第2話 親に飼いならされた少年

「スーパーの鮮魚コーナーでマグロの解体ショー。俺くらいの年の人も大人もみんな集まって楽しんでる。なんでマグロはよくて猫はダメなんだ? 校舎裏にいた野良猫だから誰のペットでもないのに」


 口を尖らせながら、コウキは不貞腐れたように言う。

 倫理観の欠如。いや、価値観が一般的なものと乖離している。

 初田はドイツ語で素早くカルテに書き込む。


「マグロは食べ物だからね。解体した後はみんなでいただくだろ。コウキ君はなんのために猫を解体したんだい」

「マグロのショーはみんな楽しんでるから、猫だって楽しんでくれると思ったんだ」

「楽しかったのかい」


 コウキは首を左右に振る。


「俺は楽しいと思ったのに、みんなが泣きながら先生を呼んで、母さんが学校に呼び出されて、それっきり」

「そうか。……ちょうどお昼時だろ。お腹空いてないかい。おにぎりは塩にぎりだから、米のアレルギーでない限りは食べられるよ」


 初田はおにぎりを勧めながら、自分もおにぎりを食べる。コウキはおにぎりだけでなく、紅茶にも手をつけない。


「外で食べたら母さんに怒られる。夕食が入らなくなるからダメだって」

根津美ねづみさんのおにぎりは美味しいんだよ。あ、根津美さんは受付にいたお姉さんのこと」


 膝の上で拳を作り、頑なに手をつけようとしない。まるで警察で調教された犬だ、と初田は内心でため息をつく。

 ここに入ってきてからずっと、コウキは常に母親の顔色を窺って行動している。

 同年代の少年なら本来、もっと生意気だったり、よく笑ったりするのに。

 着ている服もコウキの趣味ではなく、母親が買い与えたものだと察せられた。



 問診票に年齢家族構成などプロフィールを書いてもらい、目を通しながら話をすすめる。


【中村コウキ】

 四月十九日生まれ 十六歳

 高校中退

 父母子の三人暮らし

 父 秀樹ひでき 商社Aの営業主任

 母 礼美れいみ 専業主婦

 記載された電話番号は家の固定電話。携帯電話はゲームアプリを入れられたら勉強に身が入らなくなるから禁止されているらしい。


「コウキくんには、なんでも話せる友達はいるかい」

「小学生の頃からずっと塾行ってたから、誰かと遊んだことなんてない。ゲームや漫画も買ってもらったことがない」


 勉強だけがお友達状態。だからだろうか。コウキは声音にあまり抑揚がない。


「塾以外は? 夏休みに家族でキャンプに行くとか、海水浴に行くとかしなかった」

「父さん、仕事で忙しいから。土日も商談や接待で家にいないから、顔を合わせるのほとんどない」

「今日一日、わたし以外の誰かと会話をしたかい」

「受付の人と、母さん。……あ、あと、電話に出たら、インターネット回線が安くなりますよ、って。その三人」


 病院受付の応対は会話らしい会話とは言えないし、セールス電話に出たのだって生きた会話と言い難い。


「なんでマグロはよくて猫を殺しちゃダメなんだ」

「動物愛護法ってものがあるからさ」

「でも牛や豚や鶏を食べるじゃん。動物愛護って言うなら、牛や豚も食べるために殺しちゃダメだろ。牛や豚は殺しても法律違反じゃないのに、猫はダメってわからない」

「そうだねえ。わたしにもそこの線引きはわからないよ。法律を決めた人間じゃないから」


 家畜と愛玩動物の線引きは本当に難しい。


「コウキくん。今日の朝食はなんだった?」

「トースト、スクランブルエッグと、ウインナー、サラダ、野菜ジュース、ヨーグルト」


 指折り数えて答えるコウキに、初田は腰掛けているソファの横にある大きな観葉植物を指す。


「ここにパキラがあるでしょ。見ての通り模造品でなく、ちゃんと生きた植物だ。ほら、触ってみて」

「確かに生の植物だけど、それがどうかした?」

「なんでサラダは食べるの? 植物も生きているって今わかったでしょう? 鶏の卵や肉のことには言及したのに、サラダにされた植物のことはなんとも思ってなかったでしょ」


 そんなことを言われると思っていなかったのか、コウキは唾を飲む。


「植物は何も考えず食べているくせに、動物はダメなのはなぜ、という。なぜ平気な顔で植物を食べるんだい。この子達も生きているのに。植物を切るのが犯罪だという法律があったら食べなかったかい」

「そ、それは詭弁きべんだ」


 答えられず混乱するコウキ。これまで野菜を食べることに疑問を抱いたことなんて、一日たりともなかったからだ。

 マグロはよくて猫はダメなのはなぜかと、コウキは初田に疑問を投げた。なぜ野菜は平気で食べているのか、と問われ答えは出なかった。


「同じだよ。なぜ植物を食べるのは犯罪じゃないのかと、なぜ猫を殺しちゃダメなのかは同じだ。人は無意識に、殺していいものとダメなものの基準を作っている。それの平均値が提示されたのが法律だ」


 食肉にしていい動物と殺したら罪になる動物。どちらも命にかわりない。


「国によっては猫を食べるからね。楽しく猫の解体ショーをしたいなら、そういう国に移住することをお勧めするよ。ベトナムやスイス辺りかな」

「……変な人だな」


 コウキは呆れたように肩をすくめる。ようやく、年相応の少年らしい顔をしたのだった。

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