第3話 俺の周りに集まるのはピュアなやつばかり

 昼食時。いつものように購買でパンを購入した俺は友人――霧島きりしま和人かずと――と共にパンを頬張っていた。

 ……隣から感じる視線を無視しながら。


「なぁ優夜ゆうやさんやい」

「ん?」


 不意に聞こえる俺の名前に、ごく自然に反応を返す俺は齧り付いたパンとともに顔を上げた。


「なんで現国のとき遅刻した?」


 聞かれるのは友人として当然の質問。

 果たして心配しての言葉なのか。はたまたただ単に気になったのかは分からない。


 が、遅刻したのだから聞かれて当然の質問……なのだけれど、答えにくいと言ったらありゃしない。


 だって『辻野さんの胸を揉んでいました』と言ってみろ?

 叫ばれては暴れまわられ、挙句の果てには辻野さん本人に聞きに行ってしまわれる始末。


 そんな未来が簡単に想像できてしまうからこそ、俺は言葉を濁しながら紡いだ。


「……ちょっとトイレにな……」

「もしかして大?」


 俺の濁した言葉が帰って言いづらさを彷彿とさせたのだろう。

 食事中だというのに単刀直入に聞いてくる和人にジト目を向けながら頷いた。


「まぁ……そんなところだな」

「ほへ〜」


 疑う素振りすら見せない和人は大きな口を開けてパンに齧り付く。

 そうして咀嚼する和人から自分の手にあるパンを見下ろし――横目に少女を見た。


 未だに感じる視線。

 その正体は言わずも辻野さんであり、その辻野さんはまるで俺をおかずにするように弁当を頬張っている。


 でも俺を直視しているわけではなく、チラッチラッと横目を向ける程度。

 流石にひと目が付く場所で痴女行為ラッキースケベをするのは恥ずかしいらしく、この教室は俺にとって安息の地である。


(多分、和人がいなかったら今頃辻野さんに呼び出されたんだろうな……)


 心のなかで和人に手を合わせるのと一緒に『絶対に休まないでください』とお願いを込める。


 そんな俺の心を読んだのか、こちらに目を向けてくる和人は喉にパンを通し――


「でも辻野さんと一緒に戻ってきたくね?」

「辻野さんもトイレ行ってたらしいよ」

「それは俺も考えたんだけどさ?心做しか辻野さんの顔が赤かったから2人でなにかしてたのかな?って」


 ――刹那、悠然と受け答えしていたはずの口角が凍りついてしまった。


 どうしてトイレに行ったと考えた後にその思考に至ったのか。どうしてトイレに行っていたと信じ込まなかったのか。

 色々とツッコみたいところはある。……いやありすぎる。


「ん?優夜?」

「あ、お、おう……。なんもしてねーぞ……?」


 首を傾げる和人の声で我に返ったのはいいものの、返した言葉がダメだった。


 怪しいと言わんばかりのその言葉は和人の首を更にかしげさせ、不意に俺ではなく、隣の辻野さんを見た。

 瞬間慌てて目を逸らした辻野さんが視界の端に入ったのだが……どうやら和人は気づいてないらしい。


「……怪しすぎないか……?」


 こちらに目を戻した和人が紡ぐ。

 だが、否定しかすることができない俺は和人と同じように首を傾げ返した。


「逆に俺らがなにかするように見えるか?それも学校で」

「うん」


 和人の言葉は即答だった。

 苦笑を浮かべる俺は「しねーよ……」ととりあえずの言葉は返すが、現在進行形で俺の心臓はバクバク。


(というか俺と辻野さんそんな風に見られてたのかよ)


 平然の顔つきでパンに齧り付く俺なんて他所に、未だに首を傾げる和人がズイッと顔を近づけてくる。

 まるで俺のパンに食らいつくように。


「嘘ついてねーか?」

「俺がつくように見えるか?」

「うん」

「……即答かよ……」


 ジッと睨みを向ける俺に動じる様子も見せない和人はやり返すように目を細めてくる。


「……そんなに疑うなら直接聞いてみな?なんもしてねーから」


 小さくため息を吐いた俺は流し目に隣の少女を見やる。


 さすればまさか自分に飛んでくると思っていなかったらしく、小さく肩を跳ねさせた辻野さんは錆びた歯車のようにやおらにこちらに顔を向けてくる。


 その姿、顔から分かるのは絵に描いた動揺。

 そんな姿を和人がどう受け取るかはわからない。だが、あまり話したことがない2人。

 踏み込んだ会話は特にしないはずだ。


「ほんと?辻野さん」


 辻野さんの動揺なんて気にしていないのだろう。

 コテンと首を傾げる和人は単刀直入に問いかける。


 そうすれば辻野さんは当然のように首を横に振り――


「や……そ、その……なんと言いますか……」


 ――おい振れ。横に振れ!


 心のなかで叫ぶ俺は凝視を辻野さんに向けるのだが、陰キャがまだ顕在している辻野さんの視線は斜め下を向いている。


 そんなことをされれば当然俺の眼力などに気づくこともなく、タジタジと言葉を紡ぎ続けた。


「私がドジでコケちゃって……それを崎守くんが助けて……くれた……感じですかね……?」

「ほーん?優夜が辻野さんを。助けたと」


 俺の嘘をはだけさせるように紡ぐ辻野さんをキッと睨みを向ける。さすればそんな俺に懐疑的な瞳を向けてくる和人。


 頬杖をつき、細めた和人の視線に思わず目を逸らそうとしてしまうのだが……和人がそれを許すわけもなく、


「おーい優夜くん?こっち見れる?」


 パンを置いた手の人差し指を立てて机を突く。

 その音は拳で机を叩いたときよりも大きく、分かりやすく怒りを表現していた。


「……っす。なんすか……」

「なんすかじゃねーよ!なーんで隠してたんだ!!」


 短い髪を視界に入れれば、ハリセンボンのように立ち上がって怒声を浴びせてくる。

 別にそこまで言わなくてもいいじゃんとは思うのだが……嘘をついている俺に発言権があるわけもなく、


「すみません……」


 頭を下げることしかできない俺は残り少ないパンに齧り付けないでいた。


「助けたなら胸張って言えよ!お前らのからさ!!」

「恋とか大げさな……」

「いーや!助けたのならそれはもう恋の始まりだ!」

「……少女漫画の見すぎだろ……」


 こうして怒声を浴びせてくる和人なのだが、この会話からも分かる通り結構ピュアなところがある。


 というか俺の周りに集まるやつは大体ピュアだ。いい意味でも、悪い意味でも。


 ちなみに和人が悪い例のひとつだ。

 なーにが『恋の始まりだ』だよ。なーーにが『全力で応援するから』だよ。

 てかわざわざそれを隣のやつにも聞こえるように言わんでいいし。


「少女漫画以外でもラノベとかでそういうの多いだろ!」

「かもしれんけどそれは二次元だろ……」

「二次元でなにが悪い」

「ここは三次元だ」


 なぜラノベやらアニメやらを見ているこいつがピュアなのか。

 それはこいつの読む本の9割が先程から会話でも出てきている『少女漫画』に埋め尽くされているからだ。


 というのも、こいつの家庭は父親を除けばすべて女性に埋め尽くされている。

 4人兄弟だというのにも関わらず、生まれてくる子どもはすべて女。


 4人目にしてやっと和人が生まれてきたってわけなのだが……それまで女しか生まれてこなかったせいでか、家にある本は大体が少女漫画。


 その少女漫画に育てられてきた結果、『助けたら恋の始まり』という結論に至っているらしい。

 ラノベは図書室でたまに読むらしいんだけどあまり性にあってないんだとさ。


「辻野さんも恋に落ちてるはずだぞ?ね?辻野さん」


 突然口を開く和人が差したのは俺ではなく、言葉にある通り辻野さん。


 椅子ごと辻野さんの机の前へと移動した和人はキラキラとした眼差しを浮かべ、話し慣れていない相手には目を合わせることができない辻野さんの瞳を見続ける。


「ね?辻野さん?」


 急かすように続く言葉。そして近づけさせる顔。


 多分、家に女子しかいないから女子との距離感がバグってるのだろう。

 普通のやつなら確実に引かれる位置に顔を近づける和人なのだが……相手も相手だ。


 俺が距離感をバグらせてしまったせいでその距離感になんの疑問も抱かなかったのだろう。

 眉ひとつ動かさない辻野さんはチラッと横目にこちらを見やり――


「別にそういうのは、ないです……」

「あっ……」


 ――刹那、和人の気まずい声が地面に落ちた。

 そんな声を拾い上げることもなく、哀れみの瞳をこちらに向けてくる和人は分かりやすく目を伏せている。


「気まずそうにするなら聞くなよ……。俺が振られただけじゃん……」

「ご、ごめん……」


 ズズズッと椅子を引きずりながら返ってくる和人。

 そしてチラッチラッとこちらを見てくる辻野さんは弁当を頬張る。


 果たして辻野さんに罪悪感というものはあるのだろうか?

 そんな疑問を抱いてしまうほどに、辻野さんの姿はたった今1人の男を振ったようには思えなかった。


 だって普通に弁当食ってるんだぞ?まるで普通のことをしたまでですよと言わんばかりに。


 好意が無いとは言え、借りにも1人の男を振った。だというのにも関わらず、辻野さんの姿は当然のことをしたと言わんばかりの飄々とした姿。


 ……まぁ目は泳いでいるんだが、これは陰キャ特有の目の置き場が分からなくなったあれだな。


 逆にそれが相まって癪に障る。

 俺に興味のひとつも湧いていないのか、と。あんな痴女好意ラッキースケベをしといてその気がひとつもないのか、と。


「……優夜。確かに今のは俺が悪かったけど、そんなに辻野さんを睨まないであげて……」


 不意に聞こえるのは和人のしんみりとした声。

 そして今気づいた。俺、めちゃくちゃ辻野さんのこと見てんじゃん。


「あ、あぁ……。ごめん辻野さん」

「い、いえ……。その、特に気にしていませんので……」


(……2度振られた……?)


 なんてことを心のなかで呟きながら最後のパンを頬張って時計を見やる。

 そんな俺の視線に下からヌルっと顔を出してくる和人は眉根を伏せて口を開く。


「あ、あんま気にすんなよ……。優夜はそれなりに顔はいいし、面白いし、優しいからすぐ他の相手ができると思うぞ……?」

「それ、さらに傷抉ってるからな?」

「……ごめん」


 謝罪とともに下がっていく顔と眉根。


 先走ったピュア人間が視界から退いていくのを他所に、時計から筆箱へと視線を下ろせば――カランカランと隣の机からシャーペンたちが落ち始めた。


「あっ」


 不意に聞こえるのは少女の小さな呆気にとられた声。

 地面にボールペンたちが落ちるのを眺めながら、慌てて机に弁当箱を置く少女は腰をかがめておもむろに前かがみになる。


(筆箱閉め忘れてたのか?)


 なんて疑問符を頭の中に浮かべながらも目の前の少女と同じように腰を曲げた俺は足に当たった赤色のボールペンを手に取り、次につま先にある消しゴムを取ろうとする。


 ――刹那、視界の端からもんのすごい勢いで飛び出してくる俺よりも小さな少女の手。

 辺りに落ちてるシャーペンやボールペンなんてそっちのけで勢いよく伸びてくる少女の手。


 そんなあまりにも早い手に目を見開いた俺は慌てて自分の手を引っ込めようとしたのだが――時すでに遅し。


 ガシッと掴まれた俺の手は強引に消しゴムの元へと引き戻され、あたかも『消しゴムを取ろうとした際に手が当たってしまった』の場面にされてしまった。


「――あっ……」


 不意に聞こえるのは少女の小さな呆気にとられた声。

 地面に向けていた瞳を頭上に向けてみれば、バチッとその少女と目が合う。そして逸らされない。


 そんな姿からは陰キャなど感じられず、それどころかもっと大胆なことがしたいと言わんばかりの目。


 …………確かに、少し油断していた節はある。

 どうせ和人がいるし大丈夫だろうと。これまではされなかったし大丈夫だろうと高を括っていた節はある。


(……まさかこんな方法があるとはな……)


 多分こいつは俺よりもラッキースケベを狙うのが上手い。


 これがラッキースケベか?と問われれば違うと言わざるを得ないが、痴女の性的欲求を満たすには十分な行為だ。


 というか多分、この状況でこの行動を犯すことに性を実感してるのだろう。


「ご、ごめん辻野さん……」


 テンプレを並べる。


「う、ううん……。大丈夫……」


 乱れたメガネから覗かせる蕩けた瞳と、緩んだ口元から出てくる到底信用することのできない言葉。


 慌ててくっつく手を離そうとしてみる。

 さすればそれを阻止するように人差し指を摘んでくる辻野さんの指。


(……もう一度言うが、これで俺に好意がないんだよなぁ……!こいつ……!!)


 黒縁メガネにジト目を向ける俺なのだが、都合がいいように見えているのか、はたまた気づいていないのかは知らんが、一向に離そうとしない辻野さんの指。


「優夜?」


 多分、中々体を起こさない俺のことを不思議に思ったのだろう。

 パンの袋を結ぶ和人は椅子から立ち上がり、俺達の手を視界に入れた瞬間――


「――っ!恋の瞬間っ!?」


 言葉をつまらせたかと思えば、やはり少女漫画脳。


 あたかも見てはいけないものを見てしまったかのように口元を隠す和人はキョロキョロとあたりを見渡し、そして俺たちを隠すように腰を下ろした。


 多分俺達のことを気遣ってくれたのだろう。

 非常にあり難いったらありゃしないんだが、生憎俺はさっき振られたばかりだぞ?

 なのになんでその言葉が出るんだよ。


 辻野さんから視線を逸らした俺は訝しげな目を和人に向け、そして不意打ちのように手を引っ込めようと試みる。

 ……が、もちろん辻野さんの指はそれを阻止する。


 というかこいつ!とんでもねー握力してんな!

 ゴリラか?もしかしてゴリラなのか?もういっそのこと『I am ゴリラ』とでも言ってくれ!


 ググッと全身に力を込める俺に対し、頬を緩ませたままの辻野さんは悠然と俺の指を捕まえる。


「つ、辻野さん……。消しゴム以外にも拾う物はあるよ……?」

「あぇ?あ、え、うん……。そう……だね……?」


(おいこいつ俺の言葉理解してねーぞ!?)


 なんで指先に触れるだけでIQが下がるんだよ!

 もしかしてバナナを手に入れた猿なのか?猿だよな!猿だと言ってくれ!!


 悶絶する俺なんて他所にこのシチュエーションを楽しむ辻野さんと和人。

 というか和人に至ってはなぜこの状況を見ておかしいと思わないんだよ!


 そんなツッコミを心のなかで入れながら、俺はただひたすらに昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴るのを待ち続けた。

 指先の感覚が無くなってしまうまで……。

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