第17話 好きという感情だよ
「ありゃ、優夜休みなんだ。サボりか?」
スマホに写る吹き出しに書かれているのは『今日休む』という短い一言。
そして遅れて送られてくるのは『37.8』と映し出された体温計の写真。
『お大事に〜』
『サボりか?』という言葉も付け加えたかったのだが、体温計の写真を送られてしまえばしたいこともできない。
既読が付き、なにも返信が来ないことを確認した俺はスマホから光を奪う。
「――さ、崎守くん休みなんですか……?」
そうしてスマホをポケットに仕舞い込めば、辻野さんが視界に現れる。
「らしいね。やっぱりいつも一緒にいる人がいなかったら寂しい?」
「……はい。寂しいです……」
机に手を付き、腰を下ろしている辻野さんは分かりやすくシュンとする。
「だよね。俺も寂しい」
珍しく……というか初めて俺に話しかけてきたかと思えば優夜のこと。
2人が中学の頃から仲が良いことは知ってるけど……そんなにシュンとする?
優夜のことが好きなら分かるよ?
でも好意とかそういうのは無いらしいからなぁ……。
「1ヶ月ぶりに崎守くんと朝会ってません……」
「……え?1ヶ月ぶり?ってことは休日も会ってるの?」
「はい……。家もそれなりに近いので朝ご飯とかよく一緒に食べてます……」
驚愕の事実を口にするのに反し、未だにシュンとしている辻野さん。
というか初耳が過ぎる。
え、なに?毎日2人は会ってんの?
え、てかそれで好きじゃないの?絶対嘘じゃん。
コンマで脳裏に過る思考とともに首を傾げる俺。
そんな俺なんて他所に、辻野さんは言葉を続ける。
「やっぱり私、崎守くんが近くに居ないと心に穴が空いた感じになります……」
「優夜ってそんなに大切な存在なんだ……」
「もちろんです!私にとってはお母さんと同じレベルの存在です!」
はっきりと紡ぐ辻野さんはグワッと顔を上げ、真剣だと言わんばかりに俺の目を見てくる。
「まぁ大切なのは分かるけど、穴が空くほどかぁ……。そっかぁ、穴が空くほど……かぁ……?」
(ん?)
俺の頭の中に浮かぶのは少女漫画の知識と、描かれた少女の顔。
そして視界に入るのは不意に眉根を伏せる少女と、不服気に膨らむ頬。
よく優夜に『少女漫画の見すぎだろ』と言われるけど、俺はよく知っている。
この顔。この言葉。この場面を。
「辻野さん。ちょっと質問しても良い?」
「え?大丈夫だけど……」
不審がる瞳をジッと見据える俺は両方の肘を机に付き、手を組んでその上に顎を乗せる。
「優夜に触られて『嬉しい』とか、『もっと触ってほしい』とかっていう気持ちは湧いたことある?」
刹那、辻野さんは目を見開いた。
まるで『なんで分かるの!?』と言いたげに。
「その感じ、当てはまってるっぽいね」
俺は頬を吊り上げた。
やっぱり俺の予想は合ってたんだ!と言わんばかりに。
「一応確証を得るために次の質問に移るけど、大丈夫?」
「うん!」
しおらしかった顔はどこへやら。
俺のメンタリズムが気になって仕方がないと言わんばかりの辻野さんは大きく頭を縦に振り、前かがみに顔を寄せてくる。
「優夜のことを常日頃から考えてるよね?寝る前とかお風呂に入ってるときとか」
「……!はい!ずっと考えてます!!授業中もご飯のときも!!」
「やっぱり!」
目を輝かせる辻野さんはブンブンと縦に頭を振る。
「霧島さんってすごい人なんですね!これまで警戒しててすみません!」
「全然大丈夫!こうして俺の知識が役たってるから俺も嬉しいし!」
俺までもが目を輝かせる半径1メートルの光り煌めく空間。
少女漫画のように甘い雰囲気とは言えないものの、完全に俺達の雰囲気に飲まれてるその空間には誰も近寄ってこない。
こんなにも楽しい会話をしてるのに。
「それで霧島さん!私のこの感情はなんなんでしょう!!」
相変わらずに目を輝かせる辻野さんは更に顔を近づけながら言ってくる。
そんな辻野さんに便乗するように俺までもが顔を近づけ――
「その感情はね……」
「そ、その感情は……!」
勿体ぶるように言葉を止める俺に、更に目を輝かせる辻野さん。
「――『好き』という感情さ」
耳元で囁く。
包み隠すこともなく、単刀直入に。
さすれば辻野さんの輝いていた瞳は――一瞬で光を失った。
「……違いますよ?私、崎守くんにそんな感情を抱いたことありません」
そうして紡がれる言葉。
だが、俺は知っている。ピュアな女の子がこの『好き』という感情に鈍感なことを!
「辻野さん、初恋したことないでしょ?」
だから俺は胸を張って言う。
高らかに。断言するように。
「……私の初恋ですか……?」
「そう!」
「…………」
刹那、ふいっと逸らされるのは辻野さんの赤くなった顔。
「辻野さん?いないんでしょ?」
そんな辻野さんに首を傾げる俺は顔を覗き込み、そして息を呑んだ。
「そ、その……わ、私の初恋は……もうあります……」
黒縁メガネごと手で顔を覆う辻野さんは耳まで真っ赤。
悶え苦しむようにふるふるとその隠した顔を横に振っているが、そんな光景を俺は飲み込めないでいた。
(だって……え?だ……え?あ、る?……ん?聞き間違い……?)
混乱が起こりに起こりまくっている俺の脳みそと瞳はクルクルと渦を巻き、やおらに口を開く。
「つ、辻野さん……?なんの冗談……かな?」
俺の少女漫画知識ならここで『初恋?』と首を傾げるところだ。
百歩譲って初恋を恥じらう描写もあっても良いのだが……。
俺の中の少女漫画知識が崩れていく音がする。
俺の認識では辻野さんはピュアだったのに、ピュア像が一気に崩れていく。
「う、嘘じゃない……よ。小さい頃に……好きになった……」
「ち、ちなみに誰を……?」
「……言わなくちゃダメ?」
「そ、そりゃ……ねぇ……?」
光り煌めいていたこの空間に訪れるのは謎の気まずさ。
地帯で例えるとするならばここは砂漠。
水を持ってる辻野さんは頬を赤らめ、昔のことを思い出す余裕がある。
それに対し、水を持っていない俺は今目の前で幸せそうに頬を赤らめる辻野さんに対して恨めしい目を向けることしかできない。
「……誰にも言わないですよね……?特に崎守くんには……」
「も、もちろん……」
そうしてチラッと横目にこちらを見てくるのは、例の人物を鮮明に思い出しただろう辻野さん。
その顔は相変わらず赤いけれど、その節々から今も好きだと言わんばかりの自惚れ顔が垣間見える。
「…………くまさん人形……なんです……。私の初恋は……」
きっと、パチクリと丸くした瞳を瞬きさせたのは俺だけじゃないだろう。
絶賛目の前で首までもを真っ赤にした辻野さんはまたもや黒縁メガネもを手で覆い、ブンブンと激しく頭を左右に振る。
なにがそんなに恥ずかしいのか。なにがそんなに言葉を詰まらせたのか。
色々と聞きたいことはあるけれど……
「……辻野さん。それ、初恋……かもしれないけど、違うよ……?」
「え?くまさん人形――んーん。『さきくまくん』のことはずっと好きだよ?」
「……『さきくまくん』?」
「中学の頃に付けたんだ。可愛いでしょ?」
「まぁ……うん。可愛いね」
……もしかして、『さきくま』の『さき』という部分は優夜の『崎』から取っているのではないだろうか……?
もしそうだとしよう。
……だったら無意識に付けてるってことだよな……?一応初恋であるくまさん人形に……?
「ねぇ……辻野さん」
「どうしました?写真見たくなりましたか?」
「いや違うけど……」
緩ませる頬とともに紡ぐ言葉に思わず浮かべてしまう苦笑。
けれど、これだけは正しとかないといけない。
「そのさきくま……くん?って人形も初恋だと思うけれど、辻野さんはそれ以上に優夜のことが大好きだよ?というか優夜が辻野さんの真の初恋相手だよ?」
「……真の初恋相手…ですか?」
「うん。だってそうじゃない?いつも考えてるのはそのくまさん人形じゃなくて、優夜のこと。くまさん人形と離れても寂しくないけれど、優夜と離れたら寂しいと感じる」
淡々と紡ぐ俺は崩れかけた頬杖を正す。
「た、確かにそうですけど……。で、でも私……崎守くんのことそんな目で見てないですし……」
「見ようとしてないんじゃない?『この関係を崩したくない』だとか『優夜にそんな感情が見られない』だとか。何らかの理由で隠し通そうとしてるんじゃない?」
「隠そうと……?」
形は違うけれど、少女漫画でもよく見る。
今の関係が楽しいから自分の気持ちから目を背ける。相手にそんな感情が見えないから隠し通す。
(よく見るからこそ、辻野さんにはそうなってほしくない)
「俺の経験上、隠すと碌なことがないんだよ。突然パッと出てきた知らない女の子に優夜が取られてしまったり、別の幼馴染に優夜が取られてしまったり」
「――っ!」
刹那、辻野さんは息をつまらせて目を見開いた。
この反応からして、答えはもう出ていると言ってもいいだろう。
「多分……というか絶対、辻野さんのその感情は『恋』だよ。優夜に対して恋心を抱いてるんだよ」
「……つまり、私は崎守くんに対して好意を抱いてる……ということですか……?」
「そうだね」
「……」
考え込んでいるのだろうか?それとも現実を受け入れないでいるのだろうか?
理由はわからずとも、気難しそうに眉間にシワを寄せる辻野さんは黙り込んでしまう。
これまで『好意はありません』と言ってた相手だ。
自分なりに守ってきたプライドもあるだろうし、捻じ曲げたくない関係もあるのだろう。
(ゆっくり考えればいいよ。初恋なんだから――)
心のなかでうんうんと同情を示している時だった。
俯いていた辻野さんは突然顔を上げ、眉間にシワを寄せたまま口を切った。
「……私、崎守くんのこと好き……ですね」
「……え?いきなり?」
「はい……。私も女子なので、それなりに恋愛に関する記事やウェブを見るんです。そのこととこれまでの私を照らし合わせたら……その……好き、みたいです……」
「な、なるほど……」
これまでは当てはめなかったんだ?なんてツッコミを入れたいけれど、未だにシワを寄せる辻野さんが俺の無駄口を阻止する。
そうして突然立ち上がった辻野さんは――
「ちょっと今日、崎守くんの家行ってくるね。お見舞いも兼ねて」
「う、うん……」
拳を握って高らかに掲げた。
突然腰を上げた辻野さんを止めることもできず、引き攣った頬を辻野さんに向けることしかできない俺。
病人の優夜には少々申し訳ないことをしたかもしれない……けど、
(まぁ……いっか!)
思案を蹴り飛ばすように強引に笑顔を浮かべた俺は手を叩いて「頑張って〜」と声援をかけた。
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