第12話 白い液体が入った避妊道具
耳に届くのは鳥のさえずり。
腕に感じる重みと太もも辺りに絡まる細い棒のようなもの。
薄く目を開けてみれば、窓から溢れ出る光。
熱くすら感じる体にかかる布らしきものは意図せずにモゾモゾと動き、細いなにかが更に足に絡まる。
「スー……スー……」
それと同時に耳に届くのは小さな……寝息?らしきもの。
聞き馴染みのない寝息だから断言はできないが、その寝息はまるで女性のもの。
おでこに手を当てて光を遮断する。
そうして良好になった視界に入るのは、見たことのない天井。
「……ん?」
意識がはっきりし始める。
それと同時に嫌な汗が体の節々から出始める。
「…………ん?」
受け止めきれない俺はもう一度声を漏らしながらもチラッと横目に寝息の主を見てみ――
「――っ!」
目と鼻の先にあるのはまつげの長い瞼と真っ赤な唇。
汚れのひとつもないそのきれいな肌は今にも俺の頬に当たりそうで――というか俺の頬に唇が当たりそう!ちょっと待て!!
はっきりした意識が強引に体を離そうとする……が、太ももに絡まった細い棒――少女の足――が俺の行動を阻止する。
『せめて上半身だけでも!』なんて思いでグイーッと体を反らそうとする俺なのだが……少女の腕――と胸が俺の腕に絡みついて離れてくれない!
「……くっそ!この握力化け物が……!」
全身全霊で体を捻ろうとするが、これが真の無駄な抵抗というやつなのだろう。
寝てる奴相手にピクリとも動かせないでいる俺。
今、俺の目の前で寝ているのは辻野さん。
なにがどうなってこの状況になったのかは……正直言って覚えていない。
最後に記憶があるのはドライヤーで髪を乾かしたあと、さっさと寝るぞということになって辻野さんの部屋に来て……。
流石に女子のベッドに入るわけには行かないから椅子で辻野さんが寝るのを見守って……見守って……?それから……。
(……まさかそこで寝たのか……?)
どう足掻いてもそれ以降の記憶が俺の脳みそに存在しなかった。
確かに眠気は限界だった節がある。……が、この俺が女子の前で寝る……だと……?それも辻野さんの前で……?
グルグルと混乱が渦巻く脳だが、最優先はこの体をこの痴女から離すこと。
けれど寝起きの俺にこれ以上の力が出せるわけもなく、諦めモードに入った俺は全身の力を抜いた。
そしてせめてもの足掻きのように強引に顔を反対側に向けた俺は――
「――はぁ!?!?」
思わず叫んでしまった。
刹那、腕に絡まる辻野さんの手と胸が動く。
「んぅ……」と唸り声を上げながら。
「うるさいぃ……」
「い、いや……!うるさいじゃねーよこれ……!!」
バシッバシッと目覚まし時計を止めるように俺のお腹を叩いてくる辻野さんだが、それどころじゃなかった。
だって……。だって……!今!俺の目の前にあるのは白い液体が入った避妊道具なのだから!!
(いつ!?いつヤッた!?というかなんでこのゴムがこの部屋にあるんだ!?まさかこいつが前日に買ってたのか!?)
混乱していた脳みそがさらに混乱を招く。
というかこの状況で混乱しないやつは絶対いないだろう。
「はっ!下着は……!!」
慌てて体を覆っていたブランケットを跳ね除ける。
「は、履いてる……。ついでに辻野さんも……」
顕になる辻野さんの足に絡まれたズボン。
一切の汚れが無いことに胸を撫で下ろす俺はもう片方の動かせる手を上げ――自分のズボンを引っ張る。
(うん、パンツもあるな)
しっかりと裏表が逆じゃないことを確認し、次は未だに唸っている辻野さんに目を向けた。
「……すまん、ちょっと触る」
そう呟いた俺は体を90度横に倒し、ハグするように辻野さんの背中に手を回した。
本当は直接確かめたほうが確実なのだが、流石に朝から生を見る気はない。
だから俺は辻野さんの背中に手を当て、手を当て……手を当て――
(……ん?)
――とある物がなかった。
これだけデカければ絶対につけるであろうあれが、こいつの体には備わっていなかった。
確かになんかいつもより柔らかいなとは思った。
確かにいつもよりも形がはっきりしてるなとは思った。
瞬間、嫌な汗が体全体から溢れ出る。
恐る恐る背中から離した手からも。その柔らかで形がはっきりしてる物に沈む腕からも。
(なんでこいつ、ブラしてないんだ……?)
なんてことが脳裏に過った瞬間、目の前の少女が目を開いた。
「……あぇ?崎守くん……?」
「…………」
慌てて背中に回していた手を離す。
そして直視していた顔を天井に向け、動かせる手で顔の横にある口が縛られたゴムを隠し持った。
「おはようぅ……」
「おはよう」
(俺はなにもしていない。俺はなにもしていない)
そんな暗示を言い聞かせながら。これはなにかの間違いだと思い込みながら。
「あの後すぐ寝ちゃったね……」
(あの後!?)
辻野さんの言葉に心臓が飛び上がる。
同じように目が見開かれる。
「やっぱり崎守くんの体……逞しいね……」
(逞しいね!?)
なにを言ってるんだこいつは!俺はなにもしていないんだぞ!うん、なにもしていないぞ俺は!!
小さく首を振る俺なんてメガネがない辻野さんには見えていないのだろう。
ふにゃっと頬を緩ませた辻野さんは俺の肩にグリグリっと頬を押し当て――
「私が生きてきた中で1番良い夜だったかも……」
「待て……待て!俺はなにもしていない!!」
誰に弁明しているのか。
ゴムをポケットにねじ込んだ手でバシッと勢いよく己のデコを叩きつける俺はグイーッと引っ張るようにその手を下げる。
「さ、崎守くん……?」
俺の驚きように目を見開く辻さんは上目遣いにこちらを見上げてくる。
「辻野さん。俺、なにもしてないよな?なにもしてないと言ってくれ……!」
「え?う、うん……。なにもしてない……よ……」
「よし、なにもしてない。うん。俺はなにもしていない」
「ど、どうしたの……?」
「いやなんでもない。辻野さんは俺がなにもしていないことを証言し続ければ良いんだ」
「う、うん……?」
あまりの焦りように目が覚めたのだろう。
キョトンと目を丸くする辻野さんは首を傾げる。
「よし、起きよう。今日も学校だし元気に行こう」
「もうちょっと寝たいんだけど……」
「なーに寝ぼけたこと言ってんだ!さっさと行くぞ!!」
「え、あ、は、はい!」
力任せに体を持ち上げる俺。
さすれば寝ているときよりも力が弱くなった辻野さんから簡単に腕が離れる。
その際に柔らかいものの1部に浮き出る硬いものが腕に当たった気もするが……気のせいだ!うん、俺はなにも触っていなければなにも感じていない!
「あ、朝から元気ですね……?」
ブンブンと顔を横に振る俺に、続けて体を起こした辻野さんが紡ぐ。
「朝型だからな!元気が有り余って仕方がないわ!!」
「そ、そうですか……」
若干引き気味の辻野さん。
だがそれでいい。その顔をすればすれだけ俺の安心感が増すのだから。
なぜかって?
1夜をともにしたやつに引き気味な顔を見せるかっての……!!
「一応もう1回聞くけど、俺はなにもしてないんだな?昨日の夜。辻野さんに対して」
「なにもしていませんよ。ただ……」
「……ただ?」
安心感が崩れる音がする。
言い淀む辻野さんは人差し指と人差し指を合わせ、目を泳がせ始める始末。
刹那に背中に感じるのは嫌な汗が垂れる感覚。
確かにこいつは『あの後』だとか『逞しいね』だとか意味深なことを言っていた。
(……まじで?)
『なにもしていない』と言っていたのはあくまで優しさ。
もしそうだと考えるのなら――
「……ただ、崎守くんを運ぶのが大変でした……」
しどろもどろに紡ぐ辻野さんはなぜか恥ずかしそう。
なにをどう感じ取ってどう解釈したらそっちが恥ずかしくなるのかは分からん……が!
「なーんだよ!そんなことか!」
(というかこいつに重いの概念があったんだな!)
別の安心感も同時に湧き上がる俺の心はふっと軽くなる。
やはり俺はなにもしていなかった。俺のチェリーは奪われていなかったんだ!
「そんなことってなんですか……!私の身にもなってください……!!」
「うんうんありがとありがと!いやぁほんと良かったよ。座った後からの記憶がなかったから怖かったんだよなぁ」
「……座った後……ですか?」
「そそ。多分その時に寝て、辻野さんが運んでくれたんだろ?まじでサンキューな!」
「…………」
意気揚々と立ち上がる俺なんて他所に、なぜか無言になり始める辻野さん。
そんな辻野さんにふと顔を向けてやれば――なぜか真っ赤になっていた。
「ん?どしたの辻野さん」
「……いえ、記憶がないのでしたら……別に……」
歯切れの悪い言葉は顔と一緒にそっぽを向く。
安心感に溢れかえる俺は首だけは傾げるものの、それ以上の詮索をする気はこれっぽっちもなく、辻野さんから顔を背けて扉の方へと歩く。
「あっ。さ、崎守くんの制服ですが、脱ぎっぱなしだったので洗面所でハンガーに吊るしています」
「おぉサンキューな〜!」
「はい……」
相変わらず歯切れが悪い辻野さん。
けれど気にすることもない俺は小さく手を振ってドアノブを捻った。
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