第7話 昼の非常階段で

 灯也とうやが後を追うと、二階と三階部分を繋ぐ非常階段にしずくが腰かけていた。

 こちらに気づいた雫は、にっこりとした笑顔を向けてくる。


「あれ? 瀬崎くんだ。こんなところで会うなんて奇遇だね~、一人?」


 その明るい表情も声色も、みんなに愛されるアイドル・姫野雫そのものだった。

 灯也は追ってきた理由をどう説明するか悩みつつ、深呼吸をしてから答える。


「一人だよ。奇遇というか、姫野の姿を見つけて追いかけてきたんだ」


 灯也がそう答えた途端、雫の顔から活気が失せる。


「――なんだ、そういうことなら早く言ってよ。顔作っちゃったじゃん」


 愛想も何もあったものじゃない、素顔のサバサバ女子に様変わりである。


「ほんとにいつ見ても惚れ惚れするくらいの二面相だな……」


「それ褒めてる?」


「褒めてる褒めてる」


「ならいいけど。――で、何か用?」


 雫は手にしたスマホに視線を戻しつつ、淡々と用件を尋ねてくる。

 やはり取り込み中だったのかと思い、灯也は申し訳ない気持ちになった。


「用というか、ちょっと気になっただけだ。邪魔をしたなら悪かったよ」


「ううん、平気。漫画読んでるだけだし」


「漫画?」


 灯也の問いに答えるように、雫はスマホの画面を向けてくる。

 そこには『六人のなでしこ』の原作三巻の内容が映っていた。


「って、『六しこ』じゃないか。そういえば、姫野は今月のマガジャンのグラビアをやっていたな」


「うん。私、これの映画に出るからね」


「えっ、マジか?」


「マジだよ。アイドルってある意味ではマルチタレントだから」


 昨今のエンタメ業界は境目が曖昧になっていると聞くし、アイドルは以前にも増してマルチタレント化しているのかもしれない。

 雫からすればそれは喜ばしいことなのか、少々上機嫌なのが伝わってきた。


「すごいな、誰役だ? って、こういうのを聞いてもいいのかわからないけど」


「メインじゃないよ、怪我で引退しちゃった伝説のサッカープレイヤー役。いわゆるキーキャラクターかな。……というかこれ、公式で発表済みの情報なんだけど?」


「悪い、知らなかったよ。キーキャラクターって時点で十分すごいと思うぞ」


「ふーん」


 言いながら、雫がスマホから目を離すことはない。

 その仕草を見ていて、灯也はあることを思い出した。


「もしかして、今日の自習時間に読んでいたのもそれか?」


「え? まあ、うん。学校に台本を持ってくるわけにもいかないから、代わりにね。勉強熱心でしょ」


「だったらやっぱり邪魔をしたな。本当に何をしているのか気になっただけだし、俺はもう戻るよ」


「待って」


 呼び止められたので振り返ると、雫が真っ直ぐに見つめてくる。


「瀬崎くんはさ、何か部活とかやってる?」


「やってない。去年はバスケ部に入ってたけど」


「バスケかー。結構ガチめだった?」


「まあ、そうだな。インターハイ――いわゆる全国大会を狙っているくらいにはガチだったと思う」


「へー。やめた理由とか聞いてもいい?」


「……そんなことを聞いてどうするんだ?」


 躊躇する灯也に対し、雫はきょとんとした顔で続ける。


「ちょっと参考にしたくて。ほら、映画のために。私って部活とかやったことないから、なんとなくでしか想像できないんだよね」


「なるほど、そういうことか。だったらなんでも答えるよ」


「ありがと」


「で、部活をやめた理由だったか」


「うん」


 灯也は踊り場の壁に寄りかかりながら思案し、伝えるべき情報をかいつまむことにした。


「俺が部活をやめたのは、部員や顧問と方向性が合わなかったから……かな」


「意外」


「そうか? 運動部あるあるというか、退部する理由としてはよくある方だろ」


「じゃなくて、瀬崎くんが他人と合わないって判断をするのが、意外って意味でさ」


 雫は淡々と言うものだから、その言葉が本心なのかどうかがわかりづらい。ただ、灯也としては『なんでも答える』と言った以上、なるべく包み隠さず説明するしかないわけで。


「姫野にとっての俺がどんな印象かはわからないけど、やるなら本気で全国を目指したかったしな」


「話し合ったりはしたの?」


「もちろん」


「でも折り合いは付かなかったんだ」


「ああ。監督兼顧問は根っからの旧来気質で、部員たちは平和主義。説得しようにも俺は新入生だったし、現状維持が一番だって考えている人たちに、変化を促すのは難しかったよ。目指しているところは、同じはずだったんだけどな」


 灯也は語っているうちに、自然と空を仰いでいた。

 届かないものに手を伸ばすような、漠然とした無力感を思い出しながら。

 すると、雫は小さく頷いてから言う。


「それは、私もちょっとわかるかも。そういう人たちを動かすためには、結局のところ『結果』で示すしかないんだよね。むしろそこからがスタートラインっていうか」


 雫の淡々とした口調は相変わらずだが、こちらの意見をしっかりと受け止めた上での言葉なのは、痛いくらいに伝わってきた。


 ここで灯也が心苦しく感じたのは、『結果』の部分だ。

 周囲が平和主義だろうが旧来気質だろうが、灯也が入ったばかりの新入生だろうが、実力で結果を示すことができていたら、何かが変わったのかもしれない。

 でも、灯也はそれを実行に移すことができなかった。


 灯也はバスケットボールを小学生の頃から続けてきて、中学時代は都の選抜選手にも抜擢されるほどの実力者だった。けれど、それでも新しい環境をいきなり変えられるほどの才能は備わっていなかった――と、少なくとも灯也自身は考えていた。

 ゆえに、今は思うのだ。一番の問題は自分自身だったのだと。


 部活をやめてからの灯也は、基本的に現状維持をする、事なかれ主義の日々を送っている。

 元が熱心な部活人間だったので、知人から見れば冷めている、あるいは努力を諦めたように見えても仕方のない状態だ。現に灯也は、自分を含めて誰にも期待しなくなっていた。


(そんな俺が、自分から動くとか)


 ……なので今日、こうして雫を見かけて気になったからと、会うために行動を起こしたことは、灯也自身も驚いていた。

 目の前の雫は意図を汲み取ってくれるとはいえ、灯也とは立場も在り方も異なる存在だ。

 ジャンルは違えど、世間的に見れば彼女は勝者であり、それだけの才覚が備わっていることになる。もしかすると自分にはない、そのカリスマ性に惹かれたのかもしれない。

 などと自己分析をした灯也は、改めて彼女が遠い存在だと実感した気がしていた。


「……悪い、なんか愚痴みたいになって」


「ううん、参考になったよ。それに、瀬崎くんのこともちょっと知れたし」


「俺のことを知って、何か意味があるのか?」


「あるよ。私は知りたかったから」


 淡々と言い切った雫を前にして、灯也は妙な充足感を味わっていた。

 その『知りたい』という欲求がどんな感情から来るものなのか、灯也には想像もつかない。

 でも雫からすれば、灯也は興味を持つべき対象と判断していることがわかったからだ。


「なんだそれ。姫野って変わった奴だな」


 つい照れ隠しで灯也が言うと、雫がはにかむように微笑んでみせる。


「その言葉、そっくりそのまま返すよ」


 ……と、そこで予鈴が鳴った。雫はすっと立ち上がり、灯也も壁から離れる。


「そういえば、姫野の演技って見たことないな」


「見る? 初出演の映画なら、予告映像にちょっと出てるけど」


「え、ああ」


 雫はスマホをいじりながら階段を下りてくると、灯也の隣に並んで画面を見せてきた。

 画面には『あまえんぼの恋』という映画タイトルの予告映像が流れていて――


『――よぉ~し、ここは親友である私が相談に乗ってあげよう!』


 女優・姫野雫が能天気な友人キャラとして出演していた。

 これはなんというか、感想に困るレベルである。


「……なんか、普段とノリがあまり変わらないな」


「でしょ。あくまで本業はアイドルだから、イメージを崩さない配役を――っていうのが、うちの事務所の方針でね。この分だと、当面メインキャストとかは演じられないと思う」


 雫は雫なりに、苦労しているというわけだ。

 この言い方だと、やはり女優業の方に力を入れたいのかもしれない。


「でもこの映画って去年のやつだろ。一年あれば方針とかも変わったりしないのか?」


「んー、どうだろ。今回の映画だって役のオファーはメインで来たけど、事務所側が『熱血スポーツ描写は合わない』って判断をしたからサブポジションになったわけだし、変わらない気がするな」


「へぇ。ちなみにオファーって、どの役で来たんだ?」


「一年生のサユだよ。――『先輩のためにぃ、サユがスポドリ作っときました~♪』って感じの小悪魔後輩キャラ」


「おぉ……」


 後輩キャラのサユなら灯也も知っている。あざとい小悪魔タイプで読者からも一定の人気があり、今の雫の即興演技を見た限りだと、演じられれば話題になったかもしれない。


「ま、文句を言っても仕方がないけどね。ほら、本鈴が鳴る前に行こ」


「ああ」


 階段を軽快に下りていく雫に続いて、灯也も駆け足になる。


「やっぱり姫野は、素の口調の方が落ち着くな」


 灯也はその背を見ながら、ふと思ったことを口にしていた。

 すると、雫が不満そうにジト目を向けてくる。


「それ、遠回しにディスってる?」


「ないない。気に障ったなら謝るよ」


「ディスってないならいい。私も嫌な気分はしないし」


 そうして無人の中庭を通り過ぎ、校舎内に戻る。

 ここからは別々で行こうとしたのだが、


「べつに後ろめたいことはしてないしさ、一緒に教室まで行けばいいよ。――ねっ、瀬崎くん?」


 再びアイドルスマイルを向けられて、灯也は苦笑しつつも頷く。

 急いで戻ったおかげで、二人とも本鈴が鳴る前に教室へ着くことができたのだった。

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気ままな女神さんの息抜き相手をはじめた 戸塚陸 @riku_t

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