう。
気持ちよさそうに浮かべる寝顔からスッと視線を逸らした俺は寝間着のまま部屋を後にした。
「あ、おはよう」
そうしてリビングに降りてみれば、ソファーに座った母さんと目が合う。
「おはよう……」
その顔にはこれ見よがしに浮かべるニマニマとした笑み。
……多分、辻野さんを俺の部屋へと案内したのは母さんなのだろう。
(余計なことしやがって……)
思わずジト目を浮かべてしまう俺なんて他所に、背もたれに肘を置いた母さんは口を切る。
「一緒に寝た気分はどう?」
「どうってなんだよ……」
「ほら、『寝心地最高でした〜』とか『もっと寝たかったです〜」』とかあるじゃん?」
「んなもんねーよ……」
「えー?絶対嘘でしょ〜」
「嘘ならもっと寝てる。『もっと寝たかったです』って言うなら尚更」
「あ、それもそうね」
ポニーテールを揺らす母さんはポンッと手を鳴らす。
そんな母さんを視野に入れた俺はスッと視線を逸らし、カラカラになった喉を潤すためにキッチンに向かう。
「そういえば優夜?」
さすればふと思い出したように声をかけてくる母さん。
コップを取り出しながら「ん?」と反応を返す俺は慣れた手つきで冷蔵庫へと手を添え――
「今日真穂ちゃんとデート行くんだってね?お金はあるの?」
「……ん?デート……?」
「そうそう。今朝の……6時くらいだったかな?急に真穂ちゃんが来てね、『崎守くんとデート行きます!』って張り切ってたの」
「え……ん……?ん?」
ここ最近ずっとなのだが、1日の情報量があまりにも多すぎる。
その情報量のせいで昨日熱になったというのに、辻野さん筆頭になにも分かっていないらしい。
「『楽しみすぎて早くに来ちゃいました!』なんて言ってたからねぇ。羨ましいものよ〜」
もちろん俺の気なんて知らない母さんは開きっぱなしでいる冷蔵庫に声をかけてくる。
「えーっと……ん?色々とツッコみたいんだけど……え?あいつ6時に来たの?」
「なんならもうちょっと早かったよ?」
「ちなみになんであいつが俺の部屋で寝てんの?」
「私が優夜の部屋に案内したからねぇ。そしたらなんの迷いもなくベッドに飛び込んだよ?」
「……なぜ止めなかった」
「そりゃ2人が幸せそうだからでしょ」
やっと冷蔵庫を閉めた俺の手にはペットボトルのひとつもなく、代わりに蛇口に手を添えた。
「あれ?お水なかった?」
「……突然の情報量に水取ること忘れてた……」
「もう1回開ければいいのに」
「……めんどくさかったから……」
「そんなめんどくさがり屋だと真穂ちゃん幸せにできないよ?」
「……するきねーよ」
心の底からの言葉を発する俺はコップいっぱいになった水をグビッと口の中へと流し込む。
さすれば「え?」と懐疑的な言葉を返す母さんは首を傾げながら続けて口を開く。
「真穂ちゃんがお布団に入った途端嬉しそうにしてたのに?」
「……してねーよ」
「いーや!あれはしてたね!お母さんだから分かるけど、普段の数倍広角が緩んでたよ?」
「……それ、冗談?」
「なんで冗談を言うのよ。真実よ真実」
「…………信じねーぞ」
「それはご勝手にどうぞ〜」
俺が緩ませるわけがない。
あの痴女と一緒に寝て嬉しいと思うわけがない。
だって昨日伝えたじゃないか。
『辻野さんはあくまでも友達だ』って。『恋愛的に見ていない』って。
あれは心の底からの本音だ。
誰がなにを言おうが、あれは本音だ。俺は辻野さんを恋愛対象に入れていないし、そういう目で見たこともない。
(……はず……!なのに……!!)
絶対的な確証が持てないのはなぜだろうか。
なぜ俺はここで渋ってしまうのだろうか。
昨日だってそう。
本音を伝えるのなら目を見つめ合いながら紡ぐのが当たり前。
なのに、俺は辻野さんの目を見るどころか視界になにも入れたくなかった。
「そういえば何時に行くの?」
俺の気持ちを知ってか知らずか、不意に紡ぐ母さんの声。
だが当然俺はそのことについてなにも知らないので、
「……知らん」
そう言わざるを得なかった。
「恥ずかしいからって隠さなくていいのよぉ〜?お母さんに何でも話しちゃいなさいよ〜」
「話さねーし、知らねーって」
「ケチねぇ」
「ケチでいいよ」
コトンとコップを置き、頬を膨らませる母さんを横目にリビングを後にしようとする。
のだが――
――ドコンッ
2階からものすごい音が鳴り響いた。
まるでなにかが倒れたような。まるでなにかが落ちたような。
「……優夜?もしかして真穂ちゃんなんじゃないの……?」
「多分そうだな……」
2人して天井を見上げる俺達は不意にお互いを見つめ合い、俺は小さくため息を吐いた。
「……慰めてきます」
「いってらっしゃ〜い」
朝から気疲れする俺なんて他所に、これまた心底楽しそうにニヨニヨとした笑みを浮かべる母さんは手を振った。
そんな手を最後に、俺はリビングを後にしてやおらに階段を上がった。重たい憂鬱を背負いながら。
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