第9話 黒い水着
(このお湯は一体いつ入れたものなのだろうか)
チャポンっと音を立てながら淹れ立てホヤホヤのお湯に体を漬ける。
確かにちょくちょく辻野さんがリビングから出ていく姿は見ていたが、お風呂を洗うほどの時間はなかったし、お湯が入ったことを知らせる音楽も鳴っていなかった。
「……まぁいいか……」
冷水で頭を洗ったからだろう。
嫌に冷静になる脳みそと、やっと元に戻ってくれた例のぶつ。
冷え切った体に染み渡るお湯に身を委ねながら、「ふぅ」と大きなため息を空中に吐き捨てた。
ちなみに俺の服はマジであった。
辻野さんが嘘を付くとは思っていなかったが、もしかしたら別の男の服を俺のだといいはってるだけなんじゃないか?
なんて期待を胸に抱いていたのだが……スウェットのズボンも上着も……下着も……。
全部俺のものだった。
運良く下着はズボンと服によって挟まれていた。そして辻野さんの反応から察するに、俺の下着は見てはいないのだろう。
不幸中の幸いといえばそこまでなのだが、よく我慢できたな……あの痴女。
(俺の予想だと服どころか下着の匂いを嗅ぎまくると思ったんだがな……)
「流石に思いとどまったか……」
ボソッと湯気が舞い上がるお風呂場に言葉を投げかければ、見事に跳ね返ってくる俺の声。
そんな反響音に感化されるように天井からは雫が落ちる。
湯船に波紋が広がる。
それと同時に――洗面所の扉が開いた。
ガラガラガラっと音を立てながら。スリッパの擦る音を鳴らしながら。
「崎守くん?どうですか?」
「…………気持ちいよ」
嫌な予感を身に覚えながらもやおらに言葉を返す。
「そ、その……私も入っ――」
「ダメだ。絶対に」
一瞬で言葉を遮った俺は扉に向けて睨みを向ける。
『入ってもいいですか?』最後まで聞かなくても分かる言葉は今日に限った話じゃない。
この家の風呂に入る度に辻野さんはそんな言葉を口にする。
よくもまぁ飽きずに誘い続けるものだと一周回って関心すら覚えるのだが、だからといって一緒に入るわけがない。
「ど、どうして毎日断るのですか……?迷惑をかけた今日ぐらいは背中を流させてください」
しおらしい声は扉越しにもよく聞こえる。
いつまで制服なんだとツッコミたくなる白色のカッターシャツもモザイクドア越しによく見える。
辻野さんが紡ぐ理由はいつも似てるようで似ていない。
最初にお風呂に入った日は『初めての友達なので』とある日は『二人が入ったほうが早いので』また別の日は『お母さんに入ったら?と言われましたので』。
そしてその言葉の次に続くのが『背中を流させてください』という言葉。
どんだけ触りたいんだよ、とツッコミたくはなるのだが、聞くからに気を落としている女子相手に言えるわけがない。
「ダメなもんはダメだ。辻野さんも裸見られるの嫌だろ?」
「いえ、私は水着を着ます」
「……俺は裸なんだよ……!」
小声で漏らす俺は口元だけを湯船に付け、相変わらず扉を睨みつける。
服を脱ぐ様子がないことから察するに、俺が拒絶し続ける限りは入ってくることはないだろう。
(というか『一緒に入りたい』って持ち出すなら俺の水着も用意しとけよ……!!)
自分だけ用意周到なのはずるい。てかなんで持ってんだよ。
俺、中学時代から辻野さんとほぼ毎日いるけどプールだとか海に行くって聞いたこと無いぞ?
「そうですよね……。もしよければ崎守くんの水着もネットで購入しますよ……?」
「しなくていいよ!というか一緒に入るつもりはないし!」
「……そうですか……」
分かりやすくしゅんと声を落とす辻野さんなのだが、俺が気にしているのは『崎守くんの水着も』というところだ。
正直その言葉を前にすればしゅんとした姿などどうでも良くなる。
(だって俺と風呂に入りたいがためにネットで水着を購入したってことだろ?とんだ痴女じゃねーか!!)
ブクブクと泡を立てる俺は更に目を細め、ぶはっと顔を上げた。
「とりあえず、俺は辻野さんと入らないし入れない。すぐ出るからリビングで待っててくれ」
「分かりました……」
なんて言葉を残した辻野さんは踵を返し、モザイク扉の前から姿を消した。
そしてガラガラガラっと音がなる扉を耳に入れながら湯船から立ち上がる。
(あんな事があった今、ゆっくりと湯船に浸かれるわけがない)
恒例となっているお誘いだが、未だに慣れる気はしない。
そりゃ女の曲線美は一目収めておきたいぞ?揉むことしかしてこなかったあの胸も見てみたいし、すべすべであろう肌も触ってみたい。
……だがな?俺は痴女の思い通りになりたくないんだよ。
己のタイミングでその美貌を拝み、己の行動でその肌に触りたい。
傲慢だとは思うが、作り出した痴女の責任は絶対に取りたくないんだよ……!
だからここは我慢だ俺……!なんやかんや我慢できるはずだ……!
湯船から足先を離した俺はさっと体を流してドアノブを捻る。
そしてあらかじめ洗濯機の上においておいたバスタオルを手に取り、バスマットに着地する。
慣れた手つきで頭を拭き、体を拭く。
その間も、いつ扉が開かれても良いように警戒心を尖らせ、着替えを置いていた洗濯かごに目を向け――
「――っ!」
手を伸ばした先にあったのは黒色の――水着。
視界いっぱいに広がるその黒色は俗に言うビキニというやつ。
ご丁寧にも広げて置かれてあるその水着は膨らみを帯びた体にぴったり収まるように設計されており、見るからに露出度が高い。
そんな膨らみを帯びたビキニトップスとは裏腹に、これまたキュッと締まったビキニボトムス。
俗に言うTバックのビキニボトムスも、もちろん黒色で、中学生以来見ていないあのふっとい太ももを隠せるのか?と疑問に思ってしまうほど。
(というかあの胸も収まるのか?)
脳裏に浮かぶのはあの黒縁メガネの辻野さん。
このビキニを身に纏った辻野さんはポニーテールに髪を結わえており、ビーチをバックに照れくさそうに頬を赤らめている。
若干パツパツの胸部と股関節を恥ずかしそうに隠す辻野さんは、チラッチラッと黒縁メガネの間からこちらを見やる。
そんな光景が容易に想像できてしまうのは日頃からあの体に触れているからだろうか――
(――ってちがーう!!なーーにを想像してんだこの煩悩は!!)
バシンッと持っていたバスタオルを地面に叩きつけた俺は目を閉じて手探りで自分の下着を手に取る。
その際に触れた水着の感触が若干手に残るが、知らん!俺はなにも触ってない!!
「なんなんだよあいつは……!!」
下着を履きながらギロッと見つめる廊下に繋がる扉。
明らかに故意としか言いようがないこの状況は絶対にあの
わざと水着を俺の服がある洗濯かごに置き、自分が帰ったと油断させて水着で俺を脅かす。
(クソ!早速あいつの手のひらで踊らされてしまった!!)
怒りを発散するように再度目を閉じてぐしぐしと洗濯かごを漁る俺はズボンを取り出し、ギロッと扉を睨みつけながら履く。
絶対に水着だけは見ないぞ、と心に誓って。フツフツと湧き上がる悔しさと怒りを噛み締めながら。
「――ここに置いたのかな……?」
不意に聞こえてくるのは睨みつけている扉の外から。
その声の主は言わずとも分かる通り、あの忌まわしき痴女だ。
(なーにを自然風に装ってるんだ。ずっと聞いてたんだろ?その扉の外で!)
キッと睨みを向ける俺はノールックで服を掴み――
――ガラガラガラッと勢いよく扉が開かれた。
「……は?」
正直、入ってこないだろうと思っていた。
もし入ってきたとしてもノックのひとつぐらいするだろうと。勝手に開けたとしてももっとゆっくりと開かれるだろうと。
自分を基準にして高を括ってしまっていた……。
不意に俺の口から溢れる戸惑いを絵に描いたような言葉。
服を握り潰す力は計り知れず、けれどそれとは裏腹に見開いた瞳を……俺の体をパチクリと見つめている少女へと向けた。
「……え?」
再度零す戸惑いの声とともに慌てて己の体を服と腕で隠す。
そうして我に返ったのか、辻野さんも慌てて頭を振り、ズレたメガネを両手で治す。
「え……っと、え、っと。ふ、腹筋……綺麗……です、ね……?」
「別に褒められたいわけじゃねーよ!さっさと出てけ!!」
「あ!すみません!!」
勢いよく廊下を指差す俺に、辻野さんは大きく頭を下げてこれまた勢いよく扉を閉めた。
そして訪れる静寂。そんな静寂の中、
(あんの痴女!やりやがったな!!)
ふつふつと湧き上がる怒りとともに扉に向ける突き刺さるような睨み。
未だに隠す俺の体は氷のように固まり、けれど顔は無性に熱い。
そうして俺は慌てて服を着た。
目に見えぬ早業で。扉から寸秒も目を離すこともなく。
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