第2話 ごめん、俺は責任を取るつもりは無いんだ

 やっとの思いで起き上がれた体と、酸素を吸える肺。

 目の前ではスカートについてもいないホコリをはたき落とす辻野つじのさんの姿。


 その顔はほんのり赤く――歪んでいる。

 というのも、辻野さんの顔はもんのすごく蕩けているのだ。まるで自慰をした後かのように。


「……辻野さん。大丈夫だった?」


 どうせ大丈夫だろうけど一応心配の言葉をかけておく。

 さすればやおらに頭を上げる辻野さんはトロンとした瞳をこちらに向け、にへらと笑う。


「う、うん……。大丈夫……」


 どうせテンプレ的な言葉なのだろう。

 だってこの顔を浮かべて大丈夫なワケがないのだから。


(まぁこいつからすれば一周回って大丈夫なのだろうけどさ……)


 いつの日からか変わった黒縁メガネの隙間から見える――ハートの形になった――まなこ

 背中まで伸びた黒髪はいつになってもパッとせず、黒縁のそのメガネに前髪が少しかかっている。


「……まじで大丈夫?」


 これも念の為。

 歪んだ顔を取り止めようとしているのか、両手で黒縁メガネを整える辻野さんの顔を覗き込みながら問う。


 そうすればこの行動は予測していなかったらしく、猫のように肩を跳ねさせた。


「な、えっ!あ、う、うん……!大丈夫……!!」


 慌てて後ずさりする辻野さんは謎に自分の体を守るように抱きしめ、挙句の果てには壁に背中を預けてしまう。


 いやまぁラッキースケベを意図的に行っていた相手に見せる正しい行動ではあるのだが、今だけは絶対に違うぞ?


 ジトーっと細めた目を向ける俺なんて他所に、慌てた素振りを見せる辻野さんのハートだった眼はクルクルと渦巻いていた。


「そ、それよりもほら!ち、遅刻しちゃうよ!?」


(遅刻しそうなのはてめーにセクハラされてるからなんだがな?)


 そんなことは口にはせず――多分顔に出てたと思うが――小さくため息を吐いた俺はジト目を引っ込めて腰に手を当てた。


「まぁ辻野さんが大丈夫って言うのなら良いんだけどさ」

「うん!大丈夫!!私元気!」


 抱きかかえていた腕を離したかと思えば、力こぶを作る辻野さん。だが、あやふやな日本語からも分かる通り動揺が隠しきれていない。


 ……ちなみに、俺と辻野さんの会話を聞いてたら分かるとは思うが、いつの間にか辻野さんはコミュ障じゃなくなっていた。


 誰かに話しかけられてもある程度の受け答えはできるようになってるし、俺だけではあるが、気軽に話しかけれるようになった。


 その成長が俺のおかげかは知らんが、そのコミュ力とともについた変な自信のせいで今俺が困っているのに何ら変わりはない。


(まじでどうしたもんかな……)


 なんてことを考える俺の隣につくのはもちろん辻野さん。

「ほら、早く行こ?」と口にする割には歩くスピードが遅い。

 ……それどころか距離が近すぎて歩きづらい。


「ん?どしたの?崎守さきもりくん?」

「……いや、随分距離が近いな、と」

「今更じゃない?中学の頃からずっとこの距離じゃん」

「そうだけども……!」


 クソッ!中学の俺を一発殴ってやりてぇ!!

 なーにが『ここでひと揉み』だ!なーーにが『これ、意図してできるくね?』だ!!


 頭の中で中学の頃の俺をボコボコにする俺だが、当然そんなので過去が変わるわけでもなく、ただ自分の過ちを悔やむだけ。


 そうして肩に感じるのはあのたわわな胸とはまた別の柔らかさがある女子の頬。


 こんな光景に小さくため息を吐く俺は、周りに誰もいないことに感謝しながら教室に向かって歩く。


(……これで俺の事がんだからなぁ……)


 思い出すのは1ヶ月前の帰り道。

 これだけ距離が近ければ年頃の男子高校生は嫌でも意識するし、それなりに好意を感じてしまう。


 だから意を決して聞いたのだ。

『俺のこと好きなんか?』と。ほんっとうに直接的に。なに食わぬ会話をしてる最中に。

 さすればこいつ、なんて言ったと思う?


『え?うん。友達としては大好きだよ?一緒にいて楽しいし!』


 そんなことを思い出す俺はジロっと横目に辻野さんを見る。


 その顔に浮かぶのは緩んだ頬。そして幸せそうに下げる眉尻。

 俺が脇を締めていなければ、多分今頃辻野さんの手は俺の腕を通していただろう。


 ……そして、この光景はあの帰り道と同じ。

 嘘を言っているとしか思えないその光景を目にした俺は、当然聞き直したさ。


『恋愛的には?』


 ほんっっっっっっっっっとうに直接的に。辻野さんの言葉が返ってきた刹那に聞き直した。

 さすればこいつ、なんて言ったと思う?


『恋愛的には……?分かんないけど、そういうのは無いと思うよ?』


 今でも鮮明に覚えている。

 あのコテンと傾げた顔から放たれた言葉。

 遠回しに振られたというのに、次の瞬間に辻野さんが浮かべたのはほほ笑みだった。


 いやまぁ分からんでもないぞ?

 突然変なことを聞かれたのだから笑い飛ばしたくなるのも分かる。……が、


(こんなことされてそれはないだろ!!生粋の男たらしなのか?いやそうだろ!絶対そうだ!!)


 頭の中が混乱する中、聞き慣れた鐘の音が頭上にあるスピーカーから鳴り降る。

 刹那、ふと我に返った俺は肩に頬を擦り付ける辻野さんをジト目で見下ろしながら口を切った。


「チャイム鳴ってるし急ぎ目で行くか」


 足の動きが変わらない辻野さんに急かしの言葉をかけてみる。

 さすれば、あの帰り道のようにコテンと首を傾げる辻野さんは――


「このままゆっくりじゃ……ダメ……?」


 ――上目遣いに見てくるその瞳は意図的にしているのか。はたまた辻野さんの中に未だピュアが顕在しているのか。


 物理的にも精神的にも縋り付く辻野さんは……まぁ、可愛い部類に入るのだろう。


「…………一応チャイムは鳴ってるけど?」

「もう少し崎守くんの体温を感じていたいなって思っちゃって……」


 中学生より可愛くなったのは間違いない。


 黒縁メガネにしたことによって可愛さは倍増したし、笑顔が増えたことによって表情が柔らかくなったのも事実。

 中学生の頃は整えてなかった髪も、今では綺麗に整えてあり、以前よりも艶が増している。


 全体的にスペックが高くなった女子高生にこんなお願いをされて、現役男子高校生が「いや、無理です」って言えると思うか?


(……答えは、否だ……)


「……教室の前までな……」

「やったっ!」


 渋々頷く俺とは別に、太陽の如く光り輝くその瞳は燦々と俺の顔に照らし合わせる。


(これで!俺を!恋愛的に見てないんだぞ!?どういうことだよ!!)


 色々とぶつけたい気持ちはあるものの、俺にそんな時間を設けさせてくれないのが今の辻野つじの真穂まほという人間だ。


「――キャッ!」


 俺から見れば名演技。

 傍から見ればただの天然。


 突然辻野さんの口から溢れるのは小さな悲鳴。

 そんな悲鳴は有無を言わさず前へと倒れていく。


 なぜ俺の肩に頭を乗せておいて。なぜ俺の体に密着しておいて倒れる前に腕を掴まなかったんだ。そんな疑問が脳裏を過る。


 もしかしたら辻野さんが運動音痴でそんな素早い動作ができないのでは?と思う人がいるから説明しておこう。


 この辻野真穂という人間は、結構動けて、それなりに運動ができるタイプの人間だ。

 そして、それを証明するのがこれ。


 素早い手つきで動こうともしない俺の手首を握った辻野さんは――その俺の手を己の胸に押し当てた。


 こんなやつが運動音痴?バカ言え。

 こいつは女子の中でもトップクラスに運動ができる部類だよ!!


「――ヒャッ!」


 不意に聞こえててくるのは頬を赤らめる――こともない辻野さんの口から。

 声だけはいっちょ前だが、頬の色までは調節することができないらしい。


「……」


 あたかも自然な辻野さんの悲鳴を耳に入れながら、ズブズブと胸に沈んでいく自分の指を無言で眺める。


 まぁ、この感覚を一言で伝えるのなら『柔らかい』の一択だな。

 色々思うところはあるが、胸を揉んで悪い気はしないし、なんなら本当にラッキーなほどだ。


 ……だが、何度でも俺は言う。


(こんなのはラッキースケベでもなんでもない!)


 ラッキースケベはたまたまその状況に鉢合わせて、たまたまその手がその部分に当たること。


 確かに中学の頃の俺は意図的にしていたが、それはあくまでもこいつがその状況作り出したからしたまでであって、俺がその状況を作り出したわけではない。


 けどこれを見てみろ!

 こいつは意図的にこの状況を作り出し、自分の意思で相手の手を自分の胸に沈め、わざと卑猥な声を上げているんだ!

 これのどこがラッキースケベだと言うんだ!!


「も、もうっ……。崎守くんったら……」


(なーにが『も、もうっ……』だ!)


 心のなかで叫ぶ俺なんて他所に、遅れて顔が赤くなる辻野さんは目を泳がせ始める。


 ……これはあくまでも俺の予想なんだが、多分こいつは結構恥ずかしがりながらこれをやっている。

 というか、ふとしたタイミングで我に返るんだろう。

 心底バカだと思う。


 揉みもしない指先に神経が研ぎ澄まされるのを感じながら、俺が今浮かべているのはジトッと湿った細い目。


 そんな細い目なんて気にしていない辻野さんは後に引けない状況に陥ったのか、己の力で俺の指を動かし始める始末。


(うん、心底バカだ)


「……んっ」


 まるでテンプレのように並べられる言葉たち。

 そんな言葉たちに変わらずジト目を向ける俺は心を無にした。


(将来こいつの彼氏になる男よ。頑張れよ)


 ここまで辻野さんを痴女に育てたのは間違いなく俺。

 そして、このコミュ力を育て上げたのも俺であり、胸を育てたのも多分俺。


 だが、断言しよう。

 俺はこいつのは一切ない!


『好きなのか?』と聞いといてなんだが、ほんっっっっっとうに責任を取るつもりはない。


 ん?最低?薄情?澆薄?

 ふんっ!知ったもんか!

 生憎彼女は欲しくねーんだよ!


「ご、ごめん……辻野さん……。大丈夫……?」


 テンプレの言葉を並べる。

 もちろん感情なんて乗っていない。それどころか目に光すら宿っていないと思う。


「……んっ……だ、だい……じょうぶ……」

「……まじで大丈夫?」

「……う、んっ……」


 まぁそこまで自分が大丈夫というのなら大丈夫か。

 というか今もなお己の胸を揉んでるのは俺の指を操作する貴様だしな!


 そんなツッコミは口の中で噛み砕き、沈んでいないもう片方の手を辻野さんの肩に添えた。


「立ち上がれる?」

「う、うん……」


 辻野さんの言葉を耳に入れ、グッと力を入れた俺は胸の大きさとは比例して随分と軽い辻野さんを立て直す。


 その際に一瞬ビクッと体が跳ねた気もするが、どうせこれも痴女辻野さんの演技なのだろう。


「急ごっか」


『どうせ急がないだろうな』なんてことを思いながら紡ぐ俺に、小さく頷いてみせた辻野さんの顔は真っ赤。


 顔の色まで制御できるようになったのかと疑問は抱くが、そんなことよりも今は授業のこと。


 そろそろまじでやばい。

 窓の外から見える時計台が指しているのはチャイムが鳴ってから5分が過ぎた場所。


 怒られることが確定してる今、果たして急ぐ必要があるのか?というのも考えるが、楽しくもないラッキースケベが連続して行われる方がもっと嫌だ。


 だから俺は辻野さんの手首を握り、肩が跳ねた気がした辻野さんの先を歩いた。

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