第8話 フェ――

「美味しかったです!」

「ちなみに作ったのは俺だけじゃないぞ?」

「わ、分かってます……けど、ここまで美味しいものが作れるのは崎守くんのお陰ですから……!」


 食事も洗い物も終わり、ソファーでグッタリと体を休める俺達。

 その中でもコロコロと表情を変える辻野さんはふいっと顔を逸らしたり俺の顔をジッと見たり。


 そんなに顔を動かして疲れないのか?なんてことも思うのだが、


(そういえば中学の頃からこんな感じだったな)


 ぐでーっとふかふかなソファーに体を埋めながら結論に居たった俺は横目に辻野さんを見やる。


 未だにチャーハンの美味しさの余韻があるのか、若干緩んでいる頬とは裏腹に、自分の腕前の低さを責めるように伏せる眉根。


「辻野さんもいつか上手くなるよ」

「いつかじゃダメですよ……!崎守くんに迷惑かけるわけにもいきませんし……」


 辻野母がいない時に俺がこの家に呼ばれる理由。

 大体察せるとは思うが、辻野さんが料理ができなすぎるから。


 初めて辻野母と会った時に真っ先に聞かれたのが『崎守くんって料理できる?』だった。


 その時に頭を縦に振ってしまったのが俺の人生の過ちだったのだろうが、自負してる料理に対して嘘をつけると思うか?


(答えは否だ!)


 相手が一人前の料理人だろうが、相手が三つ星レストランのシェフだろうが、俺は『料理が得意です』と胸を張って言うだろう。

 立場とか年とか関係なく、俺は料理が得意で、料理が好きだ。


 ん?ラッキースケベ狙ってるやつが料理にプライド持ってるのが変だって?

 うっせ!こちとら俺の飯食った時のあの緩んだ顔を見るために生きてんだよ!


 ……まぁ、こいつもよく頬を緩ませてくれるんだが……なんというか、こいつ相手だとむず痒くて仕方がない。


 だって痴女相手に料理を振る舞って、女優顔負けの頬の緩みを披露されるんだぞ……?


 ……正直言ってそのギャップにやられてしまいそうになるからあんまりこの家に来たくないのだ。……が、かといってこいつが1人で料理作れるわけもねぇしなぁ〜!!


 という感じで嫌々来てる俺だが、別に迷惑だとは感じていない。

 だから俺はふるふると頭を横に振り、


「別に迷惑じゃないよ。辻野さんが美味しいって言ってくれて嬉しいし」


 思ってることをそのまま口にしてやった。

 さすれば慌ててふいっと顔を逸らした辻野さんは……なぜか頬を赤くして指先と指先を合わせて弄り始める。


「そ、そんな……。嬉しいだなんて……」


(ん?俺、変なこと言ったっけ?)


 なんて疑問を脳裏で考えながらも苦笑を浮かべた俺はとりあえず「アハハ」と空笑いを披露した。


「そ、そんなことよりも崎守くん……!お、お風呂!お風呂に入ってください……!」

「……突然だな?」


 本当に突然だった。

 合わせていた指先を離したかと思えばふと思い出したかのように俺の顔を見つめ、口を切ってきたのだ。


「というか俺、着替えないぞ?」


 続けて言葉を紡ぐ俺は苦笑から懐疑的な表情に変え、首を傾げる。

 さすればなぜか首を傾げ返してくる辻野さんは不意に天井を指差した。


「私の部屋にありますよ?


 刹那、全身に鳥肌が立った。

 食事の場で嗜んだはずの辻野さんの顔なんてふっとばし、全身に張り巡らされる鳥肌に意識を向けざるを得なかった。


 慌てて身を抱き寄せる俺は辻野さんから距離を取り、見開いた目をキョトンと首を傾げる辻野さんへと向ける。


(こ、こいつ!ついに手を出したな!?痴女プレイに収まらず、ついに俺の下着やら服までに手を出しやがったな!!)


 心のなかで叫ぶ俺はパクパクと声が出ないでいる口を動かし、


「い、いつ奪った……?」


 恐怖が入り交じる声がやっと口から飛び出してくれる。

 俺の記憶が正しければ辻野さんの家に服を置いて帰ったことはない。


 何度か風呂に入ることもあったが、その時はちゃんと着替えを持ってきていたし、帰るときもちゃんと全部あることを確認して帰った。

 ……なのにも関わらず、なぜこいつの家に俺の着替えがある……!?


 未だにキョトンと首を傾げる辻野さんは――刹那、見る見るうちに顔を赤くし、天井を指差していた手を勢いよく顔の前で振り始める。


「ち、違います!!誤解です!そ、そんな……わ、私が崎守くんの服を取るような女に見えますか……!?」

「うん」

「『うん』ってなんですか!即答しないでください!!」


 俺の即答に反応を返すのはこれまでに聞いたことのない声量で弁明しようとする辻野さんの姿。

 けどごめん。どう足掻こうが、痴女プレイをするやつの信憑性なんて皆無だぞ?


 見開いた目からジト目に変貌させたからだろう。

 信じられないものを見たかのように大きく眼を開く辻野さんは、バンッとソファーに両手を叩きつける。


「ち、違いますからね!?ほんと!違います!!」


 動揺して冷静な判断ができていないのだろうか?

 どしどしと四つん這いでこちらに迫りよってくる辻野さんの顔は真っ赤。


 未だに制服なのが幸いだったが、


(これがTシャツだと考えると……って違う!今はラッキースケベもどきに構ってる暇じゃない!)


 グルグルと渦巻く辻野さんの瞳。

 すっかり目元からズレてしまった黒縁メガネ。

 揺れるソファー。


 迫りよってくる数々から逃げようと更に後退りするのだが、ソファーの広さなど計り知れている。

 ほんの一瞬でアームレストにぶつかってしまう俺の腰。


 そんな姿をチャンスとでも見たのだろう。

 グワッと狐が獲物をとらえるように跳ね上がった辻野さんは大きく腕を広げ――俺の胸に抱きついた。


「つ、辻野さん!?な、はい!?」

「違うから……!ほんとに……!!」

「分かった!分かったから離れてくれ!というかなぜ抱きついた!?」


 グリグリと胸にデコを押し付けたかと思えば、グイッと顔を上げて俺の目を見上げてくる。

 その瞳は言わずもがなグルグルと渦を渦巻いており、目の端には薄く涙が広がっている。


 耳どころか首までもが赤くなっているその顔は小さくふるふると横に振っており、是が非でも誤解を解きたいのが伝わってくる。

 ……のだが、今はそれどころじゃないだろ!


 多分、俺までもが今、目をグルグルと渦巻いていると思う。

 視界が定まらない俺の瞳はどこを見れば良いのかも分からず、辻野さんの目を見たりつむじを見たり、お腹にすっごい肉厚がのしかかる果実を見てみたり。


「と、とりあえず落ち着いて!落ち着いて辻野さん!!」

「落ち着いてます!私はいつでも落ち着いてます……!」

「嘘つけ!!」


 ぐいーっと辻野さんの肩を掴んで引き剥がそうとしてみるのだが、やはりこいつはゴリラなのかもしれない。


 どんなに離そうとしても一向に背中に回る辻野さんの腕が剥がれることはなく、それどころか『離れたくないです!』と言いたげに胸に頬をグリグリと押し付けてくる。


「分かった!分かったから!!一旦落ち着こう!!」


 これ以上頬――よりも柔らかい果実を押し付けられてはこれまで反応しなかったものも立ち上がってしまう可能性がある。

 だから俺は辻野さんの肩から手を離し――


 ――パンッ!


 手と手を叩き合わせて破裂音を鳴り響かせた。


 さすればビクンッと跳ね上がる先程まで掴んでいた肩。

 まるで金縛りにでもかかったかのようにピタリと動きが止まった辻野さんの顔はズルズルと落ち、俺のお腹に顔を埋める。


 そして例の果実はというと、反応を阻止している例の物に重圧をかけた。

 慌ててその位置から動かそうと腰を上げるのだが、


「……本当に違うんです……。お母さんが昨日『これ崎守くんの服だから置いといて』って言って来たんです……。だから崎守くんも知ってるのかと思ったんですけど……知りませんでした……」


 モゾモゾとお腹の中で口を動かす辻野さん。

 ずり落ちた顔とともにおでこへと登り上がった黒縁のメガネは辻野さんの代わりに俺の顔を見る。


「……これもそれも全ては辻野母のせいか……」


 上げようとしていた腰を下ろし、こちらを見るメガネに言葉を返した俺はアームレストに肘を置き、楽な姿勢を取る。


 そんな安心感からだろうか。反応しそうになっていた例の物はしんなりと萎み、勇姿を見せることはなかった。


「……その、ごめんなさい……」

「いや、全然大丈夫。なんなら理由もなにも聞かずに警戒してしまった俺の方が悪いし」

「……いえ、元を辿ればお母さんが悪いので……」

「まぁ……そうだな……」


 麻雀で自風牌じゃなくてもロンされる可能性があるように、辻野母が俺の服を勝手に持ち出すという展開は予想できた……はずだ……!


 というかなーにしてくれてんだ!?あの人は!

 俺の服を勝手に持ち出して、挙句の果てには辻野さんの部屋に置いている?男物の服を女子の部屋に置いてる?


 あまり人の親を悪くは言いたくないのだが、今だけ言わせてくれ。


(とんでもねぇ母親だな?)


 母さんも母さんだ。なぜ止めなかった。

 辻野母の奇行は嫌でも分かるはずなのに、それをスルーしたんだろ?母さんは。


 ……ほんと2人揃ってとんでもねえ奴だな。


 怒りよりも先に呆れがやってくる俺の頭はメガネから天井を見上げ、アームレストに全体重を預ける。


 ――そして気付いた。


 倒れ込む辻野さんの顔がお腹にあるとはいえ、おヘソの辺りでほぼ下半身と言っても過言ではない。


 そして、あのたわわなお胸があるのは俺の例の物の上。厳密には股関節に乗っかっているのだが、四捨五入すればほぼ乗っていると言っても過言ではない。


 ……極めつけには俺の姿。安堵の息を漏らす俺は背後に肘をつき、楽な姿勢を取っている。


 前後の会話と出来事を見てる人ならなんとも思わないだろう。

 ……だが、ソファーの背もたれ越しに見た俺達はどう見える……?


 こんなの、こんなのもう、


(フェ――)


『ラ』まで心のなかで言い切る前に慌てて辻野さんを退けた俺は立ち上がり、謎の罪悪感を背負いながらクルッと辻野さんに背中を向ける。


「そ、そろそろ言われた通りお風呂に入ろうかな?疲れちゃったしな?」

「な、なぜ疑問形なのです……?」


 突然体を起こされたことにパチクリと瞬きをする辻野さんは俺の背中めがけて口を切る。


 もちろんそんな疑問に言葉を返すことをしない俺は誤魔化すように腰に手を当て、首だけを振り返らせる。


「確か辻野さんの部屋に俺の服があるって言ってたよね?勝手に漁るのも野暮だし、部屋のどこにあるか教えてくれない?」

「そ、それなら私が取ってきますけど……」

「いや!流石に下着を見られるのは恥ずいから俺が行く!」

「なら私もついていきま――」

「いんや!手間を掛けるわけには行かないから良いよ!」


 辻野さんの言葉を遮って言葉を紡ぐ俺は服で隠しながら、ごく平然とソファーの後ろに回り込んで背もたれに手をつく。


 いかにも不思議と言わんばかりの俺の行動に小首を傾げる辻野さんはおでこにあったメガネをスチャっと両手でかけ直し、上を向くようにこちらを見上げる。


「崎守くん……?本当にどうしました……?」

「全然気にしなくて大丈夫!ちなみに場所は?」

「扉を潜ってすぐ左のタンスの上にありますけど……」

「よし!じゃあ風呂入ってくるからゆっくりしてていいぞ!」

「は、はい……」


 人様の家なのにも関わらず俺が仕切っているこの状況に更に首を傾げる辻野さん。


 俺からすれば勝手に部屋に入ることにツッコんでほしいのだが……来る度に入ってるからもう気にしてないのか……?


 そんな疑問とともにリビングを後にした俺は玄関の前にある階段を登り、辻野さんの部屋へと向かった。


 この後に起こる展開なんて予想もせず。相手の捨て牌も見ず、なんの考えもなしに牌を捨て続けてしまった。

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