第10話 この世にはポーカーというものがある

(ついに!ついにやりやがったぞ!あいつ!!)


 ソファーに腰を下ろした俺は入れ違いでリビングから出ていく辻野さんを横目に睨む。


 そんな辻野さんはいたたまれないような、申し訳ないような表情をしていた。


(いたたまれないのは俺だよ!)


 リビングの扉が閉まる音を耳に入れた瞬間、「はぁ……!」とため息を吐きながら両手におでこを乗せる。


 確かに予想はできた。

 あの展開は予想できた……が、前後に色々ありすぎて頭がいっぱいいっぱいだったんだよ!


 言い訳を何度も頭の中で反芻するが、そんなもので過去が変わるわけもなく、フツフツと湧き上がるのは後悔だけ。


「というかあいつ……!本気でやりやがったな……!」


『本気でやりやがったな』


 これを意味するのはひとつ。

 それは、己のラッキースケベを己の手で犯すということ。


 今の今まではあくまでも俺のラッキースケベを己の手で起こすということで快楽を得ていたのだろうが、それだけでは飽き足らず、ついに己のラッキースケベに手を出しやがったのだ!あいつは!


 ……なにを言ってるか分からないだって?

 じゃあここでひとつ、例を述べてやろう。


 この世にはカジノというものがあり、そのカジノの中にはポーカーというものがある。


 プレイヤーとディーラーに分かれているポーカーなのだが、カジノだとお金がかかるのは当然。


 そして倍でお金が返ってくることに快楽を感じるのは必然。


 けれどそれはあくまでもプレイヤー目線の話。

 ディーラー目線だと、なにを快楽だと感じる?


(答えは『相手の反応』だ)


 プレイヤーが負けた姿。勝った姿。

 プレイヤーのいろんな喜怒哀楽を見て楽しむのがディーラー目線であり、それを快楽とする者もいるだろう。


 そしてそれらをこの状況に置き換えてみよう。

 俺がプレイヤーで、辻野さんがディーラー。


 チャレンジャーである俺は、ディーラーの思い通りにならないために表になっているカードから数字を予測する。


 辻野さんのラッキースケベに付き合いたくない俺は、辻野さんが持っているラッキースケベの手札をすべて予測する必要がある。


 もし予測が的中してラッキースケベを食い止められたら俺は快楽を感じる。


 が、もし予測が外れ、辻野さんの思い通りになった場合、快楽を感じるのはディーラーである辻野さん。


 現に、お風呂場で俺の反応を見た辻野さんはリビングを出ていく際にすっげー頬を緩ませていた。


 謝ることなど忘れ、とにかく余韻に浸っていた。


(……ちなみに、そのポーカーの例え話には続きがあってだな?)


 もし、ディーラーが『イカサマ』をしていた場合、プレイヤーはどうする?

 答えは2つ。


『なすすべなし』か、『抗議を申し立てる』のどちらかだ。


 その台の頂点に位置するのがディーラー。

 プレイヤーがその台でイカサマに気づかず、そのゲームを終えてしまえば発言権などプレイヤーに存在しない。


 だが、ゲーム中にイカサマに気づけばプレイヤーは『抗議を申し立てる』ことが可能だ。


 けれどそれはあくまでも申し立てるだけであって、


 ディーラーが行ったイカサマの手法をプレイヤーが発言しなければ認められないし、見破ってもディーラーが首を横に振れば認められない。


 まぁカジノではお金がかかっているから防犯カメラやら隠しカメラやらでイカサマ対策はしているであろうが、お金がかかっていない場では『なすすべなし』しかプレイヤーには存在しないのだ。


 それが今、この状況。

 お金がかかっていない駆け引きに。たかが日常生活の駆け引きに防犯カメラも隠しカメラもあるわけもなく、イカサマをされた途端、プレイヤーの負けは決まっているのだ。


 だからな!俺が今、辻野さんに申し立てしたところでな!あいつは首を横に振るだけなんだよ!!


 どんなに俺が粘っても『不毛』の一言で終わらされてしまう。


「クソぅ!昔は俺がディーラー側だったのに……!!」


 果たしていつから立場が逆転したのだろう。

 俺が最後にラッキースケベを快楽と感じたのは中学の卒業式なんだが、それ以降か……?


 なんて事を考えていると不意に扉が開かれる。


「あれ?崎守くん?まだ髪乾かしてなかったんですか?」


 扉を潜ってソファーの後ろにやってくるのは少し大きめの白のTシャツを身に纏った辻野さん。


 服越しからも分かってしまうその膨らみはこちらを向いている。


「……」


 相当考え込んでいたのだろうか?


 ふとテレビの上にある時計に目を向けてみれば、確かに俺が風呂を出てから10分が経とうとしていた……が、多分これ、こいつが出てくるのが早いだけだぞ?


 首にタオルを巻いてコテンと小首を傾げる辻野さん。


 そんな辻野さんにジトッと細めた目を向ける俺なのだが、抗議を申し立てたところであしらわれるということを知っている。


 だからスッと視線を逸らした俺は腰を上げ、


「ドライヤーって洗面所だっけ?」


 ドライヤーの在りかを一応聞いた俺は扉へと向かう。

 さすれば更に首を傾げる辻野さんは片手を持ち上げる。


「ここにありますよ?ドライヤー」

「あー……ほんとだ……」


 チラッとそのドライヤーを視野に入れた俺は――クル〜っと視界を回して再度時計の方を見る。


「……?」


 そんな俺の姿に更に更に首を傾げる辻野さんの顔はついに90度を突破した。


(……直視できん……)


 思い出すのは洗面所での出来事。

 鮮明に想像できた辻野さんの水着姿が未だに脳裏にちらつく。


 あんな変な例え話をした意味がなくなってしまうほどに、辻野さんを目の前にするとあの水着姿の辻野さんがフラッシュバックする。


 というかなんでこいつはそんな平然としていられるんだよ。リビング出ていく時はヘニャヘニャだったじゃねーか。


「あー、っと。うん、ドライヤー貰うわ」

「……?は、はい……」


 誤魔化すようにはぐらかす俺に、戸惑いながらもドライヤーを突き出してくれる辻野さん。


 横目に見える黒縁メガネの中心にある目は心底心配に伏せており、あの歪んだ顔はどこへ行ったのやら。


「も、もし体調がよろしく無いのでしたら私が乾かしますよ……?」

「いや、別にそういうんじゃないから安心してくれ。俺の脳みそが悪いだけだから」


 目を合わせず言葉を返す。

 そして突き出されたドライヤーに手をかけようとしたその時――


「いえ!私が乾かします!」


 はっきりと紡ぐ辻野さんはグイッと突き出していたドライヤーを守るように身に寄せ、心配した眼差しはどこへ行ったのやら。


 ふんすと鼻を鳴らす辻野さんはしたり気に眉根を吊り上げる。


「私、髪乾かすの得意なんです!」


 俺の有無も言わせない言葉とともに肩を掴んだ辻野さんはクルッと慣れた手つきで俺の体を回し、「ささっ、座ってください!」といつになく意気揚々と高らかに言ってくる。


(……この10分でなにがあった……?)


 そんな疑問を抱いてしまうほどに横目に見える辻野さんの表情は明るく――そして歪んでいた。


「――っ!」


 身の危険を感じて慌てて体を離そうとする。……が、時すでに遅し。


 Tシャツから伸びる腕によって強引にソファーに座らされた俺はゴリラ相手に抵抗できるわけもなく、


「後ろ失礼しますね〜」


 美容師にでもなったつもりなのだろうか。

 俺の体を横に向けた辻野さんは悠々とした言葉とともに背後に回っていく。


 その際に鼻の下を潜るシャンプーの匂い。

 …………俺と全く同じの。


 確かにこの家にあるシャンプーとリンスーは一種類。

 節約のために親子ともに使っているらしく、俺も仕方なくそのシャンプーを使った。


(……だがな?問題はそこじゃないんだよ)


 なぜかこの家で使っているのは俺が普段から使ってるシャンプーなんだ。

 母親の影響もあって確かに女性にも使いやすいシャンプーを普段使いしてるぞ?


 でもさ。だからといって俺のシャンプーをそっくりそのまま使うか?

 というかいつ俺のシャンプー知ったんだよ。


(……もしかして母さんか?)


 なんて事を考えている暇にコンセントを挿し終えた辻野さんがドライヤーの電源をつけた。


 もうここまで来てしまったら抵抗する気力も起きず、されるがままに頭に手が乗せられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る