第4話 絶対に行きたくないのに!
学校も終わり、6月だからかまだ青い空の下。
和人と別れた俺は家のドアノブを握る。
いつもなら辻野さんも一緒に帰っている――勝手について来ている――はずなのだが、色々とあった今日だ。
流石に放課後まで相手する元気は俺にはなかったため、ほんっっっっとうに申し訳ないとは思っているが、辻野さんには『和人と2人きりで話したいことがあるから今日は2人で帰っても良い?』と説得させてもらった。
さすればいくら辻野さんとはいえ、人のプライバシーに踏み込む勇気はなかったらしくひとつ返事で『分かった……』と眉根を下げて分かりやすく残念そうな顔とともに返してきた。
「良心が傷つくと言ったらありゃしない……」
そんな呟きとともに玄関を潜った俺は「ただいま」と母さんがいるであろうリビングに向かって声を掛ける。
「おかえりー!」
テレビでも見ているのか、MCの声とともに聞こえてくる母さんの声。
近所迷惑になるんじゃないか?と思ってしまうほどにMCの声と母さんの声は大きく、けれど俺が注意する暇もなく、母さんは言葉を付け加えてくる。
「優夜ちょっとこっち来てー!」
「ん?」
タイミングよくドアノブを握っていた俺は母さんの言われるがまま扉を開き――
「今日さ、辻野さんの家でご飯食べてきてくれる?真穂ちゃんのお母さんいないんだってさ」
――母さんの言葉を聞いた瞬間その扉を閉めた。
もう1つ、過去の俺をぶん殴りたい理由がある。
それは、『辻野さんと仲良くなりすぎだ』ということ。
中学の辻野さんを知っていれば分かると思うが、あいつに友達など1人もいなかった。
どうやらそのことを家の人も心配していたらしく、数日に数回辻野さんに聞くらしい。
『友達できたー?』と。
デリカシーの欠片もない言葉をほぼ毎日聞くな、と言いたいところなのだが、我が子が心配になる気持ちもわかる。
(でも!その言葉のせいで俺は辻野さんに紹介されたんだ!)
俺は中学の頃、そんな辻野さんを見かねて『友達じゃん』と口走ってしまった。
その結果、辻野さんに『私の家に来て欲しい』と言われ、『君が真穂の初めての友達だね!?』と手を握られ、『ぜひ君のお母さんにも合わせてほしい!』と言われ、あれよあれよと家族仲は良くなり、たまに家族揃って会うほどに……。
クソ!過去の俺はなにをしてんだよ!
かもしれない運転があるように、こうなることも予測しろよ!
力強くドアノブを握る俺は脳内で中学生姿の己をコテンパンにする。
そうして聞こえてくるのはテレビの電源を消した母さんの声。
「照れ隠しでもしてるの?まぁ真穂ちゃん可愛いから優夜の気持ちも分かるよ〜」
(分かってねーじゃん!)
なんてツッコミは母さん相手にできるわけもなく、ただ無言でドアノブを握ることしかできなかった。
「真穂ちゃんママが心配性だからねぇ。今日だけは我慢してあげて〜」
今日だけ?一ヶ月にこの日が何度あることか!
そしてなんで俺のことなのに母さんが勝手に了承するんだよ!
ガタガタと揺れる扉を固定し続ける俺。
扉を開けようとドアノブを回そうとする母さん。
防戦一方としか表現できないこの状況に終止符を打ったのはひとつのインターホンの音だった。
「……」
「あらっ、お迎えかしら?」
無言の俺に対し、母さんの跳ねる声が扉越しに聞こえてくる。
どんなに粘っても、どんなに嫌だと言っても、結局はこのインターホンで俺の行動のすべてが水の泡となる。
強引に回ろうとしなくなったドアノブは軽くなり、遠く離れた母さんの声はピッと音が鳴る機械へと向けられた。
「いつもお迎え来てくれてありがとねぇ。真穂ちゃん」
今一番聞きたくない言葉が耳に降り注がれる。
慌てて玄関前から退避しようとドアノブから手を離したのだが、時すでに遅し。
「――扉開いてるから入っちゃって〜」
母さんの声が鮮明に耳に響く。そして次の瞬間、脱いだ俺のローファー靴に光が差し掛かった。
「あっ、崎守くん」
玄関から顔を出したのは辻野さんの目を丸くした顔。
学校で嫌というほど見たその黒縁メガネと黒い髪とでっけー胸はジッと俺の顔を捉え、逃げ道なんてどこにもない。
「……うっす」
今の俺は多分、心底細めた瞳を辻野さんに向けていると思う。
だってそれほどまでに嫌なんだから。あの家に行くのが!
けれどそんな俺に有無を言わせないのが辻野さん――と母さん。
すっかり手を離していたドアノブが回り、笑顔とともにパーカー姿の母さんが現れた。
「真穂ちゃん久しぶりだね〜」
「あ、は、はい……。お久しぶり……です……」
(このクソ陰キャが……!!)
なんで俺相手だと普通に話せるのに、母さんが相手になった途端そんな詰まり詰まりの言葉になるんだよ!
意味が分からん。ほんっっと心底意味が分からん!!
そんな感情がオーラに出ていたのだろうか。辻野さんに向けていたはずの視界に母さんが突然現れ、
「随分嬉しそうね」
「……そう見えるか?」
「もちろん」
全く的外れの言葉をかけてきやがった。
一体どこをどう見たら俺が嬉しそうに見えるのか――っておい目の前の女!なんで頬を赤らめてやがる!
赤くなった頬を隠すためか、ふいっと顔を背ける辻野さん。
当然そんな辻野さんに背中を向けている母さんが気づくわけもなく、ポニーテールに結んだ髪を揺らした母さんはなぜか腰に手を当てる。
「真穂ちゃんママから聞いてるよ?学校でも随分と真穂ちゃんと仲いいらしいね?」
「…………別に」
「照れ隠ししなくて良いのよ〜」
辻野さんに習ってふいっと顔を逸らす。
さすればニマニマと笑みを浮かべる母さんは息子の照れ顔を目に焼き付けようと顔を覗かせてくる……のだが、生憎俺は照れてもいなければ顔を赤くもしていない。
じゃあなぜ俺が顔を逸らしたかって?
……それは家に帰ったはずの制服姿の少女が見るに耐えないほど顔を真っ赤にさせているからだよ。
横目でもはっきりと分かる。あの耳まで真っ赤にした顔。緩んだ頬を。嬉しいと言わんばかりに下がった眉尻を!
これ以上その顔を見ていたら俺までもが恥ずかしさで顔を赤くしてしまう。
(だから逸らしたのだに……!なぜこの母親は着いてくる……!!)
クッと歯を食いしばる俺なんて他所に、「どれどれ〜?」と別の意味で頬を緩ませる母さんが俺の視界に入り、逃げるように俺は更に顔を背ける。
そんな状況で顔が真後ろを向いた頃。可動範囲的にも限界を迎えた俺の首は、バチンッとまるでゴムが弾かれたように正面に向けられ――
「行くならさっさと行くぞ!辻野さん!今日はなにが食べたい!」
――壁に向かってカバンを転がした俺は未だに真っ赤な辻野さんの横を通り過ぎながら紡ぐ。
さすれば、なぜか満面の笑みに変えた辻野さんは俺に続くように回れ右をし、腰を落としたかと思えば靴を履く俺の耳元へと口を近づけた。
「(すき焼きが食べたいです)」
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