第3話 突然の呼び出し
日々は穏やかに、それこそ何事もなく過ぎていく。
それは
たとえば昼休み。
学食から
雫の手には緑色のスムージーが入ったプラスチック容器が握られていて、やたらと様になっているのが印象的だった。
(普段から健康にも気を遣ってるのか。プロ意識が高いというか、ストイックだな)
そんなことを思いながらも、灯也は雫たちとすれ違う。
と、その間際、こちらに気づいた雫が小さく手を振ってきた。遅れて周囲の者たちの視線も向けられるが、灯也は構わずに手を振り返す。
「え、雫ちゃん誰今の?」
「同じクラスの人だよ~」
「へー、誰かわかんないや」
談笑しながら雫たちは離れていき、灯也は姿が見えなくなったところで大きく息をついた。
「……同級生相手に、俺はなにを緊張してるんだか」
関係が同じというのは、厳密には違った。
灯也は自販機の前で雫と会話をして以来、彼女を気まずい相手だと意識するようになっていたのだ。
「つーかお前、完全にオレの存在を忘れてるだろ」
「悪い修一、それどころじゃなくて」
「この野郎っ」
修一とじゃれ合っている間にも、雫のことが頭をよぎる。
あの笑顔の裏にある、素顔の部分を知ってしまったからかもしれない。
近いうちに何かがあるんじゃないか、と。
灯也は嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
◇
数日が経ち。
週末に入ったことで、灯也は昼間からバイトをしていた。
やはり休日のカラオケは混み具合が尋常じゃない。すぐに満室となり、フード対応や機器トラブルの対応などで駆け回る羽目になった。
そうして客対応に追われること数時間。
客足もようやく落ち着いてきた頃、雫が来店してきた。
今日はゆったりとした丈の白いパーカーにグレーのジャケットを重ね、黒いプリーツスカートを合わせたシックなコーディネートだ。
頭にはいつものキャップ帽を被り、眼鏡はしていないが、黒い布マスクを着用していた。
「ご来店ありがとうございます。こちらの用紙にご記入ください」
雫は慣れた様子で『
「これ、マネージャーの名前なんだ。身バレすると面倒な職業だし、たとえ店員相手でも私がこの店を利用してるって気づかれるのは避けたいから、できれば見逃してほしい」
「当店には、非会員の方に本人確認をする決まりはございませんので」
「そっか。ここ使いやすくて気に入ってるから、場所を変えなくて済むのは助かる」
これで一段落かと思いきや、雫の目つきが鋭くなった。
「……でも本心では、どのツラ下げて来たんだ、って思ってるんじゃないの?」
声のトーンは低く、強い警戒心を感じさせる。
そのせいか、こちらが責められているような気分になる声色だった。
「思ってないけど、どうしてそんなことを?」
「だって、聞いたんでしょ? 私が叫んでいるところ」
「気づいてたのか」
「あのとき瀬崎くんは扉を閉め直していたから、あとになって考えてみたら聞かれたのかもと思って。――でも、やっぱり聞かれてたか」
どうやら、またしてもカマをかけられたらしい。とはいえ、雫側からすればそうするのも無理はない気がした。
ヒリつく空気の中、灯也は常套手段に頼ることを決める。
「ワンドリンク制なので、こちらのメニューからお選びください」
「ホワイトウォーターで。――てか、普通に流すんだ?」
「お客様には、なるべく快適な環境でお楽しみいただきたいと思っておりますので」
灯也なりの営業スマイルを浮かべてみたのだが、雫はジト目を向けてきて言う。
「っていうのは、建前で?」
「本音は気まずいから無難にやり過ごしたいだけだ。俺の処世術みたいなものだよ」
「ぷっ、あははっ。素直すぎ」
マスク越しでも、雫が笑っているのがわかった。
その無邪気な笑顔は、普段から学校などで見せる笑顔とは違うものに思える。
ともかく、おかげで重い空気はどこかへ吹き飛んでいた。今は警戒心だってほとんど感じられない。
「もういいだろ、そろそろ他のお客さんも来るかもしれないし」
「でもピークタイムは過ぎてるよね?」
「それでもバイト中だから。お給料を貰っている以上は、真面目に働かないとな」
「うっ、その言葉は今の私に刺さる……」
ちらと雫が横目に見たのは、ロビーに取り付けられた巨大モニター。
ちょうどそこには、笑顔を振りまくアイドル・姫野雫のライブ映像が流れていた。
アイドルだって仕事である以上、賃金をいただいている立場に変わりはない。ゆえに思うことがあったのか、雫はげんなりした顔つきでトボトボと離れていく。
「お客様ー、個室のプレートをお忘れですよー」
灯也がその背に声をかけると、雫はため息交じりに戻ってくる。
「店員さんの心ない一言のせいで、快適に歌える気がしません」
「それと扉の建て付けが悪いので、開閉時はしっかり閉まっていることをご確認ください」
「うわ、うざー」
雫はわざわざマスクに指をかけてめくると、不満そうにあっかんべーをして去っていく。
「案外子供っぽいところもあるんだな」
「聞こえてるから」
「う、失礼」
なかなかの地獄耳らしい。姿が見えているうちは下手なことを言えないなと灯也は思った。
雫が個室から出てきたのは、それから一時間ほどが経過してからだった。
彼女が短時間の利用で済ませることは珍しくない。このときも灯也が受付を担当していたので、普通に会計を済ませていたのだが。
「あのさ、バイトっていつ終わるの?」
来たときよりも些か落ち着いた様子で、雫が淡々と尋ねてくる。
ゆえに灯也もなんとなしに、「あと一時間くらいかな」と答えた。
「じゃ、そこのカフェで待ってるから、終わったら来て」
「え、なんでだよ?」
「いいから。それじゃ、残りもがんばってね」
ひらひらと手を振って、雫は店を後にする。
灯也は呆然としながらその背を見送って、しばらく放心してしまった。
「えぇ、なんだ今のは……?」
急に呼び出し的なことをされて、灯也は動揺を隠せないでいる。
それからの勤務で集中力を欠いてしまったのは、言うまでもなかった。
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