第6話 驚いた顔を見たかったようです

「――ふんっ!」


 わざわざ口で怒りを表現するのは未だに頬を膨らませている辻野さん。


 そんな辻野さんはキッチンに立ち、エプロンを巻いている。続くように俺もなぜか辻野母に買われたエプロンを腰に巻く。


 どうやら辻野さんいわく、材料は冷蔵庫に揃っているらしい。

 買い物にいく手間が省けたと考えれば良いのだが、辻野さんの機嫌をお菓子で取れないと考えればマイナスだ。


「辻野さん?そろそろ機嫌直してくれても良いんじゃない?というかなんでそんなに怒ってる……?」


 一向に目を合わせようとしてくれない辻野さんに思わず苦笑を浮かばせてしまう俺なのだが、不意に辻野さんは黒縁の眼鏡の間から俺を見やった。


「……崎守くんの驚き顔がもう一度見たかったんです……」


 恐る恐る紡がれた辻野さんの言葉は準備していたまな板に落ちる。


 さすれば食材の調理方法が難しいからだろう。苦笑だった俺の頬は無意識のうちに引き攣り、その言葉を見下ろしていた。


(まじで克服しててよかった……!)


 安堵とともに心のなかで叫ぶ俺は辻野さんからは見えない拳をグッと握り、そして辻野さんに目を向ける。


「俺の驚いた顔見て楽しいものか?」

「もちろんです!」


 フンスと鼻息を立てる辻野さんの顔からは不機嫌など消え、なぜか誇らしそうに胸を張っている。


 心底分からん少女の心境に思わず苦笑を浮かべてしまう俺なのだが、その少女は至って真面目なようで、


「崎守くんが分からなくても、私が分かっているのでいいです」


 若干膨らまされた頬は不意にフイッとその頬を背ける。


「まぁ、うん。色々と気になるところはあるけど……さっさと作るか」

「……ちなみになにを作るんです?」


 顔を背けたかと思えば、覗き込むように俺の顔を見上げてくる辻野さん。


「……すき焼きじゃないのか?」


 俺の聞き間違えでないのならば、こいつは確かにすき焼きを食べたいと言っていた。

 というか確実に言った。俺の耳が鮮明にこいつの甘ったるい声を覚えている。


 思わず口に出してしまった俺の疑問なんて他所に、逆に首を傾げ返してくる辻野さんは、


「……そんな材料、うちにありませんよ……?」

「じゃあなんで言ったんだよ……!」


 キョトンとごく当然なことを紡いだ気でいる辻野さんに対して溢れ出る小声。


 そんな小声に特に反応を示さな……いや、若干顔が赤くなってるな?こいつ。


「……私はお母さんの指示に従っただけです……」

「……お母さんの指示?」


 ふいっと顔を背けたかと思えば、突然持ち出されるのは辻野母の話題。


 思わず先程の辻野さんのように小首を傾げてしまう俺なのだが、続けて紡がれる言葉によって眉間にシワを寄せざるを得なくなった。


「……お母さんが『崎守くんの耳元ですき焼きって囁やけば良いもの見れるよ』って……」

「…………なるほど」


 よくもまぁ1日2日しか会っていないやつの――元とはいえ――弱点を知ってるな?


(……いや、母さんが伝えたのか……?)


 なんて疑問が脳裏によぎるのだが、不意に目の前の少女が頭を下げたことによって思考が中断されてしまう。


「ご、ごめんなさい……。その、崎守くんの面白い姿が見たくて……血迷ってしまいました……」

「あーいや、うん。全然大丈夫だよ。……相変わらず色々と気になるところはあるけど……」


 俺の言葉を聞いてか、すぐに頭を上げてくれる辻野さん。だが、相変わらず眉根は伏せたまま。


 俺をからかうがために『すき焼き』と囁いたわけでもないのになぜここまで凹んでしまうのか。


 ……まぁ、その理由はこいつが優しい人間だからだろうなんだが……『痴女で優しいって矛盾してるだろ』とツッコミたくはなる。


 痴女なら痴女なりに傲慢であったほうが扱いやすいんだがな?

 だからこうして謝ってくるのは解釈の不一致がすぎる。


「で、でもぉ……」


 こうして涙目を向けられると更に困るんだよ……!!


 こめかみに指を当てる俺は天井を仰ぎ、なぜピュアのままで育てなかったのだろうと過去の自分を呪う。


 確かにこいつのコミュ力がついたほうがモテるとは思った。……が、少し方向性を間違えてしまった。


 クソぅ!なぜ俺はこいつをラッキースケベの標的にしてしまったんだ!

 いやこいつが天然だったのが悪いか!?


 黒縁メガネと前髪の間から覗かせる眼差しがズシズシと俺の顔面に突き刺さる。

 さすれば更に込み上がってくる罪悪感。


(なにか打開策を――)


 思考を動かそうとした時、辻野さんの家には絶対に恥ずかしいであろう音が鳴り響いた。


 ――ぐぅうう


 音の正体はお腹から。それも辻野さんの。

 音に釣られるようにこめかみから手を離した俺はお腹を見やり、そして辻野さんの顔を見る――


「――っ!やっ!そ、その……!あぅ……」


 俺と目が合うや否や耳まで真っ赤にさせた辻野さんはあたふたと顔と手を振り、そしてお腹を抑えて俯いてしまった。


「……お腹すいた?」


 ――コクッ


 目の前で絵に描いたような動揺を見せているやつがいるからだろう。


 嫌に冷静になる俺の思考は小さく頷く辻野さんをしっかりと視界に入れ、フル回転させる。


「じゃあ……とりあえず作ろっか?ナメの煮付け」


 ――コクッ


(いや気づけよ……!)


 わざと『アイ』という言葉を強調してやったというのに、自分のことで精一杯の辻野さんは頷くことしかしてくれない。


「……」


 渾身のボケがスルーされたからだろうか?

 無意識に熱くなる俺の顔は赤くなった辻野さんから背け、冷蔵庫へと向かった。


「開けても大丈夫か?」


 ――コクッ


 そうして俺は冷蔵庫を開けた。

 熱くなる顔を冷ますように、できるだけ顔を前に突き出して。

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