第3話 赤星緋音はエロ漫画家をやめたくない!

「立夏ちゃん、ここは……?」


「ここは私がサボるのによく使っている第4国語準備室だな。最上階の端にあるから本当に誰も来ないんだ」


 立夏ちゃんについてきた俺と赤星緋音は、国語の授業に使いそうなものが一切ない、完全に私物化された教室へときていた。

 第4国語準備室ってなんだよ……そもそも立夏ちゃんって数学の教師じゃなかったか……?


「ベッドや冷蔵庫まであるんですね……」


「何か飲むかお前ら?」


 当然のようにベッドで寝っ転がり、没収したエロ漫画を読んでいた立夏ちゃんが冷蔵庫を開けると、そこには色んなジュースが入っていた。

 俺もそのエロ漫画読みかったのに……

 とはいえ、貰えるものは貰っておこう。


「それじゃあ、俺はこれにしようかな。赤星さんは飲まないの?」


「え? 飲むの佐藤くん……? では私はこれを頂きます夏目先生……」


 俺はメロンソーダを選んで飲んだ。

 ちなみに赤星緋音は濃いガルピスを飲んでいた。

 特に深い意味はないが、彼女は喉が渇いていたのか、喉をゴクリと鳴らしてして、少しつっかえるようにそれを飲んでいた。


「というか立夏ちゃん、今さらだけど、俺はともかく、何で赤星さんまでここに連れてきたの?」


「ああ、本当は今日、赤星と面談するつもりだったんだが忘れていてな。佐藤のついでに終わらようと思ったんだ。単刀直入に言うぞ赤星、数学のテスト10点だっただろ。それに学年順位も下から5番目だ。このままいくと進級も危ういぞ」


「そんな悪いのか、赤星さん……」


「ひゃあ! ちょっと佐藤くん、聞くんじゃないわよ! 鼓膜破りなさい!」


「そんな無茶な……」


「落ちていたプリントには赤星のテストもあったし、佐藤には成績が悪いの知られてるんだろ? 今さら聞かれて困ることでもあるのか?」


「それはそうですけど……夏目先生、私のプライバシーは……?」


「とにかく次、かなり良い点数を取らないとヤバいからな。せっかくの夏休みを補習と課題で潰したくはないだろ? 赤星との話はこれで終わりだな。もう帰っていいぞ」


「夏休みがですか!? 分かりました……次は良い点数取ります……失礼しました……」

 

 赤星緋音は顔を真っ青にすると、どこを見ているかも分からない目で、フラフラしながら教室から出ていった。

 テスト返しの時は彼女の美貌で分からなかったが、今思うと非常に間の抜けた表情をしていたことが分かる……


「立夏ちゃん、文章は頭の中にあるし、反省文はもう口頭でいいかな?」


「ナメてるのか……? だが佐藤ももう帰っていいぞ。これ赤星のだろ? 最初見たときに気づいたが、このエロ本にはたくさんメモ書きや模写が挟まっていたからな。この字はどう見ても赤星のものだ」


「あの赤星さんがエロ漫画を学校に持ってくるわけないって。どう立夏ちゃん? 俺、意外と絵が上手いでしょ?」


「庇っているのなら安心しろ。赤星のことは不問にする。言っただろ? 教師というのは生徒が正しい道を進んでいく手助けをする仕事だ。こんなにも努力している生徒のことを、教師が邪魔することなんてあってはならない。これは赤星に返しておいてくれ佐藤」


 そう言って立夏ちゃんは俺にエロ漫画を手渡した。

 今日まともに話しただけだが、赤星緋音は意外と気が弱い性格だと思われた。

 さっき彼女が飲み物をガブ飲みしていたのも緊張の表れからか。

 おそらくそれを考えて立夏ちゃんはこういう対応を取ったのだ。

 駄目人間ではあるが、その前にこの人は教師なのだろう。


「分かった。渡しておくね」


「そうだ佐藤。赤星に……」


「言われなくても俺は赤星さんに勉強を教えるつもりだよ」


「そうか。それなら頼んだぞ」


「任せて立夏ちゃん。あれ? でも、最初見たときに気づいたのなら、どうしてわざわざ没収して俺に反省文を書かせようとしたんだ?」


「そんなの佐藤に嫌がらせがしたかったからに決まっているだろ」


「嫌がらせだったのかよ!」


「それにしても教室で二人を見たときは、佐藤が玉砕覚悟で赤星に告白していたのかと思ったぞ。振られた佐藤を慰める言葉を必死で考えてやってたというのに……先生の胸で泣いていいんだぞってな」


「何で俺が振られる前提なんだ……? ━━いや、でもよく考えると俺、赤星さんに振られた気がしてきたかな……立夏ちゃん、赤星さんに振られたから、そのおっぱいで俺を慰めてくれない?」


「いいわけないだろエロガキ……むしろ佐藤が私を慰めろ。私がいい女なせいか、よく女子生徒に彼氏がとか相談されるんだがな……」


「自分でいい女って言うのか……」


「いいから聞け佐藤。それで今日もまた彼氏がと相談を受けたんだが、実のところ、私はこれまで一度も彼氏なんていたことがなくてな……むしろ、私が彼氏の作り方を教えてほしいくらいだ。くっ……ガキどもが色気づきやがって……━━ビールでも飲むか……」


 立夏ちゃんはそう口にすると冷蔵庫を弄り始めた。


「立夏ちゃん? 飲むってまさか……? ここ学校だぞ……」


「おぉ……キンキンに冷えてやがるぞ。ごっごっ、ぷは~、やはり学校で飲むビールが一番だよな佐藤。子供のお前にはまだあまり分からないと思うが、世の中というのは理不尽だらけでな。それを忘られる酒というのは、大人にとってなくてはならないものなんだぞ……」


 冷蔵庫の奥から取り出したビールを空けた立夏ちゃんは幸せそうにそれを口に流し込んでいた。

 これバレたら懲戒免職ものじゃないのか……?

 俺に反省文を書かせようとする前に始末書を書いていただきたいものである……

 教師の鏡なんて一瞬でも思った俺が間違いだった……

 やっぱり駄目だこの人……


ーーー


「遅いわよ佐藤。待ちくたびれたわ」


「赤星さん。待っててくれたんだ。一応これ取り返してきたよ」


「ありがと……わ、私のせいで佐藤くんが無実の罪で反省文を書くことになったのだから、待ってるなんて当然よ……いえ、別に無実というわけではなかったわね……私の胸を触った変態さん」


「だからあれは不可抗力……とは言わないにしても、限りなく不可抗力に近いものであって……そうだ。赤星さんの家ってどっち側にあるの? 家が近いのならせっかくだし一緒に帰らない?」


「へ!? 何言ってるのよ、佐藤くん!」


「ごめん。嫌ならいいんだけど……」


「い、嫌ってわけじゃないわよ……ただ、佐藤くんって何ていうのかしら? 大学の飲み会から始まるエロ漫画の竿役みたいに、浅ましく私でワンチャン狙っている感じがするっていうか……」


 あまりにも酷い言いがかりだ…

 赤石緋音は俺を何だと思っているだろうか

 俺を断じてそんな不誠実な人間ではない。

 ワンナイトだの一夜限りだの愛のない関係はエロ漫画以外ではお断りである。

 

「いやいやいや、赤星さんなんて狙うわけないだろ。ワンチャン狙うなんてそんなことしないよ」


「ひ、酷いわ佐藤くん……私なんてワンチャン狙うような価値もないっていうの……?」


「ごめん赤星さん……正直に言うと、ちょっとだけ……言われてみたら赤星さんってなんかチョロそうだし、本当にワンチャン狙ってもいいかなとは思ったよ……」


「ワンチャン狙ってもいいかなって何よ!? やっぱり心のどこかでは私のこと、チョロくてヤれそうだとか思ってたのね。佐藤くんのバカ! ヤリモク! 屑! 変態!」


 ハメられた!

 赤星緋音は見透かしたような目で俺を見ると、姿勢を低くして警戒し、俺を罵倒した。

 同情を誘って本音……じゃなかった方便を吐かせるとは汚い手口だ。

 とはいえ、彼女の口汚い言葉は大歓迎である。

 

「赤星さんそれは汚いだろ……じゃあどう言えば良かったんだよ……どっちに転んでも俺が悪いことになるだろこんなの……俺はワンナイトなんて絶対にしない誠実の塊のような人間だっていうのに……」


「よく言うわね。佐藤くんこそ、その汚いニヤケ面どうにかならないわけ? わ、私の家はあっち側のマンションよ……」


「あの黒いマンションだよね? それなら俺の家と結構近いな。一緒に帰ろっか赤星さん」


「え? 佐藤くんと家近いの? 最悪なんだけど……まあでも、近いのなら仕方ないわね……不本意極まりないけど一緒に帰ってあげてもいいわ……」


「ありがと赤星さん」


「何よ、佐藤くん……気持ち悪いわね……これは私のこを助けてくれたお礼よ。勘違いしないでよね」


「分かってるって。あ、そういえば赤星さんって漫画家になるのを反対されてるとか勉強が出来ないといけないとか言ってたよね? 具体的にどういうことなの?」 


「えっと……どこから話せばいいのかしら? 今、とある弱小エロ漫画雑誌で掲載してもらってるんだけど……私、子供の頃からずっと女の子しか描いてこなかったからか、それ以外が遅筆で〆切に間に合わなくて……だからアシスタントを一人雇っているのよ。それで、お父さんにはそのアシ代を出してもらってるのだけど、成績表の合計がオール4以上じゃないとそれを打ち切ると言われているの」


「なるほどな……でもそれなら何とかなるか。一年生のときは合計オール4以上だったんだよね? 今回は運が悪かっただけだよ赤星さん」


「実は、成績表を偽装していたの……本当はオール3よ……それも授業やノートは頑張ってたっていうお情けの3ばかりね……あ、体育5だったかしら……?」


「俺も一回だけ順位表を加工したことはあるけど、成績表を偽装するなんて凄いな……」


「以外と簡単よ。ただ、偽装出来るのもオール3までね。どこかの教科で2以下の成績を取ると学校から親に電話がいくらしいわ……そうなると過去の不正も芋づる式に……」


「合計4以上でも2以下は取れないってことか。━━赤星さん、俺が勉強を教えるよ。赤星さんはエロ漫画を描くべきだ。その才能を生かさないなんてもったいないよ」


「あ、ありがとう佐藤くん……でも、大丈夫よ。迷惑はかけたくないわ」


「迷惑なんかじゃないよ。別に俺もただで教えるってわけじゃないからね」


「交換条件ってことね……何が望みよ、佐藤くん」


「生のエロ漫画家に会えたんだよ。そんなの決まってるだろ。今からコンビニ行っていい赤星さん?」


 俺はただただ喜びに満ち溢れていた。

 これまで何十回と応募したが、俺は一度も抽選でエロ漫画家のサインに当たったことがない。

 ましてや、生のエロ漫画家にサインイラストを書いてもらうなんて初めてだ。

 俺とは違い、運のいいお姉ちゃんがもらったサインを見るたび、己の不運とついでに木下を恨んでいたが、それも今日で終わりである。

 とはいえ、コンビニにサイン色紙は売っているのだろうか?


「コンビニって……! まさかゴム……そういうことね、佐藤くん……私だって多少のことなら受け入れるつもりだったわよ……でも、挿入は流石に……」


「え? 挿入ダメなのか……? あ、女の子以外遅筆って言ってたか……じゃあ、中に出してて」


「ゴムなしでってこと!? 佐藤くん馬鹿なの!? そんなの駄目に決まってるでしょ! 私、今日結構危ない日で……」


「え……? ああ、〆切ヤバいのか……じゃあ今度でいいよ。ゴムは別にいいかな……一枚絵だし、周りにはあってもいいと思うけど……」


「はあ!? 佐藤くんどういうつもりなのよ……責任は取ってくれるのよね? 安全日っていうけどあれ絶対出来ないってわけじゃないのよ……!」


「え? 責任……? まあ、やる以上は俺もしっかりするけど……」


「無責任なくせに、そこの責任は取ってくれるのね……曲がりなりにも佐藤くんが誠実なのは認めるわ……でも、そんなの結婚しろと言ってるようなものじゃない……それって私のことエロ漫画家として支えてくれるってころよね!?」


「ん……? 何を言って……まあ、そりゃ支えたいから勉強教えるわけだけど……でも、ウェディングはいいね。じゃあ衣装はそれで頼むよ」


「コスプレってこと……? もう何でもいいわ……でも、ゴムは絶対よ。学生の間はそこは譲れないわ」


「ごめん……別に赤星さんの作家性を否定するつもりはなかったんだ。譲れないものがあるなら好きにしていいよ」


「え? そう……それなら、私が高校を卒業するまでは待ってちょうだい……佐藤くんが私を支えてくれるなら、私も全てを捧げてあげる……私はどんなことをしてもエロ漫画家をやめたくないのよ! その契約、乗ってやろうじゃない!」


「それってつまり描いてくれるってことだよな!? やったー! 初めての直筆サインイラストだ! でも、そうなるとコンビニで買うってのもな……出来ればもっといい紙を……赤星さん、いいサイン色紙ってどこで売ってる?」


「へ? サインイラスト……? ━━あ……そういうことね……はは……あははは……」


 赤星緋音は膝から崩れ落ちると、壊れたように笑っていた。

 彼女の美しい朱色の瞳には光がなく、周囲の空気は暗く重かった。


「あれ? どうしたの赤星さん?」


「何でもないわ……サインイラストよね……? 今はちょっと描けそうにないわ。また今度でいいかしら?」


 さっきから赤星緋音の様子がおかしい気がする。

 しかし、彼女のエロ漫画にかける思いがこんなにも大きかったとは、感激である。

 ところどころ意味が分からな部分もあったが、人生を捧げるなんて覚悟とは、彼女はそんなにもエロ漫画を愛して……

 ━━その瞬間、俺の頭に電流が走る。

 バラバラだった違和感のピースが繋がった。

 これは気がつなかったことにした方がいいだろう……

 だが、帰ろうというする俺の足とは裏腹に、口が動き出していた。


「赤星さん。やっぱりサインいらないから、有りでいけたりする……? 今からコンビニに……」


「佐藤くん……! 気づいてたの!?」


 赤星緋音は顔を真っ赤にして涙目になると俺をつき刺すような殺意が込められた目で睨みつけた。

 まるでお姉ちゃんと一緒にいるときのように、気がつくと俺の体は彼女から遠ざかっていた。


「なんてね。冗談だよ。バイバイ赤星さん。また学校でね」


「待ちなさい佐藤くん! よくも、弄んでくれたわね!」


「違うって……さっき気づいたばっかりだよ……赤星さんが勝手に勘違いしただけだって……漫画家にもらうものなんて普通サインだろ!?」


「うるさい! うるさい! うるさい! 紛らわしいのよ! ちゃんとサインって言いなさい! 私がどんな気持ちで……佐藤くんのバカ!!」


 赤星緋音は、体育5の圧倒的身体能力で、逃げる俺にパルクールや壁走りで追いつくと、回転しながらドロップキックを俺に食らわせた。


「痛て……」


「また明日……佐藤くん……」


 夕焼けをバックにして、赤星緋音は照れながらそう呟くと、手を可愛く控えめに振り、美しい赤髪をたなびかせ走り去っていった。

 これは俺が悪かったのだろうか……?

 いや、これが世の中の理不尽というものだろう……

 今なら学校でビール飲んでいた立夏ちゃんの気持ちが少しだけ分かる気がする……

 まあ、赤星緋音のエロ漫画に対する強い情熱を知れただけ良かったと思おうか……

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