第4話 バイト終わりに

 すっかり日が暮れた頃、灯也とうやはバイトを終えて店を出る。

 言われた通りに近くの喫茶店に入ると、奥の方のカウンター席にしずくの姿があった。

 雫はマスクを着用しており、遠目からだと人気アイドル・姫野雫と同一人物には見えない。


「よう、来たぞ」


 ひとまず声をかけると、スマホをいじっていた雫が顔だけ向けてきた。


「おつかれ。座れば?」


 さらっと言われた通り、隣は空いている。

 座るよう促してきたということは、ここに長居するつもりなのだろうか。


「いや、なにも頼んでないし」


「私が奢るから、好きなものを頼んできていいよ」


「マジか」


「うん」


 女子に奢られるのは少々抵抗があったものの、相手は人気アイドル。時折カラオケでバイトをしているだけの一般的な男子高校生よりかはよっぽどお金持ちに違いない。


 というわけで、灯也は素直に奢られることにした。

 レジでブレンドコーヒーを受け取ってから席に戻ると、マスクを取った雫が退屈そうに頬杖をついていた。


「待たせたな」


「え、それだけ?」


「ああ。三百五十円だったぞ」


「奢り甲斐ないなー」


「そんな文句を言われるとは思わなかったよ」


 言いながら座り、灯也は温かいコーヒーに口を付ける。


「ふぅ」


「ま、いいけど」


 雫は財布の中にちょうど払える小銭がなかったらしく、五百円玉を手渡してきた。

 なので灯也は百五十円を返す。


「よく細かいって言われない?」


「言われる。あと律儀だとも」


「あー、自覚はしてるんだ」


 再び灯也はコーヒーに口を付ける。

 出来立てなのでそれなりに熱く、灯也はちびちびと飲んでいく。

 雫の方はアイスカフェオレを頼んでいたようだが、グラスにはわずかばかりの氷しか残っていなかった。

 だからか雫からの視線を感じながらも、灯也はひとまずカップの中身を空にするつもりで飲み進めていく。


「ねぇ、もしかして緊張してる?」


「……ああ」


「へー、意外」


「俺をなんだと思ってるんだよ。そりゃあ、同級生の女子にいきなり呼び出されたら緊張もするって」


 ここは素直に答えたつもりだが、なぜだか雫はきょとんとしていた。

 不思議に思った灯也は「何か変なことを言ったか?」と尋ねると、雫は首を左右に振る。


「そういえば、そうだったね」


「何が?」


「瀬崎くんは、私のファンじゃないってこと」


「…………」


 アイドル本人に対して、ファンじゃないと明言するのはさすがに抵抗があったので、灯也は再びコーヒーに口を付けてやり過ごそうとする。

 けれど、いつまで経っても雫が続きの言葉を発しないので、灯也は観念して口を開いた。


「まあ、その通りだな」


「というか、そもそも私に興味ないでしょ?」


「……いや、有名人だしすごいとは思ってるぞ? ネットじゃ女神とか呼ばれているんだろ」


「変に気とか遣わなくていいから。見てれば大体わかるし」


「なら、おっしゃる通りです」


 なかなか言いづらいことを伝えたので、どうなることかと思ったが、


「うん、私もまだまだってことだよね」


 雫は落胆した風でもなく、あっさりと言った。

 てっきり不機嫌にでもなられるかと思ったが、そうでもないらしい。


「謙虚なんだな」


「まあね」


「全人類が自分のファンじゃないと気が済まない人とかだったら、どうしようかと思ったぞ」


「そういうことは面と向かって言えるんだ」


「なんとなく、空気感でな。さっき気を遣うなって言われたし、姫野は思ったよりも話しやすい相手なんだと考えを改めたんだ」


 灯也がありのままに思ったことを言うと、雫はどことなく嬉しそうに微笑んだ。


「その割に、前からちょいちょい失礼なことは言われていた気がするけど」


「そこは俺の悪癖だな。チャームポイントとも言うが」


「今のはちょっと痛いかも」


「そっちは結構グサッとくることを言うよな……。あと、チャームポイントっていうのはさすがに冗談だ」


「瀬崎くんの冗談わかりづら~」


 軽口を叩くようなやりとりを交わしたおかげで、幾分か話しやすくなってきた。

 そこで、灯也は思い切って口を開く。


「で、そろそろ呼び出された理由を聞いてもいいか?」


 大方の予想は昨夜の件についてで、あとは微かな可能性として、色恋関連の話という線もあるにはあったわけだが、


「ん? ……あー、収録までまだ時間があってさ、瀬崎くんもバイト終わるみたいだし、ちょっと話し相手になってもらおうと思って」


「な、なるほど……」


 ドキドキしたぶん損をした気分である。

 いや、よく考えればアイドルに色恋沙汰はご法度だったと気づかされる。それにそもそも、灯也と雫はちゃんと関わるようになってから、まだあまり時間も経っていないわけで。


「なんか落ち込んでる?」


「いや、べつに」


 落胆の気持ちが顔に出ていたのだろうか。とはいえ、恥ずかしいので期待していたことは口に出せないが。

 そんな灯也を見たからか、雫は補足をするように言う。


「んー、あとはそうだな、二人でちゃんと話してみたかったのはあるかも」


「あんまりそういうのは、男に言わない方がいいと思うぞ。普通に勘違いされるから」


「え、それって恋愛的にってことだよね? 私はアイドルだし、普通は勘違いしないって」


「そうなのか?」


「そうだよ。瀬崎くんってほんと、私のことを普通の女子だとしか思ってないんだね」


 呆れているのかわからないが、雫は妙に優しい笑みを浮かべてみせる。

 表情からして怒っていないことだけはわかるが、軽率な発言だったかもしれない。


「なんかすまん」


「謝る必要ないって。私的に、瀬崎くんは面白い人だなって思ってるし」


「お、おう? 喜んでいいのか微妙な評価だな」


「喜びなよ。個性は大事にしないと」


 雫はやたらと愉快そうに、グーサインを向けてくる。

 なんだかその言い方からは珍獣を愛でるようなニュアンスを感じなくもないが、灯也はこれ以上の追及を諦めた。

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