2024/12/23

「結界の方――いや、柳さんでしたな。どうか見逃してください。せめて今書いている作品が完結するまでは……!」


 隠し部屋で、角蔵氏がおれにそう言って頭を下げたのを思い出す。こんな下手に出られるとは思ってもみなかったおれはオロオロしてしまったが、角蔵氏がスマートフォンを取り出し、web小説投稿サイトの画面を見せてきた途端に、それどころではなくなった。

「助手の鯉花くんが、ラブコメを書いていましてな……なかなか面白いと思ってみているうちに、わしもそういうものを書きたくなったのです」

 角蔵氏は、こんなふうに告白を始めた。

「書き始めたらこれが楽しくて……もちろん、わしはホラーを愛しています。しかしこの数十年というもの、期待されすぎた。もっと怖ろしいものを書けとせっつかれ過ぎて、いつしか書く楽しみを失っていた……それを、畑違いのラブコメが思い出させてくれました。小隈野角蔵の名前がないと無力なもので、ははは、PVも評価もろくにつきません。三人のフォロワーが更新を追ってくれているだけ……それでも、わしにとっては大切な作品です。たった三人だろうと、読者もついているんです。どうしても完結させたい。しかしわしが生きていると知れたら、本来の〆切がどっと押し寄せてくるでしょう。そうなれば、『らぶ殺』の更新どころではなくなってしまう……」

 話を聞きながら、胸がどきどきしてきた。

 今にして思えば、三人のフォロワーのうち一人は読増さんなのだろう。そして残り二人のうち、一人はおれだ。

 おれはこのところずっと『らぶ殺』の連載を追いかけていた。


 雪がちらつき始めた。ますます気温が下がる。おれは屋根の上で四方を警戒しながら、時々森の方を見た。角蔵氏は今、どの辺りにいるのだろうか。

(『らぶ恋』は確かに人気作品じゃない。読増さんは酷評してたし、実際ほとんど読まれてない。おれだってたまたま新着のところに出てきたとき、タイトルが気になってタップしなかったら、たぶん一生出会ってない。もしかすると、一般的にはあんまり面白い作品じゃないのかもしれないな。いや、おれも正直キュンとかはしないんだけど)

 でもなんか目を離せなくなって。主人公がちょっと自分に似てて。それで、読んでるとなんとなく元気が出てきて。毎回笑えて、時々泣けて。


 たとえ百万人にそっぽを向かれてたって、おれには間違いなく刺さったのだ。


 だから、角蔵氏が――米俵愛先生が逃げるのを見逃して、慣れない嘘を吐いた。ものすごくハラハラした。いやな汗が出たし、胃もキリキリした。

 結局、最後まで嘘を吐きとおせなかったのは残念だ。今だってこれから何をすればいいやら、全然わかっていない。

 でも、角蔵氏に何も協力せず、雨息斎先生の手助けをしてこの場を終わらせていたら。そしてその後『らぶ殺』の更新が止まってしまったら。

 おれはきっと後悔するだろう。

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