突然のデート 三

席に案内される前に注文を聞かれたので、僕はあじ干物定食を坂上はさば干物定食で、さらにそれに加えてそれぞれ卵を注文した。


「すごい! こんなに線路ギリギリなんだね」


 そして、僕達が席に着くと坂上が驚いた表情を浮かべた。


 僕と坂上が案内された席は窓際の席で窓から外を見ると目の前に線路があった。


「すごいよね。ここの席からだと走っている電車が目の前に見えるんだ」


 僕がそう言うと、丁度駅で停車中だった電車が出発した。


「あっ、写真。いや、動画の方が良いかな」


 それを見た坂上が慌ててスマートフォンを構えると、電車を撮り始めた。


 やがて、電車が通り過ぎて、ビデオの停止ボタンを押すと坂上が嬉しそうに口を開いた。


「こんな近くを通り過ぎる電車は中々見た事が無いからつい動画を撮っちゃった」


「すごい迫力だよね。逆に電車に乗ると、結構民家のギリギリを走っているからそれはそれで迫力があるよ」


「……それは迫力があると言うよりは何だか怖そうだね」


 僕の言葉に坂上が苦笑いをしながら言葉を返すと、丁度そのタイミングで店員さんが卵と小さな泡立て器、それに大小一枚ずつの皿をそれぞれ二人分を持って来てくれた。


「……あれ、卵だけ先にきたの? それに何で泡立て器があるの?」


 事前に予想していた通りのリアクションに僕は笑みを浮かべると、「少し見てて」と、坂上に声を掛けた。


 坂上が頷いたのを見ると、僕は卵を割って白身を大きな皿に、黄身は小さな皿に入れた。


 そして、僕は泡立て器を手にすると大きな皿に入れた白身をかき混ぜ始めた。


「……えっ、かき混ぜるの!? 一体どうやって食べるの?」


「それは定食が来たら教えるから、まずは僕の真似をして泡立ててみて」


 先程までは僕が振り回される事が多かったので、この展開を楽しく思いながら僕が声を掛けると、坂上は、「う、うん」と戸惑いながらも僕の真似をして卵を割ると白身と黄身を大小の皿に分けた。


 そして、泡立て器を手にすると、僕がかき混ぜている白身をチラッと見ると、「……本当にかき混ぜるんで良いんだよね?」と、不安そうな様子で再度確認をしてきた。


「定食が来る前に泡立てておいた方が良いよ」


 僕がそう言うと坂上はようやく決心がついた様で、「分かった。やってみる」と言って頷くと、白身をかき混ぜ始めた。


 そうして、僕達がしばらく黙々と白身を泡立てていると、「これ、結構難しいね」と、坂上は声を上げた。


 それから坂上は、「宇多川君はどんな感じ?」と言って、僕の皿を覗き込んできた。


「えっ? なんで私のとこんなに違って泡立っているの?」


「これはね、コツがいるんだよ。泡立て器は片手では無くて、両手で火起こしみたいに混ぜるんだ」


 驚いた様子で自分と僕の皿の白身を見比べている坂上に、僕はそう言って実演をしてみせた。


「本当だ、少しずつ泡立っていくね。……でも、それくらい全力でやらないといけないくらい難しいんだね」


「僕から勧めておいてなんだけど、そうなんだよ。大変だったら坂上さんの分も僕が泡立てようか?」


「大丈夫。コツを教えて貰ったし、自分で頑張ってみる」


 坂上はそう言うと真剣な眼差しで、僕のアドバイス通りに火起こしをする様にかき混ぜ始めた。


 そんな様子を見て、坂上は結構負けず嫌いなのだな、と思った。


 そんな事を考えている内に坂上がかき混ぜていた白身が泡立ちメレンゲ状になってきた。


「宇多川君、見て見て! 私のも泡立ってきたよ!」


「坂上さん、すごいね!」


「えへへ、私だってやれば出来るんです!」


 僕が褒めると、坂上は得意げな顔で嬉しそうに言った。


 そんな坂上を微笑ましく思っていると、店員さんが僕達が注文したあじ干物定食とさば干物定食を持って来てくれた。


「それで、この白身をどうするの?」


 定食がテーブルに置かれ、店員さんが去ると、すぐに坂上が興味津々といった様子で声を掛けてきた。


「白身と黄身をご飯の上に乗せるんだよ」


 僕はそう言うと、まずメレンゲ状になった白身をご飯の上に乗せて、さらにその上から黄身を乗せた。


「すごい、ふわふわで美味しそう!」


 坂上は目を輝かせると、「私もやってみよう」と言って、僕と同じ様にご飯の上に白身、黄身の順番で乗せた。


 そして、坂上はそれを見て満足そうに頷くと、スマートフォンを取り出して様々な角度から写真を撮り始めた。


 僕は普段からあまり写真を撮る習慣が無く、撮ったとしても真正面から一枚撮るのがほとんどなので、たくさん写真を撮るのだな、と思いつつ、坂上の邪魔をしない様に静かに撮影会の様子を見守っていた。


 やがて、撮影が終わったのか、やり切った表情で坂上が顔を上げた。


 そして、僕の視線に気が付いたのか、こちらを見て、ハッとした顔になると照れ臭そうに笑みを浮かべた。


「……ごめん、SNS映えするかなって思って、つい夢中になって写真を撮っちゃってた」


「全然構わないよ。それより、坂上さんはSNSをやっているんだね」


 友達は気軽に呟いたり、写真を投稿すれば良い、とよく言ってくるが、顔の見えない人達を相手に何を発信すれば良いのかがまったく分からず、アカウントを取得したは良いものの、ずっと放置をしたままだった。


「そんなに得意では無いけど、やる必要があったというか…… とにかくたまにしか投稿はしないけどね」


 坂上はそう言うと、「お待たせ。さぁ、冷めない内に食べよう」と言って、スマートフォンをしまった。


 僕はその言葉に頷くと、二人で手を合わせてから、「いただきます」と言って、食事を開始した。


 坂上は早速卵かけご飯を口に含んだ。


「メレンゲ状の卵かけご飯は初めて食べたけど美味しいね!」


 嬉しそうな表情を浮かべながら言う坂上を見て、安心した僕も、「良かった」と言ってから、卵かけご飯を一口食べた。


 久々に食べたがやはり美味しい、と思っていると、「魚も食べてみよう」と言って、坂上はさばを口に含むと、「美味しい」と、幸せそうな表情を浮かべた。


 それからは、僕も坂上も朝が早く、お腹が空いていたからか、僕達は何も言わずに黙々と食事を進めた。


 そうしてあっという間に食べ終えると、「美味しいかった〜」と言って、坂上が満足そうな表情を浮かべる。


 僕はそんな様子を見ながら、「お口に合って良かったよ」と言うと、坂上は、「宇多川君、ありがとう」と言って、笑みを浮かべた。


 それから、坂上は店内に視線を向けると、「それにしても、宇多川君はよくこんなお洒落な店を知っていたね」と、感心した様に呟いた。


「ここら辺だと、朝から行列が出来ている店として有名だからね」


「確かに、線路は近いし、メレンゲ状の卵かけご飯は可愛いし、SNS映えしそうな物がたくさんあるからね」


「あー、確かにそうかも」


 SNS映えなんて言葉を意識した事が無かった僕が今気が付いたかの様に呟くのを聞いて、坂上は不思議そうな表情を浮かべた。


「……宇多川君って、もしかしてSNSやってない?」


 坂上はそう言うと、まるで珍しいものを見るかの様な僕の事を見た。


「……まぁ、メッセージのやり取りが出来るアプリなら入れているよ」


 別に呟いたり、写真を投稿していなくても良いでは無いか、と思った僕は、やっていないと言うのもなんだか悔しくてその様に呟いた。


「あっ、そうなの? それなら宇多川の連絡先欲しいな」


 坂上がそう言ってスマートフォンを取り出すのを見ながら僕は、このお店を出たら滅多な事がない限り連絡を取り合ったり、会う事は無いのではないかと思ったが、そんな理由で断る必要も無いとすぐに思い直し、「良いよ」と言いながら、僕もスマートフォンを取り出した。


 そうして、連絡先を交換すると、店を出るならこのタイミングだろう、と考えた僕は、「外に並んでいる人も居るだろうから、そろそろ店を出ようか」と、坂上に声を掛けた。


 僕の言葉に坂上は振り返って外を見ると、「確かにそうだね」と言って、席を立った。


「そうしたら、ここの代金は私が払うね」


「いやいや、待って、坂上さん。それなら、僕が払うよ」


 そう言いながらレジに向かおうとしている坂上を僕は慌てて止めた。


 こんな感じの僕にも少しは男としてのプライドはあるので、流石に、奢ってもらう訳にはいかない。


 僕の財布はかなりのダメージを受けるが、こればかりは必要経費と割り切るしかない。


 そう思っていると、坂上は、「いや、でも私の我儘に付き合わせているし、やっぱりここは私が払うよ」と、言い方は優しいが、一歩も引かない、という意思を感じた。


 このまま会話を続けたら恐らく押し問答になってしまうだろう。


 そうなると、店内中から注目を浴びてしまう。


 そう思った僕は咄嗟に、「そうしたら割り勘にしよう」と、提案した。


 坂上は、「でも……」と言って、言葉を続けようとしたが、「取り敢えず、僕が払っておくね」と言って、押し切った。


 坂上には申し訳ない、と思ったが店の外に出たら改めて話をすれば良い。


 坂上は僕の意図を察してくれたのか、「……分かった。ありがとう」と言うと、大人しく着いてきてくれた。


 僕が会計を終えて店を出ると、「宇多川君、ありがとう」と言って、坂上が食べた定食の代金を差し出してきた。


 先程は坂上が何かを言おうとした時に押し切ってしまったので、ここは素直に受けるべきだろう。


 そう思った僕は、「ありがとう」と言って、代金を受け取った。


「坂上さん、もう大丈夫そう?」


 あまりにも長く外に居ると、坂上のお世話をしてくれている人が心配するだろう。


 そう思った僕は坂上に気持ちが落ち着いたかどうかを尋ねた。


「うん、デートが出来たし、これで大丈夫だと思う! ありがとう、宇多川君」


 僕と行動を共にしていた理由は喧嘩して気不味いからと説明をしていたはずだが、今の坂上の言葉はまるでデートが目的の様に感じた。


 デートをしたい、という言葉は嘘では無かった様だ。


 これでも坂上の意図をまだ完全には理解出来ていない、と思ったが、再び会う事は無いだろうし、坂上が満足出来たなら良いか、と僕は考える事にした。


「送って行かなくて平気?」


「うん、ここで大丈夫だよ」


 念の為に尋ねた僕の言葉に坂上は笑顔で頷くと、「じゃあね!」と手を振りながら去って行った。


 僕は坂上の姿が見えなくなるまで見送ると、スマートフォンを取り出して時刻を確認した。


 まだ午前九時前、一日が始まったばかりだ。


 久々に女子と二人で過ごしたからか、どっと疲れが押し寄せてきた気がする。


 まだ、夏休みもたくさんある事だし、今日の残りの時間は寝て過ごすか。


 そう決めると僕は家に帰る為に足を一歩踏み出したのだった。

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