第4話 赤星緋音は学校で会いたい

「うーん……お? おっぱい……? おっぱい……! おっぱい!」


「起きたのね、斗真くん……あっ、ここも起きてるわぁ……!」


 次の日の朝、体を包み込む柔らかい感触で目を覚ますと、下着姿のお姉ちゃんが俺に抱きついていた。

 緩い下着であるためか大事な部分が全く隠れておらず、その姿はほとんど全裸と変わらなかった。

 寝起きの一瞬こそ、そのおっぱいに感激したが、実姉で興奮できるのはエロ漫画の中だけである。

 よく美人のお姉ちゃんがいて羨ましいなどと言われることがあるが、実際は実姉の裸を見ても何も思うことはない。

 目覚めの刹那で上げて落とされるとは、幸先の悪い一日である……


「何だ……おっぱいのお姉ちゃんか……おはよう……」


「お姉ちゃんのおっぱいだよ……おはよう。朝から元気だね、斗真くん」

  

「別に元気では……というか何で俺のベッドに寝てるんだよ、お姉ちゃん……」


「それはねぇ。斗真くんの体温を……あん……あんっ……! 感じたいからだよ。だから……斗真くんも……私で感じてね……?」


「お姉ちゃん……暑苦しいから離れてくれ……」


「もーう、斗真くんったら……て、れ、や、さんっ! きゃー、かわいい」


 まとわりついてくる姉を引きずってリビングへ行くと、いつもはソファーに座ってテレビを見ている母さんの姿がなかった。

 机にはお金とメモが置かれており、これで夜ご飯を食べてねと書かれていた。


「お姉ちゃん、母さんは?」


「お母さんなら出張って言って朝から出かけていったよ。当然、お父さんも単身赴任でいない……今日は二人っきりだね。知ってる斗真くん? 遺伝子学的には一代限りなら大した問題はないんだよ。法的に結婚こそ出来ないけど、そんなの愛し合う私たちには些細な問題だよね? あれ? どうしたの斗真くん? そんな困った顔して……もしかしてお金のこととか気にしてる? それなら大丈夫。実は佐藤家って結構なお金持ちなの。だから何人作っても生活に困ることはないんだよ。それじゃあ斗真くんとお姉ちゃんでLet's子作り! 私の中に……斗真くんのドロドロでぇ……グツグツのやつぅ……全部ぶち込んじゃえ! ──あれ? どこいったの? 斗真くーん?」


ーーー


「はぁ……はぁ……危なかった……」


 身支度、朝食、歯磨きを高速で終わらせた俺は全速力で駆けて学校の前まできていた。

 限界を超えて動かした体が悲鳴を上げている……筋肉痛は避けられないだろう……

 だが、どうしてかは分からないものの、ここに居てはいけないと俺の本能が過去類を見ないほど警鐘を鳴らしていたのだ。

 もし、あの場にいたらと思うと必要な犠牲ではあったはずである……


「あれ? おかしいな。誰もいないぞ……」


 校門には人っ子一人いなかった。

 いつもなら賑やかなはずの朝が、今日は嘘のように静まり返っている。

 そのまま玄関へと向かい靴箱の中を見たが、当然そこには上履きしか入っていなかった。


「万年遅刻の楓はともかく、木下もまだなのか……まあ、こんな時間だしな……」


 俺は疲労困憊の体を鞭打って階段を上がっていった。

 鍵を取りにいかないといけないかと思ったが、幸運にも教室の扉は開いていた。


 教室に入ると、赤星緋音が窓際の端の席で一人、佇んでいた。

 まるで想い人をずっと待ち焦がれているような、儚げな雰囲気をまとった美少女がそこにいた。

 細い指で赤い髪をくるくると弄び、窓にもたれかかって寂しそうに外をぼんやりと見る彼女の姿は、未亡人のような危うい色気を醸し出していた。

 不意の情緒的な彼女の美しい横顔は、俺の瞳を奪うには十分であった。


「早く来すぎたわね……はぁ……私、何やってるのかしら……? 佐藤くん……まだなの……?」


「おはよう、赤星さん」 


「きゃあ! え? 佐藤くん……? おはよう……あ、朝から話しかけないでくれない!? 朝から佐藤くんの顔を見ないといけないなんて不快だわ……出て行ってくれるかしら?」


 自分の世界に入っていたのか、赤星緋音はこちらには気づいていなかったようであった。

 俺が話しかけると、彼女はとても嬉しそうな表情をしたと思えば、蔑んだ目で俺を睨みつけた。

 

「そんなこと言われてもな……というか名前が呼ばれたように聞こえたけど、もしかして俺のこと待っててくれたの、赤星さん?」


「はぁ!? 何で私が佐藤くんのこと待たないといけないのよ! 早く来たのは佐藤くんが私のことを言いふらさないか心配だっただけよ……別に佐藤くんと学校で会いたくて早く来たわけじゃないんだからね!」


「そうなんだ……俺は赤星さんと会うのが楽しみで早く学校に来たんだけどな……赤星さんは違うんだね……」


「へぇ!? ──ご、ごめんなさい、佐藤くん……本当は私だって佐藤くんに会いたかったわ……こんなに早く来ちゃったのだって、佐藤くんと会いたくて浮かれていたからなのよ……バカ……こんなこと言わせないで……」


 赤星緋音は俺と距離を詰め、恥じらうようにそう小さく呟いた。

 その愛らしい仕草と声色は、本性を知らなければ、一撃で心を囚われてしまうほどの破壊力を持っていた。

 もし俺が、最初からこれを赤星緋音だけに真っ赤な嘘だと分かっていなかったら、間違いなく騙されていただろう。

 もしかしたら本当に玉砕覚悟で告白して、立夏ちゃんのおっぱいに慰めてもらうなんてことになっていたかもしれない……

 まったく恐ろしい演技力である。

 

「なんてね。俺が早く来たのは別の理由だよ。ほら、赤星さんも思ってもないこと言っちゃうだろ。これからは『佐藤くん、酷いわ……』とか人の罪悪感に訴えるのはやめようね、赤星さん」


「へー、そういうことするのね……もちろん、佐藤くんの言う通り、思ってもないことよ。これで満足かしら?」


 傷ついたフリをする意趣返しは上手くいったみたいだ。

 しかし、何がそこまで赤星緋音の気に障ったのだろうか……?

 彼女のあまりにも冷たい視線が俺をつき刺していた。

 もしかしてさっきのは本当に……いや、そんなことを確かめようものなら、昨日のようにドロップキックが飛んでくるだろう。

 今の体にガタが来ている状態であんなものを食らうなんて考えたくもない……


「それにしても誰もいないね、赤星さん……」


「そうね。誰もいないわね、佐藤くん。私たち、二人っきりよ。今なら目撃者が出ることもないわ」

 

 赤星緋音はまるで格闘ゲームのような動きでウォーミングアップを始めていた。

 ここまで嬉しくない二人っきりが果たしてあるだろうか……?

 いや、思い返せば、朝からもっと嬉しくない二人っきりがあった気もするが……


「そうだ赤星さん。今、電子書籍で新しいエロ漫画買おうと思っててさ……良さそうなの選んでよ」


「何で私が佐藤くんが読むエロ漫画を選ばなきゃいけないのよ……?」


「そんなこと言わずにさ。一緒にエロ漫画読もうよ。赤星さんだって勉強になるだろ?」


「え? エロ漫画を一緒に読むの……!? バカなの佐藤くん……? でも、勉強になるのはそうね……暇つぶしで付き合ってあげてもいいけど、私が読むの遅くても文句い言うんじゃないわよ」


「言わないって。むしろエロ漫画家がどういう風にエロ漫画を見ているのか知りたいかな」


「そんなに面白いものじゃないわよ……それに二人で読むにはスマホって小さくないかしら……?」


「大きさなら大丈夫だよ。エロ漫画用のタブレットも持ち歩いてるからね。それで何が読みたいの赤星さん? 俺の購入履歴を見てくれたらだいたい分かると思うけど、あまりも高かったり、マニアック過ぎるものじゃなければ基本的には何でもいいからさ」


「よくエロ漫画の購入履歴なんか見せられるわね……! そうね……私は姉ものが読みたいかしら。今度、姉もの描く予定だから参考にしたいわ」


「え? 実姉もの……? 実姉ものだけはちょっと……」


「別に実姉とは限定していないのだけど……姉ものってそんなにマニアックかしら? 佐藤くんの購入履歴にも姉ものはあるわよ。それも義妹ものだけではなくて実姉ものも……」


「赤星さん……姉ものの話はもういいだろ? このままだと俺、エロ漫画を読む前に賢者タイムになっちゃうよ……」


「そう……それならこの溺愛溺酒(できあいできしゅ)先生の新刊はどうかしら? この先生は私が連載している雑誌の姉妹雑誌の……確か姉の方で連載していて……」


「姉……!? 赤星さん、もしかしてさっきの復讐に俺に不意打ち実姉ものを見せようとしてないよね……?」


「不意打ち実姉って何よ……!? 不意打ちNTRのことかしら……? おねショタ逆転や百合に挟まる男みたいな俗に言うジャンル詐欺のことを言っているのなら安心しなさい。自分自身の作品はもちろん、例え他人のエロ漫画をおすすめするときであっても、読者の信用と期待を裏切るなんて、エロ漫画家としての私のプライドが許さないわ」


「そうなんだ赤星さん。それは頼もしいな。それでその先生の新作ってどういう作品なの?」


「見ての通りジャンルで言えばオーソドックスな学園ものね。それしか描いてない先生だから姉ものはなかったはずよ。大好きな実姉ものじゃなくて残念ね、佐藤くん?」


「はは……冗談よしてよ、赤星さん……これ学園ものなのか。いいね。買ってみようかな。この人のエロ漫画ってやっぱり参考になるの?」


「そうね。この先生は描きこみが緻密で私はとても参考にしているわ。欠点としては、導入が1ページ目で終わるぐらい雑なことかしらね……それが気にならないなら買って損はないと思うわ」


「導入がそんなに雑ってむしろ見てみたいかも。それじゃあこれを買うよ。俺はエロ漫画はエロかったら基本的に何でもいいタイプだからね。赤星さん、もう少しそっちに詰めてくれないかな?」


「もう……仕方ないわね……──わっ……! 佐藤くん、詰めるにしても少し近くないかしら……?」


「え? 一緒にエロ漫画見るんだし、これ以上離れると、どちらかが見にくくなるよ?」


「それはそうなのだけど……こんなに近く寄られると恥ずかしくて……──やっぱり何でもないわ! というかもし見られたりしたらどうするのよ……? 一緒にエロ漫画読むのはまた今度にしないかしら?」


「こんな時間だし誰も来ないと思うけどな。心配なら筆箱を壁にして、タブレットの下に教科書とノートを置いておけば咄嗟に隠せるようにしておけばいいよ」


「佐藤くんっていちいちセコいわよね……私だって本当は大丈夫だと分かってはいるのだけど……やっぱりこんな環境では集中出来そうにないわ……さっきから何故かとってもドキドキして……ちょっと息苦しいのよ……」


「そうか……集中出来ないのにエロ漫画読んでも勉強にならないよね……あ、勉強……それならこの時間を使って勉強を教え……」


「エロ漫画読むわよ、佐藤くん」


 赤星緋音は俺の話を遮るようにそう呟いた。

 あまりにも早い心変わりである……

  

「え? でも、集中出来ないって……もしかして赤星さん……勉強したくないから……」


「うるさいわね! 早くしなさいよ、佐藤くん! 佐藤くんが読まないなら、私一人で読んじゃうんだからね!」


「えぇ……俺は赤星さんと違って最初からエロ漫画家読む気満々だっただろ……? そもそもそれ俺のお金で買ったエロ漫画なんだけど……」


「いひひ、そんなの知らないわよ。佐藤くんのバーカ」


 赤星緋音はイタズラっぽく微笑むと、タブレットを指で弾いた。

 二人っきりの時間が止まったような教室で俺たちはエロ漫画を読み始めた。

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