第11話 ドライヤー
「もう随分と乾いてきてますね〜」
「……まぁ、10分も放置してたらな……」
「ちゃんと乾かさないとダメですよ〜?」
「……おう」
正面の窓に反射する俺たち2人。
そんな窓に写る辻野さんを目を凝らして見てみれば、これ見よがしに頬を緩ませている顔。
今にも食べられるのでは?と勘違いしてしまいそうになるほどに緩んだその頬は無意識的に口を開けており、ジッと俺のつむじを見ている。
(……ただのスケベだな。ほんと……)
辻野さんが言っていたことは本当だったらしく、随分と髪を乾かすのが上手い。
非常に癪なのだが、あまりの気持ちよさに眠気が誘われる。
けれどその眠気をグッと堪える俺は姿勢を正し、太ももの間で握りこぶしを作った。
「どうしました?くすぐったかったですか?」
「……いや、なんでもない」
弛んだ口からつむじに降り注ぐ心配の言葉たち。
顔とのギャップから本当に思ってるのか?と疑問になるのだが、今はそれどころじゃない。
……というのも、今ここで寝ればこいつに襲われるのは目に見えているからだ。
これまでも幾度となく眠気が襲いかかる機会があったが、すべて堪えてきた。俺のチェリーボーイを守るために。
俺の初めては好きなやつとするって決めてるんだよ。
こんなやつとして溜まるかっての!
「はいっ!終わりです!」
ドライヤーの音が止むのと同時に聞こえてくる辻野さんの声。
窓越しにその姿を見やればこの上なく満足気に頬を緩ませているその顔と、もっと触りたそうに頭上で右往左往する今の今まで撫でていた右手。
「……ありがと」
そんな手たちに不信感を抱きながらも言葉を返す俺は窓から時計に顔を向ける。
そして眠気を覚ますために大きく伸びをして――
「――それでは私のをお願いします!」
満面の笑みでコンセントを挿したままのドライヤーを差し出してくる辻野さん。
冗談の欠片も見えないその顔は凛々しく、けれどその奥ではこの上なく弛んでいる。
(……最初からこれが狙いだったのか……?)
そんな疑問が浮かぶが、不純な感情しか伺えない顔からは答えが見つからない。
でももし、これが狙いだというのなら俺はまた負けてしまった。
ディーラーのイカサマに気付けなかった。
言われるがままにゲームをしてしまい、ほんの少しとはいえ、快楽を感じてしまった。
「……一応聞くけど、気にしないのか?俺に髪触られるの」
せめてもの足掻きだと言わんばかりに言葉を並べる。
……が、元々の狙いがこれな人間にその脅しが効くわけもなく、
「え?嫌じゃないですよ?むしろ嬉しいです!」
小説の知識だが、とある一説を聞いたことがある。
『女子が男子に髪を触らせるのは求愛行動の現れだ』と。
けどな?こんな事言っときながらこいつは俺のことを好きじゃないんだぜ?
なーにが『求愛行動の現れだ』だ。なーーにが『むしろ嬉しいです』だ!
こいつに求愛行動の欠片なんてひとつもねーよ!
というかこいつも勘違いさせることを言うんじゃねーよ!!
「……そか」
ジトッと湿った瞳を返す俺なんて気にしていないのだろう。
「ん!」とドライヤーを更に突き出してくる辻野さんの瞳はキラキラと煌めいている。
勝手とはいえ、髪を乾かされた手前断ることもできない俺はそのドライヤーを手に取り、電源をつける。
さすれば、パーッと花が咲くように目と口を大きく開く辻野さんは勢いよく俺に背を向け、おしりを跳ねさせてこちらに寄って来る。
(……子どもかよ)
そんなツッコミを心のなかで吐き捨てた俺は辻野さんの方に胸を向け、いつまこちらに寄ってくるのかも分からない肩を抑えて体の動きを止めさせる。
「その辺でいいぞ」
「――っ!ひゃっ、ひゃい!」
肩を触るや否や叫びに近い小さな変な声とともに肩を跳ねさせる辻野さんはこちらを振り返る。
「ど、どした?」
慌ててドライヤーの音を消した俺はこちらに目を向けてくる辻野さんに首を傾げる。
「い、いきなり肩を触らないでください……。びっくりします……」
「肩はダメなんだな……」
「当たり前です……!」
一体髪と肩の間にどんな壁があるのやら。
思わず苦笑を浮かべてしまう俺は再度ドライヤーに音をつけ、髪の根元に風を当て始める。
「あ、ごめん辻野さん。ちょっと下向いてくれる?」
「……下ですか?」
「うん」
俺の要望に素直に従ってくれる辻野さんだが、やはり疑問は残るのだろう。首を傾げたまま問いかけてくる。
「下向くのに意味ってあるんですか?」
「意味は知らんけど髪が長い人はお辞儀するように乾かしたほうが良いらしい」
「そうなんですか?元……もしくは今彼女さんに教えてもらったんですか?」
「……元も今も彼女はいねーよ。母さんに教えてもらったんだよ」
こいつに悪意があるのかどうかは知らんが、突然の嫌味に目を細めながらも疑問に終止符を打つ。
さすれば辻野さんは納得気にポンッと手を叩き、
「そういえば崎守くんのお母さんって美容師さんでしたよね。あと……ウィッグ?でしたっけ?それも売ってるんですよね」
「そそ。ついでにかつらも売ってるけど」
「崎守くんが将来被るやつですか?」
「かぶらねーよ」
折角きれいに伸びた黒い髪が絡まらないように指で梳かしながら丁寧に乾かす。
ずっと前に母さんに教えられたように。いつか『彼女にしてあげるんだよ』という言葉を思い……出しなが……ら……?
(……ん?今思えばこの会話といい、この雰囲気といい、この場所といい、俺ら付き合ってるも同然の状況じゃね……?)
ふと思うのはそんな疑問。
確かにこいつが俺に好意を抱くこともなければ俺もこいつに好意を抱くことは絶対にない。
だが、傍から見ればこれはどのように見えるだろう。
……確実に言えるのは友達以上の関係だということ。
「……なぁ、辻野さん」
「どうしました?」
ドライヤーで若干聞き取りづらくなる俺と辻野さんの声。
いつもよりもトーンが低い俺とは裏腹に、いつもよりもトーンが高い辻野さん。
そんな辻野さんは、テレビに写る俺の顔を見るために瞳だけを横に向ける。
同じように俺もテレビに目を向ければバチッと目が合い――不意に笑みが浮かび上がる。
「辻野さんは俺のことを友達としてみてるんだよな?」
「もちろんです!初めての友達ですし、たった1人の大切な友達です!」
俺の顔を見てのことだろうか。ニカッと笑う辻野さんは当然のことだと言わんばかりにつらつらと言葉を並べる。
「ならよかった」
スッとつむじに視線を戻す俺は風の威力を弱め、毛先の方へと仕上げをかけていく。
(友達ならラッキースケベも思わせぶりな行動はやめような?)
と心のなかで呟きながら。
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