第5話 ちょっとした息抜き

 二人は喫茶店で、しばらく他愛のない話をした。

 学校での交友関係だとか、好きな飲み物の話だとか、ハマっている動画だとか。


 しずくからは「事務所のHPにだいたいのことは載ってるよ」と言われたが、本人を目の前にして調べる気にはなれず、灯也とうやは家に帰ってから見るとだけ答えた。

 体感では数分だったが、実際には一時間近く話し続けた頃。


「ちなみに収録って、何時からなんだ?」


 灯也はふと思い出して尋ねていた。


「八時半から。まだちょっとだけ話せるね」


「結構遅いんだな。帰りとか平気なのか?」


「マネージャーに車で送ってもらうから平気だよ。――というか、さっきから質問の内容がお母さんみたいでウケる」


「面白味がなくて悪かったな」


「あはは、すねるなよー」


 雫から肘で脇腹を小突かれて、灯也はこそばゆい気持ちになる。

 素の雫は口調がサバサバしているぶん、スキンシップなんかも自然にしてくる。それに雰囲気に隙があるというか、これでは余計に普通の女子と変わらない気がしてくるから困りものだ。


(いや、そもそも特別扱いしてほしいわけじゃないのか?)


 などと灯也が思っていると、


「瀬崎くんはさー、全然聞いてこないんだね」


 ふと、思い立ったように雫が口にした。

 この言い方だと、カラオケで叫んでいた件についてだろうか。


「それなりには気になってるけど、俺が聞いても仕方のないことだろうしな」


「へー、そういう感じなんだ」


 驚いた風に雫は言うが、灯也からすれば大したことは言っていないつもりだ。


「誰にだって、上手くいかないことの一つや二つはあるかなって思うし」


「達観してるな~」


「ガキっぽいだろ? でもまあ、実際にガキなんだから許してくれ」


「むしろオジサンっぽいかも?」


「その言い方は地味に傷付くな……」


「あー、ごめん。正直に言い過ぎた」


 全然悪びれる様子のない雫に対し、灯也は苦笑することしかできなかったが、雫が楽しそうなので悪い気はしなかった。


「でもまあ、そっちが話したいなら聞くぞ。これでも愚痴の受け止め方はそれなりに慣れているつもりだ」


「言い方ウケる。ていうか、聞き流し方の間違いじゃない?」


「そうとも言うか」


「そっちも正直すぎ~」


 雫はグラスに残った氷をストローでかき混ぜながら、ため息交じりに言う。


「大したことはないから、心配しないでいいよ。瀬崎くんの言う通り、ちょっと上手くいかないことに腹が立っていただけ」


「そうか」


「うん、そう。本当にそれだけ。――あ、カラオケにはいつも叫びに行ってるとかそういうこともないから。ああいうのは本当に、たまにやるだけ」


 灯也は内心で『あれが初めてだったわけじゃないのか……』とも思ったが、ひとまず口には出さないでおくことにした。


「ま、ちゃんと扉さえ閉めてくれれば、俺は何も言わないさ」


「おー、カラオケ店員の鑑じゃん」


「なんだろう、全然褒められている気がしないんだが」


「褒めてる褒めてる。今どき珍しいよ、お客様は神様の精神を体現してる人って」


「そういうわけでもないんだけどな」


 おそらく雫は、灯也が『そういうわけでもない』ことを理解した上で言っているのだろう。つまり軽口の一環というわけだ。


 今まで同級生の女子とこんな風に話せる機会はあまりなかったわけで、灯也は一種の充実感を覚えていた。

 だからスマホを確認した雫が、荷物をまとめながら席を立ったときには物寂しい気持ちになってしまう。

 もうこれでこんな時間は終わりを迎えるのだと、実感させられた気分だった。


 けれど、これから仕事だという相手を引き留める気にもならず、灯也も続いて席を立つ。


「もう時間か」


「うん、そろそろ向かわないと」


「んじゃ、出ますか」


「だね」


 二人して店を出てから、駅の方へと向かう。


「~♪」


 並んで夜道を歩く中、雫が鼻歌を始めた。

 ……これは、少し前に流行った男性シンガーのバラード曲だろう。

 特有の低音は女性からすればなかなか出しづらいはずだが、雫の場合は難なく歌えている。


「上手いな」


「これでも歌手ですから」


「アイドルって歌手に含まれるのか?」


「失礼な。というか、私がアイドルだってこと覚えてたんだね?」


 何を当然のことを、と灯也は思いつつも答える。


「そりゃあ有名だしな。さすがにそこまで世間知らずってわけでもないぞ」


「じゃあやっぱり、瀬崎くんは物の捉え方が違うのかな?」


「え?」


「ううん、変なこと言った。忘れて」


 駅が見えたところで、灯也はふと気づいたことを口にする。


「姫野、マスクはしなくていいのか?」


「あ、忘れてた。いけないいけない」


 雫はすぐさまマスクをした後、こちらを横目に見てくる。


「瀬崎くんって、見てないようで意外と見てるよね」


「かもな。一般的な処世術の心得くらいはあるつもりだし」


 そこで雫はマスクを顎下にずらしてみせ、


「ふふ、ありがとね」


 心底嬉しそうに微笑んだ。

 その微笑みは、街の明かりに照らされたせいかやけに眩しく見えて。


 お礼はマスクの未装着を気づかせたことに対してか、それとも他の何かに対してなのかはよくわからなかったが、ちょうど駅に着いたこともあって確認はしなかった。

 でも灯也にとって、とても印象的な微笑みだったのは間違いない。


 雫はマスクを付け直してから、くるりとこちらに向き直ってくる。


「瀬崎くんは電車じゃないんだっけ?」


「ああ。家は徒歩圏内だ」


「じゃ、ここでバイバイだね。私はこれから仕事だ」


「おう、いってらっしゃい」


「――ッ。……いってきます」


 なぜだか雫は照れくさそうに視線を逸らしてから、小さく手を振って去っていく。

 その背中を見送りながら、マスク越しでも意外と表情はわかるものだな、と灯也はズレた感想を抱いていた。

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