2024/12/19

「何が起きたんだ?」

「ちょっと見てまいりますわ」

 菊代さんが隠し部屋を出ていく。

 なんだか屋敷全体がざわついているような……嫌な汗が出てきた。何度も言うが、おれはビビリだ。こんなときに落ち着いているなんて不可能だ……。

「柳くん、大丈夫かい?」

 先生が澄ました声で尋ねる。おれは「だ、だいじょうぶです」と答えたものの、我ながらまったく大丈夫ではなさそうな声だった。

「先生、この部屋でラブコメを書いていたのかなぁ。ホラーの方は書いてないんだろうか……」

 読増さんがそう言いながらデスクに近づき、閉じていたラップトップを開いた。勝手にロックを解除し(なぜかパスコードを知っている)、マウスをぐりぐり動かしている。

「ああ、やっぱり……さっきの小説投稿サイトに、米俵愛という名前でログインしています。僕の目は正しかった……」

 そのとき、菊代さんがものすごいスピードで部屋に走り込んできた。

「ちょ、ちょっと! 皆さん!」

 息を切らし、毛皮に包んだ肩を激しく上下させているが、目はキラキラと輝いている。

「ちょっといらして! ポルターガイスト現象ですってよ!」


 菊代さんに連れられて、おれたちは応接室に戻った。さっきまでおれたちが集まっていた部屋だ。

「使用人が呼びに来た理由が、これですの!」

 菊代さんが嬉々として紹介してくれる。応接間の中では、テーブルの上に並んでいたはずのティーカップがすべて逆さまになり、重ねられて小さな塔のようになっていた。飲みかけの紅茶がテーブルの上にこぼれている。

「皆さまがお部屋を出ていらしたので、一旦テーブルを片付けようと入ったら……」

 クラシカルな長いドレスとエプロンをまとった、いかにもメイドさんといった感じの女性が、眉をひそめながらそう証言した。

「菊代、こんなのはもう『いつものやつ』じゃないか……」

 泰成さんが溜息をついた。そうだった、こういう現象が当たり前のように起きてるんだった――ああ、やだなぁ。おれはこっそり(帰りてぇ)と呟いた。

「このティーカップの山がいつの間にかできていたってことは、つまり父は、まだこの屋敷のどこかに隠れているってことじゃないか?」

 ホラー耐性が高い泰成氏は、菊代さんの興奮を抑えつつ冷静に推理した。「父がどうやって書斎を出たかはともかく、早いところ捕まえないと」

「えーっ、これお義父様の仕業ですの? 幽霊はぁ?」

「菊代、ロマンを追うのもいい加減にしなさい」

 夫婦げんかが始まってしまった――と、そこでおれはふと思い出した。そういえば角蔵氏には、奥さんがいたんじゃなかったか? その人は一体どこにいるんだろうか。出かけているのか、それとも屋敷の中なのか?

「おい、柳」

 先生がぼそぼそ話しかけてきた。「ちょっと話が……」

 そのとき、突然バンッ! という音が部屋中に鳴り渡った。驚いて顔を上げると、先生がおれから視線を外している。窓の方を見ているようだ。

「キャーッ!」

 使用人の女性が悲鳴を上げた。

 一枚の窓ガラスに、泥の手形がべっとりとこびりついていたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る