第1話 イカれたお茶会とうさぎ頭の医者

 神奈川県の鎌倉駅から徒歩十五分ほどの商店街。

 その一角に、初田はったハートクリニックという心療医院がある。


 変人医師だが腕は確か。と噂のあるクリニックに、ひと組の親子が訪れた。


 十代半ばの少年と、その母親。

 少年は黒髪を伸ばしていて、俯きがち。

 服装はブランドのシャツとパンツ、革靴。年齢の割に大人びた服装だ。

 母親の方は授業参観にでも行くようなスーツ。しきりにクリニック内に視線を走らせている。


 受付の内装は普通の病院と大差ない。カウンターと長いソファと観葉植物。マガジンラックには絵本や料理雑誌が置かれている。

 受付の女性に案内されて診察室に入ると、二人はギョッとした。

 

「ようこそ、君が精神センターから紹介されてきた中村コウキくんか。私は初田初斗はったはつと。このクリニックの医師です」


 診察室に入ってすぐ、向かいのソファにウサギ頭の男が座っていた。


 英国紳士を思わせるようなスーツに身をつつんでいるのはまあまあ普通だとして、初田はウサギの被り物をしている。

 ウサギ頭の上に、飾りがたくさんついた青いシルクハットがのっていた。


「とりあえずかけてくれ。もっと紅茶をどうぞ」


 初田は二人の動揺など全く気にせず、ティーカップに紅茶を注いでテーブルに出す。

 茶菓子としておにぎりとしょうゆ煎餅が添えられている。


「あなたが医者? なんでそんな変なもの被っているの」

「おや、お母さんは青い帽子が嫌いだったのかな。それじゃあ黄色い帽子に替えようか」

「帽子じゃないわよ! そのウサギのお面! ふざけているの!?」

「ウサギですか? お向かいのセレクトショップで購入しました」


 母親は不信感を隠そうともせず声を荒らげる。そんな母親を横に、コウキは表情を変えないままティーカップに視線を落としている。



「いやね、例えばわたしが三十歳の男だとするじゃないですか。“お前みたいな若造に精神治療なんてできるのか”って言われるでしょ。七〇歳だったら、“こんなジジイで大丈夫か”と言われる。でも、ウサギならみんな大好きでしょう?」

「はあ!? 知らないわよそんなこと。医者が顔を見せないなんておかしいわ!」


 どんな年齢であっても文句を言う人はいるからウサギを被るのだと、初田はわかるようなわからないようなことを言う。


「わたしの顔を見ると言うのはご法度はっとだ。今すぐ帰るといい」

「ふざけないで。こっちは予約で二ヶ月も待ったのよ! わかったわよ、そのままでいいから診なさい!」

「なら診察しよう」


 初田はコウキに向き直る。


「それで、君の悩みは何かな、コウキくん。紅茶を飲みながらでいいよ」


「この子をどうにかして。おかしな行動ばかりするものだから、せっかく入った進学校を退学になってしまったの。他の病院では『重症すぎてうちでどうにもできない』と言われてしまって……」


 出された紅茶に手もつけず言い募る母親。初田はそれを遮った。


「わたしはコウキくんに聞いているんだ。お母さんは外に出ていてくれないか」


 部屋に入る前から、コウキは一言も発していない。コウキではなく、母親がずっと喋っていた。

 冷たく言われ、母親は鼻白む。


「ちょっと。私がここにいちゃ不都合だとでもいうわけ? 私は母親よ!」

「コウキくんは男の子だもの、お母さんがいたら言いにくいこともあるさ」


 初田は「ね?」とコウキの意思を確認する。

 母親の顔色を窺いつつ、コウキは小さく頷いた。母親は聞こえよがしに舌打ちし、診察室のドアノブに手をかける。


「おかしな被りものをしているし、紅茶に煎餅なんて変なもの出すし、私を邪魔者扱いするし、変人って噂は本当だったのね。今日にでも他の病院への紹介状を書いてもらいますからね!」


 バン! と外にまで響きそうな勢いで扉を閉めて出て行った。


 初田は気分を害した様子もなく、煎餅を半分に割って口に入れる。


「それじゃあ聞こうか。紹介状には、野良猫を解体して退学になったって書かれていたのだけど」


 世間話をするかのようなのんびりした口調で聞かれ、コウキは初めて口を開いた。


「……確かに猫を解体したけど、たったそれだけのことで、なんであちこちの病院に連れて行かれないといけないのさ。どうせ放っておいても、保健所で殺すでしょ。要らないものを処分して何が悪いんだ」


 コウキの表情に罪悪感はない。

 なぜ精神科を渡り歩くことになっているのか、本人は理解していなかった。

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