第3話 通過儀礼の赤唐辛子

 事情を聞き取ることができたので、初田はようやく礼美れいみを診察室に呼んだ。


「それで? この子治るんです? もう異常なことはしません? 来年の入試を受け直して一年遅れになるにせよ、いい高校を出ていい大学を出て公務員になってもらいたいんです」


 一時的にとはいえ診察室から追い出されていたため、礼美は不機嫌を隠さない。

 コウキは居心地悪そうに視線を落とす。

 

「お母さん。一つ言っておくとね、子どもが生き物を殺すこと……それ自体は誰しも通る道だから、別段問題はないんだよ。今回問題になったのは、分別のつく年齢になってから猫殺しをしたからだ」

「え?」


 初田は手元で何か千切るような仕草をしながら小首を傾げる。


「お母さんは幼稚園児くらいの頃に、友だちとバッタの足をちぎったことありません? 捕まえた赤トンボの頭と羽をむしって赤唐辛子ごっこ。わたしは玄関に赤唐辛子を並べて置いたらおばあちゃんにゲンコツされたよ。かわいそうなことするなって」


 笑いながら戸棚を開けて、缶の中から新しいお煎餅を出す。七味がまぶされた唐辛子煎餅だ。


 冷めて湯気が立たなくなったティーカップの横に唐辛子煎餅を添えて、歌うように言う。


「さあお母さん。もっと紅茶をどうぞ。今日はとてもおめでたい日だからお祝いしないと」

「いっ、要らないわ」

「残念」


 礼美は赤トンボを千切った話をしたあとに唐辛子煎餅を出す初田の神経を疑った。


「初田先生。お祝いって? 今日は祝日でも何でもない平日のはずだろ」

「ふむ。ではとっておきの絵本を貸してあげよう。待合室で読んだら感想を聞かせておくれ。三〇分もあれば読み終わる。その間お母さんはわたしとお茶会をしよう」


 初田は医学書が並ぶ本棚に一冊だけささっていた絵本をとり、コウキの背を押して診察室の外に出した。

 診察室に残ったのは初田と礼美だけ。


「今のうちに、お母さんの目から見たコウキ君のことを聞こうか。本人の前で言えない不満なんかも今なら言えるよ?」


 行動はやや可怪しいけれど、たしかに医者なのだと礼美は思った。


「良い子だったわ。言いつけはきちんと守るし学校の成績もいつも学年三位以内に入っていたし。主人もそう言っているわ。ご近所の方や親戚からもよく褒められていたの」


 そんな上っ面のことを聞きたかったのではない、とはあえて口にしない初田。

 だった、いた、と過去形でしか言わないのは、今は良い子だと思っていない心理の現れに見えた。


「ただでさえおかしな行動で退学になってイライラしてたのに。うちの子に変なものを与えないで。さっきの絵本、教育に悪……」


「悪くないよ。あれは一八六五年に刊行されて以来世界中で翻訳されている本さ。聞いたことはないかい。不思議の国のアリス」


 名前だけなら知っている程度らしい。

 礼美は腕組みし、指で肘を叩いて口を引き結ぶ。


「お母さん、こちらにあなたとお父さんの、結婚するまでの生い立ち家族構成についてご記入ください。コウキくんはあなたが母親になってからのことしか知らないでしょう」

「は? 私の生い立ちがコウキのことと関係あるの?」


「あるとも。あなたとコウキくんは非常によく似ている。気づいているかな。人の目を気にして、顔色を窺ってばかりいるでしょう。ここに来るのにも、普段着で問題ないのにきっちりとスーツを着てきた」


 初田ハートクリニックは個人病院。都市にあるような総合病院と違って気負うことはない。

 たいていの患者は普段着でくる。

 それを、礼美はスーツ着用でしっかりと化粧までしてきた。息子にもシャツとスーツのパンツを着せて。

 二人ともあたりを気にしながら診察室に入ってきた。

 コウキのことを聞いても、息子が夫と親戚からどう評価されているかを気にしている。


 初田の目には、中村母子は本質がとても似ているように見えた。


 礼美もおそらく精神的疾患を抱えている。


「わたしはホラ、見ての通りウサギでしょう? だからあなたがた母子はここへの紹介状を出されたんだ。親戚の目は気になっても、赤の他人……ウサギの目を気にしたって意味はないだろう」


 表情こそ見えないけれど、初田の声音は穏やかで楽しそうだ。

 この初田というウサギ男は変人呼ばわりされていることを自覚しているようだし、自覚した上でのんびり気ままに生きている。


 気ままで、たぶんコウキと礼美がどんな行動をとっても気にしないのだろう。

 猫の話を聞いても平然としていたくらいだ。


 礼美は深呼吸して、問診票に記入した。


 中村礼美、旧姓珠妃たまき 三十八歳

 兄弟はなし

 十歳、両親が離婚

 母に引き取られ、高校卒業と同時に家を出る

 二十歳のときに結婚

 夫、中村秀樹、四十四歳

 兄二人がいる三人兄弟の末子

 A国立大卒後、現在勤めている会社に就職


 問診票に目を走らせ、初田は質問する。


「コウキくんに話を聞いたとき、祖父やいとこの話題は出ませんでした。夏休みに遊びに行ったりはしませんでしたか。母方父方どちらでも」

「正月や盆、主人の実家にお邪魔するくらいです。いとこは全員コウキよりひとまわりは年上の女の子で」


 いとこがいても異性の上、その年齢差では友人のような関係は築けなかっただろう。

 そして内孫で初の男子ともなれば親戚からの期待は大きい。


「なるほど。ありがとうございます。参考になりました」

「あの、コウキは薬を処方されたりするんですか。薬を飲めば変な行動を取らないですか?」


「それで治るなら前の主治医がそうしています。

 薬で思想や性格を変えることなんてできやしません」


 初田はどこからか猫のぬいぐるみを取り出して首にカッターを当てる。


「虫の解体をすっ飛ばして、いきなりの解体ショーをするなんてことはありえない。お母さんが気づかなかっただけで、コウキくんは学校帰りや塾の行き帰り、道端で見つけた虫を殺したことがあるはずだ。赤唐辛子の話を聞いて、嫌な顔をしたのはお母さんだけ・・・・・・でした」

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