第2話


「そっくりだね。たぶん風華さんだ」と白瀬。

「でも名前以外の情報が探し主の携帯番号だけです」鵜飼が言う。

「見つける気あるのかな……?」

 白瀬は首をかしげる。

「あと風華さんの通っていた高校も制服から特定しました。桜院(おういん)高校というそうです」

「あ、ほんとだ。桜のマークついてる」

 白瀬に言われて気付いたが、風華の着ているグレーのジャケットには桜のマークと共に『ÔIN』の文字がある。制服から身元を特定できたのだから、これを着ていてよかったとつくづく思う。

「桜院高校は名古屋市内の私立高校で、ここからは車で一時間半ほどかかります」

「じゃあ、今日はもう遅いから、明日行ってみようか。風華さん、疲れてない?」

 言われて気がつくが、体が鉛のように重くだるい。もう死んでいるのだから疲労を感じるのも可笑しな話だが、疲れているようだった。

「少し」

「ホテルに泊まろうか。この辺にはビジネスホテルしかなさそうだけど」

 ファミレスで会計を済ませ、三人は駅周辺のビジネスホテルへ向かった。幸いツインルームが空いており、二人はそこに泊まることにした。

 ベッドが部屋の大半をしめている清潔なホテルの中で、やれやれと白瀬は机の前にあった椅子に座る。鵜飼は鏡台の前の椅子に座った。

「実体がないから仕方がないとはいえ、俺たちと相部屋でごめんね」

「いえ、本当に仕方がないことですから」

 どうぞどうぞと勧められるがままに、風華はベッドに腰掛けた。

「俺たちは眠る必要ないから。風華さんはまだ生前の名残で、疲れたり眠くなったりするんだろうね。ストレスをためると悪霊化が早くなるから、こういうときはゆっくり休むのが一番だよ」

「そうですか……。わかりました」

「あと一応俺たちは君を監視する役目もあるから、ちょっとその辺を歩きたくなっても一人で出て行かないで。疲れてるし、どこにも行かないとは思うけど、念のためね」

「はい」

「じゃあ、おやすみ。よく寝れるといいね」

 白瀬の微笑みは不思議とこちらを安心させてくれるエネルギーのようなものがあった。お日様のようだというか、初夏の向日葵という言葉がよく似合う。

 ざわざわとしていた風華の胸の内も、ベッドに横たわり目をつむるとほんの少しだが筋肉が弛緩し楽になる気がした。もっとももう死んでいるのだから筋肉など動いてはいないのだろうけれど。

 私は誰かに殺された。

 そして私は世界を憎み、他人に不幸を与える権利を持った。

 風華は頭の中でその二つの事実を反芻させる。

 事の真相を知ってなお、私は世界を憎まずにいられるのだろうか。

 他人を傷つけることは無論、いいことだとは思わない。けれど相手はこちらを殺しているのだ。命を奪わずとも不幸になって当然、しかるべき罰を受けるべきだとも思う。私が山中に遺棄されていて、事件化していない以上、その犯人は今もきっとのうのうと過ごしているのだから。

 私は犯人を不幸な目に遭わせたいのだろうか。

 自身に問いかけるが、まだ答えはなかった。


 ***


 狩人は眠らない。獲物を前にしてうたた寝をするようなことは決してない。そもそも眠るという機能がこの身体には備わっていないのだから、寝ようがないのだ。鵜飼はこれからコンビニに行って、最近流行りのイタリア風の洋菓子を買いに行きたかったが、さすがに『休憩時間』をとりすぎかと何とか自制しているところだ。

(こんなしっかりしたいい子なのに、なんで殺されちゃったんだろね?)

 シーツに触れられない風華に変わり、眠っている彼女に白瀬が布団をかけてやる。寒さや熱さを感じるわけではないので、ただ見た目と思いやりとしてそうしてやりたかったのかもしれない。

(一見いい子でも何があるかはわからないじゃないですか)

 二人は口や喉を動かさず所謂念話のようなもので話をしている。狩人同士のアイコンタクトの延長にある能力だ。風華はよほど疲れていたのか、意識をこちらに向けている気配はないが、声を出して喋るのは気が引けた。

(先輩はそういう例だっていっぱい見て来たんじゃないですか?)

 鵜飼は白瀬と組んで、もう長い。長いと言っても、それはまだ若い狩人の鵜飼の基準であって、年寄りの白瀬からしたら瞬きのような時間に過ぎないのかもしれないが。

(そうだけど、何事もケースバイケースだよ。まったく同じ境遇と運命の人なんて今も昔もいないんだから)

(……それはまあ、そうですね)

(暇だね~。トランプする?)

 暇つぶしがトランプと言うのもどうにも爺臭い。

(しません)

 ぷいっと視線をスマートフォンに戻し、現世のスイーツ情報を漁る。エッグタルトやアップルパイが恋しい。

(そうツンツンしないでよ。親睦を深めようって言ってるんだよ。俺たち、組むのは初めてだろう?)

(別にツンツンなんてしていませんよ。これがデフォルトです)

 鵜飼は白瀬のことを知ってはいたが、こうして共に仕事をするのは初めてだった。『狩り』は二人一組が一般的。鵜飼が養成機関での勉学を終えて、独り立ちしたのは最近のことで、こうして大先輩である白瀬と組むのは初めてだ。

 白瀬は数々のルール違反で課内でも有名な存在だった。とある理由から第一線から取り除かれてはいないが、鵜飼からすると、厄介な存在にカテゴライズされる人物だった。

 静かに暮らしたい鵜飼にとって、白瀬と組むのはできれば避けたいことだった。狩人たちに寿命はなく、永遠に仕事を遂行する機関である。だが多少なりとも感情はあり、鵜飼は最近の若者よろしく、あまり働くことが好きではなかった。八時間働いて休むような生活が理想であるし、人間たちの言う『転職』という考え方が羨ましい。だが、残念ながら狩人は、存在したときから永遠に狩人のままなのだ。

 せめて規則違反をして叱られることがないように、穏やかに暮らしたい。それが鵜飼の願いであった。


 ***


 翌日、鵜飼たちは年齢を十代に調節し、桜院高校の制服に身を包んでいた。朝に起きた風華はそれに驚いたので、鵜飼が説明する必要があった。

「私たちは桜院高校に潜入してみようと思います。風華さんが何かトラブルを抱えていなかったかとか、生前の風華さんについてもっとよく調べたいので」

「でも、いくら制服を着ていても、突然男子生徒が二人も増えたら、驚かれるんじゃないですか?」

「そこはだいじょーぶ」と白瀬。「調節課っていって暗示みたいなことをしてくれる課があるんだ。暗示っていうよりもはや一時的な洗脳だけど……。とにかく短い時間なら狩人が紛れても違和感を持たれない」

「そ、そうなんですか……」

 早朝にホテルをチェックアウトし、電車に乗り名古屋方面へ。三人が桜院高校の最寄りの駅についた頃には、高校生たちの通学時間と重なった。地下鉄を下りて、通学路らしき大通りを進むと、数十人の学生がわらわらと歩道に広がり歩いていた。

 風華の姿は誰にも見えない。それどころか、風華の身体を貫通し、走り去っていく者もいる。こういうときにショックを受ける亡霊もいるのだが、風華は瞬きを数度して驚くだけで、騒ぐこともなく落ち着いていた。

 年齢のわりにしっかりしている。

 鵜飼の風華に対する観察は相変わらず続いていた。亡霊を観察することもまた、殺された理由の特定につながっているかもしれないからだ。

 狩人の仕事は亡霊を狩ること、そう言われていたのは今は昔。〈多様性〉が重視される世の中で、亡霊は〈世界を憎む権利〉を手に入れた。この権利を行使すれば、自分を殺した相手を殺すことはおろか、二、三人なら巻き添えにして始末ができる。これのどこが〈多様性〉なのか、鵜飼にはよく理解できない。

 強大な悪霊は古代から存在する。放置しているものがほとんどだが、それらは今でも災害となり、世界に影響を与えている。そこに更に、微力とはいえ悪霊を追加するというのは如何なものなのだろうかと思わなくもない。

 けれど、どこかの部署のどこかの偉い役職の決めたことならば、従わなければならないだろう。なぜならばこれは仕事で、鵜飼は従順な社会の駒にすぎないから。そこに嫌悪感はない。そもそも人間や亡霊に対し、感情的にあれこれと思うことはない。鵜飼にとって関心があることは狩りの途中、この世にある食欲がそそられる美味しいスイーツを堪能する時間があるのか、それくらいだった。

 たとえ微力な悪霊が増加し、それに比例するように地球環境が悪化していても、知ったことではないのである。

 鵜飼たち三人は堂々と正門から桜院高校の内部に侵入した。昇降口で履物を変える必要があったので、まだ来ていない生徒の中からサイズが合いそうな上履きを適当に拝借した。白瀬が生徒の一人に声をかける。

「ちょっとごめん、宮前風華さんのクラスわかる? 教科書を返したいんだけど、クラスを忘れちゃってさあ」

 困った風に白瀬が笑いかけた。うまい言い訳だなと鵜飼は思う。訊ねられた生徒はこう答えた。

「三年生の人だから、クラスまでは知らないですけど、その人、行方不明だって聞いてますよ」

 答えてくれた男子生徒は一、二年生なのか風華のクラスを知らなかった。

「そうなの? ……とにかく、教えてくれてありがとう」

 そうしてまた次は、三年生の下駄箱の付近に移動し、同じ質問をする。今度は風華が三年五組の生徒だという情報を得られた。訊ねられた女性徒も同じように風華が行方知れずだと告げると、今度は「インフルエンザで学校を休んでいて知らなかった」とそれらしい嘘をつく。

 三年五組に入る。誰も特にこちらには注目していない。狩人にかかっている〈魔法〉はうまく効いているようだ。

 すでにクラスメイトの半数は揃っており、中心人物の机の周りに集まったり、小テストの準備をしたり、各々自由に過ごしていた。何気ない風に白瀬はグループの一つに声をかけた。

「おはよう」

 人好きのする微笑みを浮かべた白瀬に対し、警戒や疑問を抱く者はいない。

「おはよー」

 彼らは白瀬の名前も、鵜飼のことも知りはしない。けれど彼らがここにいることになんの疑問も抱かない。この〈魔法〉は一人に対して、効いてもせいぜい十五分ほど。あまりにも強烈な印象を抱かせると、その時間が縮まるので、落ち着いて冷静に対処することが肝心だ。

「そういえば、風華さんが行方不明って本当なの?」

 声を潜めて鵜飼から切り出す。

「らしいよ。家出かもって」

「まあ、仕方ないよな。あんなことやそんなことしてるんだから、やばい組織と繋がってたりして」

 一人の生徒が面白おかしくそう言うと、また別の生徒が彼を睨んだ。

「やめろよ。感じ悪い」

「悪い悪い。でも本当なんだろ、宮前さんがAVに出てるって」

 はたと、白瀬も鵜飼も息を止めた。もとより呼吸はするがそれも別に人間に擬態するためで必要とはしない二人であるが、突然現れた怪訝なワードに驚かざるをえなかった。

「AVって動画の春画みたいなやつ?」

 きょとんと白瀬がとんでもないことを言い出すので、これ以上ボロが出ないようにと鵜飼が白瀬の口をふさいだ。

「先輩は黙ってて」

「ごみゃん」

 生徒のひとりが苦笑する。

「春画って……、何時代だよ」

 鵜飼は白瀬を取り押さえたまま、二人の後ろにいた風華を伺う。もちろん彼女はショックを受けているようだった。風華の指先は震え、見開かれた目がたった今の言葉を否定するようにスマホを見つめている。

 いったん、落ち着いた方がいいな。

 そう判断し、白瀬を連れて教室を出る。ふらふらとした足取りで風華もあとをついてきてくれた。

「人気のないところに行きましょう」

 北側にある校舎の最上階、立ち入り禁止の屋上の前に三人は集まり、鍵のかかったドアに背を預けて床に座る。ここは人気もなく、三人で話していても誰に聞かれる心配もないだろう。

「風華さん、あの……」

 大丈夫ですか、と聞くのも変な話だ。大丈夫なわけがないのだから。風華は白い顔をして、思いつめたように自分の両手をじっと見つめていた。白瀬はというと、彼も声をかけあぐねているらしく、困った風に膝を山にして座っている。

「あの話の中で突然、思い出したことがあるんです」

 震える声で風華がいう。

「宮町華って名前です。たぶん私の芸名だと思います。あの、私、スマホを持ってないので検索してもらえませんか?」

「知らない方がいいんじゃないですか?」

 鵜飼が持論を述べたが、風華はそれを拒否した。

「いや、でも……。自分のことなので、知りたいです」

 事実だと認めたくない気持ち、事実ならば確認したい気持ち。その二つの気持ちで、今の風華は揺れているのだろう。鵜飼がためらっていると、白瀬がらくらくフォンで検索を始めていた。

「十八禁って感じじゃなさそう。男の人は動画には出てこないし。水着を着て、カメラマンの指示で色んな仕草をする……、いや、まあ、十五禁くらいではありそうだけど」

 それを証明するように白瀬は風華に動画一覧を見せてやった。どこかの小さな事務所がやっているようで、スクール水着姿の風華がいるプールもみすぼらしく、カメラの画質も荒い。その素人感がうけているのか、動画の再生回数は十万を超えている。

 動画はさすがに回さなかったが、二十本ほどの動画一覧のサムネイルをたっぷり五分かけて見た風華は疲れたように息を吐いた。

「よかったと、思うべきなんでしょうか……」

「………」

 鵜飼は何も言えなかった。これは非常にデリケートな問題だ。どう返答するのが、風華を一番傷つけないか、しばらく考える時間が必要だった。もしも不用意な発言をすれば風華にストレスがたまり悪霊化が進む。

 亡霊が悪霊になることは〈多様性〉の社会の中で認められている。だが、単純な狩人の成果としては、もちろん亡霊を狩る方が査定が上がる。金や名誉に執着があるわけではないが、あまりにも担当の亡霊を悪霊にばかりさせていると狩猟課のメンバーから小言を言われることは必定であり、それは面倒なので避けたかった。

 狩人の仕事は亡霊を狩ること。この第一条件は今でも揺らがない。

「今の風華さんが嫌だと思うなら、嫌、でいいと思うけど」

 そんななか、このベテラン狩人はさらりとそんなことを言ってのける。

「でもストレスをためたら、悪霊化が進んじゃうんですよね。このくらいで済んでよかったって安心しないと……」

 健気にも風華は目に涙を浮かべ、笑おうとしていた。このくらい大した傷ではないとでも言うように。

「なってもいいんだよ、悪霊に」

 そんな風華を隣にいる白瀬は包み込むように声をかける。

「言ったでしょう。君には世界を憎む権利があるんだ。誰かを殺しても誰も君を裁かないし、誰も君を恨めやしない。嫌になったら、嫌だって言って、投げ出して、それからずっと恨んでてもいいんだよ」

 何百年も後輩である鵜飼は口を挟めない。今の白瀬の発言は狩人の第一条件に反しているように思える。しかし、彼はそう言ってはばからない。

 その言葉を受けて、風華の目からぼろぼろと涙が零れた。

「宮町華って名前を思い出したとき、正直吐き気がしました。すごく、嫌な気分でした。私はこの名前にいいイメージが全くない。たぶんこの仕事も嫌だったんだと思います。何も覚えてないから感覚での話になってしまうのですが……」

「うん、そっか。嫌だったんだね……」

「こんなものがクラスで広まってるってことは、私、友達とかいなかったんじゃないでしょうか」

「それはまだわからないよ。そもそもこの動画がいつクラスメイトにバレたのかも謎だし。もしかしたら風華さんが失踪した後なのかも」

「今から教室に戻ってそこまで調べるのは、難しそうですね」

 鵜飼と白瀬の〈魔法〉は一人あたり十五分ほどで違和感へと変化していく。

 また〈魔法〉の効き目は一日でリセットされる。なので深夜十二時の前に、できるだけ多くの人物に会って、明日、またこの十五分を利用して再調査をするというのが理想的である。

「このこと、ご家族は知っているんでしょうか?」

 ふと思った疑問を鵜飼が口に出す。

「知らないと思います」と風華。「普通、未成年の娘にこういうことさせないと思いますから」

「でも風華さんに〈普通〉はあんまり通用しないかもよ。普通は殺されないから」

 あっけらかんとデリカシーのないことを白瀬は言う。こういうところ、気を遣えるのか遣えないのか、よくわからない上司である。

「たしかに……。私も言っていて自信がありません。どんな親だったのかも思い出せませんし……」

「話していても埒があきません。とにかくご家族に会いに行ってみましょうか」

「けど住所が思い出せないんです」

「大丈夫ですよ。職員の振りをして、職員室に入り込みます。生徒の個人情報は電子で管理されてるでしょうけど、パソコン周りに、付箋でパスワードを書いて貼ってたりする人も中にはいますから」

 鵜飼は年齢と衣服を調節し、二十代のスーツ姿の男性に変わる。

「おはようございます」

 爽やかな笑みを心掛け職員室へと入る。何人かが鵜飼を見て挨拶を返した。怪しまれている様子はない。

職員室の中を見渡すと、予想通り、リテラシーの低い職員がいてパスワードは容易に把握できた。何食わぬ顔で適当な椅子に座り、パソコンを立ち上げ、宮前風華の住所を手に入れた。ついでに成績なども紐づいて出てくる。どの教科も五段階評価の四から五で、学年首席とはいかずとも、成績優秀だったことがうかがえる。

 優等生のゴシップに、謎の失踪か……。

 正しくは殺害だが、今のところは教師や生徒が知る由もないことだ。いったい誰が、彼女を殺害し、山に遺棄したのだろうか。


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亡霊の狩人 北原小五 @AONeKO_09

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