第2話 姫野雫には裏がある……?

 翌朝。

 灯也とうやが教室に入ろうとしたところで、賑やかな話し声が聞こえてきた。

 中を覗くと、女子生徒たちに囲まれたしずくの姿が目に入る。


「雫ちゃん、昨日の動画見たよ! めっちゃ可愛かったー!」


「スイーツ×スイーツの表紙もおめでとー! あたし絶対買うからね!」


「てかこの前の番組も最高だった~。マジで一番目立ってたし」


 女子生徒たちが興奮ぎみに言うと、雫は嬉しそうに微笑んだ。


「みんなありがと~! いろいろチェックしてもらえて嬉しいな♪」


 雫が笑顔を見せるだけで、周囲の生徒たちはうっとりする。

 やはり大人気アイドルというだけあり、雫の人気は校内でも健在だ。

 飛び抜けたルックスで愛想も良く、成績まで優秀なまさに完璧アイドル。一般的なブレザータイプの制服も、雫が着こなすだけでオシャレに見えるから不思議だった。


 灯也としては昨夜の件もあって、顔を合わせるのは少々気まずかったりする。

 とはいえ、さすがに教室へ入ると、


「あ、瀬崎くんだ。おはよーっ」


 真っ先に気づいた雫が、とびっきりの笑顔で挨拶をしてきた。

 反射的に灯也も「おはよう」と返すが、視線は合わせられず。不自然な態度に思われたかもしれない。


 けれど、雫は気にすることもなく、クラスメイトたちとの会話に戻っていく。

 灯也はホッと安堵しつつ、中央列の後方にある自分の席に着いた。


「やっぱイイよなぁ、姫野さんって」


 言いながら隣の席に腰掛けてきたのは、クラスメイトの向井むかい修一しゅういちだ。

 短めの茶髪にそこそこの長身、着崩した制服でパッと見だと軽薄そうにも見えるが、根は実直な男子である。


 修一とは去年から同じクラスで、灯也の数少ない友人といっていい相手だ。

 去年の二学期まで灯也はバスケ部に、修一はサッカー部に所属していたこともあって、元運動部同士というのがきっかけで関わるようになり、ときどき一緒に遊ぶ程度には仲良くやっている。


「おはよう、修一。今の発言を彼女さんが聞いたら怒るんじゃないか?」


「ダイジョブだって。灯也が告げ口さえしなけりゃな」


 修一には他校生の彼女がいて、なんだかんだで上手くやっているらしい。ときどき惚気られるのが鬱陶しくもあるのだが。


「それ、全然大丈夫じゃないだろ。俺の口はそんなに堅くないし」


「お前が告げ口したらオレは泣くからな」


「その脅し文句はどうなんだよ……」


「んなことよりも、姫野さんの話だって! オレもさっき挨拶されちまってさ、もう女神スマイルが眩しすぎて直視できなかったぜ!」


 これは感極まって泣き出しそうなほどの勢いだ。

 実のところ、こんな感想を抱くのは修一だけじゃない。クラスの男子はもちろんのこと、校内にいる大多数の生徒が雫に対して憧憬の眼差しを向けていた。


「大げさだな。単に修一がチキンってだけの話だろ」


「灯也はドライだよなぁ。あの可憐な姿を見ても可愛いとか思わねえの?」


「いや、人並みには思ってるぞ。修一みたいなドルオタじゃないってだけで」


「かーっ! わかってねえ! 姫野雫はアイドルだけどアイドルってだけじゃねえんだ! もうそういうのを超越した存在なんだよ! だからオレはドルオタじゃなくてミーハーな!」


「わかったから落ち着け。本人にも聞こえてるぞ」


 修一の声が大きすぎたせいで、雫やクラスの女子から笑われてしまった。


 そこで雫と目が合う。

 雫は少し驚いた様子だったが、すぐさま微笑みかけてきた。


(ほんと、昨日とは打って変わって別人だよな……)


 べつに灯也は、性格を使い分けることに悪い印象は抱かない。ただ単に、姫野雫の両極端ともいえる変わり様に感心しているだけだ。

 トップアイドルともなれば、そういう器用さが必要なのかもしれないと思った。


 チャイムが鳴ると、隣に陣取っていた修一が自分の席に戻っていく。窓際に座る雫は教卓の方を向いていて、灯也も視線を外した。

 けれど、朝のHR中、灯也はなんとなく昨夜の件を思い返していた。



   ◇



 昼休み。

 灯也が校内の自販機で飲み物を買おうとしていると、


「なに飲むの?」


 背後から声をかけられたので振り返ると、雫が笑顔で立っていた。

 たしか先ほどまで教室でクラスメイトと談笑していたはずだが、もしかして追いかけてきたのだろうか?

 だとしたら、昨夜の件について何かあるかもしれない。ひとまず灯也は平静を装いながら答える。


「えっと、ホワイトウォーターを買うつもりだったけど」


「じゃ、私も同じのにしよーっと」


 雫が代わりにボタンを押して、そのまま缶を取り出してから差し出してくる。

 ずいぶん気さくな感じで接してくるものだから、灯也は戸惑いつつも受け取った。


「どうも」


「いーえ」


 雫も硬貨を入れると、宣言通りに同じ物を購入した。

 灯也が缶に口を付けて、ごくごくと喉を鳴らし始めたところで、


「変なことを聞くんだけどさ、やっぱ気づいてるよね?」


「ぶふっ――ごほっ、ごほっ……」


 さらっと意味深な問いを投げられたので、灯也はむせてしまった。

 それを肯定と受け取ったらしい雫は、険しい表情でため息をつく。


「はぁ、そりゃそうか。個室だからって眼鏡を外したのは失敗だったな」


 雫の言葉遣いも声色も普段とは違い、低いトーンで淡々としたものになる。

 どことなく冷めた雰囲気に様変わりしたせいか、気温まで下がった気がした。


 彼女が確認したかったのは、灯也が昨夜の客――柏井かしわいの正体=姫野雫だと気づいているかどうかについてだろう。

 そもそも昨日の帰り際の行動からして、ほぼ確信はしていただろうが、それでも今の灯也の動揺が決め手となったのは間違いない。


 内容が内容だけに、今の彼女は変装中よりもさらにキツい印象だ。

 メディア露出時や、他の生徒の前でこの声色で話すところを聞いた覚えはないし、普段は見せない姿のはずである。

 ゆえに、灯也は辺りを見回したのだが、他の生徒の姿は見当たらなかった。


「他に人がいないのは確認済み。いたらこんな話はできないし」


「そうか」


「というか、あんまり動揺してないね。その様子だと、もっと前から気づいてたとか?」


 雫は逃げ道を塞ぐように腕を組んで仁王立ちしながら、訝しむような視線を向けてくる。

 けれど、灯也はべつに動じていないわけじゃない。ただ、制服姿で冷めた表情をする雫の姿が新鮮で、カラオケに来ていた柏井なる常連客の正体が、雫本人だと実感していただけだ。


 ひとまず彼女が『昨夜の店員=灯也』だと認識していることは理解した。

 でも個室から叫び声が音漏れしていたことを、彼女が気づいているのかは不明だ。今なら灯也があそこを覗いていたのだって、偶然の一言で片づけられそうではある。


 灯也としてはトラブルに巻き込まれるのも、個人の事情に深入りするのも避けたいところ。

 なのでここは慎重に、あくまで人畜無害な風に振る舞うべきだと判断した。


「……常連さんの正体が姫野だって気づいたのは、昨夜の出来事がきっかけだよ。それに俺だって、動揺くらいはしてる。おかげで吹き出したくらいだしな」


「そう、ならよかった。クラスメイトが相手とはいえ、これでも変装には自信があったから。……それで、瀬崎くんはこのこと――」


「言っておくけど、俺はなんでもかんでも他人に話す趣味はないぞ。誰かが嫌がることなら尚更だ」


「ありがと。そう言ってもらえると助かるよ」


 言葉とは裏腹に、雫の態度が緩むことはない。

 他に何を言うべきかわからない灯也は、緊張で渇いた喉を潤そうと、缶ジュースの残りに口をつける。


「……やっぱり驚いたでしょ? 私がこんな奴だって知って」


「まあ、驚いてないと言えば嘘になるけど」


「今みたいな素の状態と、アイドルのときだと全然違うもんね」


 どうやら素の性格はこちらのサバサバした方らしい。今さら灯也には隠しても無駄だと判断したのだろう。

 灯也的にこれ以上深入りするのはまずい気がしてきたところで、遠くから他の生徒が近づいてくるのが見えた。


「そろそろ切り上げた方がいいんじゃないか?」


「だね。――それじゃ~、この話は二人だけの秘密ってことでよろしくねっ?」


 すでに雫はいつものアイドルスマイルを浮かべて、声色まで明るくなっている。この見事な変わり身っぷりには素直に感心した。

 だからか、灯也がぽかんとしていると、


「瀬崎くん?」


「あ、ああ、もちろんだ」


 今の問いかけは怖かった。目だけが笑っていなかったからだ。


「じゃあ、私は先に教室へ戻ってるねっ。バイバーイ」


 雫はこちらに小さく手を振ってから、近づいてきた他クラスの生徒に挨拶をして、その場を離れていった。


「……ふぅ」


 思わずため息がこぼれる。

 今になって気づいたが、背中に嫌な汗をかいていた。


 灯也自身はアイドルに興味がないとはいえ、他人のああまでわかりやすい二面性を見せられると、やっぱり思うところはあったりする。

 それは感心だったり、新鮮さだったり……ともかく感情が動くというのは、それだけで気疲れすることにも繋がるわけで。まだ午後の授業が残っているのにぐったりした気分だった。


(そういえば、昨日はどうして叫んでいたんだろうな)


 今さらになって聞くのもアリだったかと思いつつ、すぐに自分が気にすることじゃないなと切り替えるのだった。

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