第3話 正社員になったとて彼との危険な夜は避けられなかった。
朝の五時に目が覚め、眠気覚ましに缶ビールを飲んだ。仕事前なのに飲酒をするという背徳感。カーテンを開けて外気を浴びつつ遠方を眺める。
「私、酔ってるなあ」
飲酒もあるが、この雰囲気によって自分に酔いしれている。
ああ、会社行きたくないな。そう思いながらぐびっと酒を飲む。
とか思う自分がいながらもシャツの袖に体を通している。ジャケットを羽織っている。会社という安定した基盤から逃げられないのか。自分は……
悔しさが込み上げてくるのを肌で感じた。新卒で雇われた、いまでいうブラック会社の記憶もフラッシュバックもした。舌打ちして、手に持っていた缶ビールを洗面台に投げつけた。
何だろう……このネガティブな気持ち、嫌になんな。
ピコン。スマホの通知が鳴った。何だろうと思うとあのVLOGの動画に、あるユーザーがコメントを残してくれたのだ。
それは——「ワイもこの動画見て、美人か? とは思ったが、でも頑張ろうとは思ったわ」というなんJ民のようなコメントだった。それを見てくすりと笑ってしまう。
再生数を見れば、炎上もあったからか十万再生をゆうに超している。それはすごい拡散力だっと思った。
でもなんで通知が鳴ったのだろうか。炎上してからピコンピコンうるさいから、通知は切っていたはずなのに。
そう思い、しばし考え「あっ」と思った。大勢だ。大勢とラインを交換して、それで通知機能をオンにしていたんだ。
何ともまあ変な偶然? に気持ちの面で大きく救われた峰子であった。
4
「おはようございまーす」
会社に出勤した峰子のもとに、部長がやって来た。小声で「動画の件なんだが……」と喋ってきたので、あっ、和田さんもう動いてくれたんだ、と思った。
会議室に通され、着席を促される。
「君の動画……和田さんに教えてもらったよ。早速インプレッション数も見た。それでだが……」
「はい」
「広告営業部に転部してもらえないか? それと社長にも報告したら……」
部長は苦い顔をしながらさらっと「非正規雇用から本格的に正社員に登用したいと考えたらしくてね。君がよければ、なんだが……」とか言った。
峰子は驚きっぱなしだった。
「えっ、ちょっと待ってください。ユーチューブの動画と正社員契約になんの因果関係があるんですか」
「君の“タレント性”に感服したと。ぜひ将来的にはわが社の顔になってくれないか。頼む。無茶なお願いだってことは分かっている」部長が頭を下げてきた。峰子は恐れ多くなって席から立ち上がった。
「分かりました。正社員になりますから」
部長は涙を流さんばかりに表情筋が緩みまくっている。「ありがとう」
多分これ、後々会社の営業まわりとか、パンフレット写真を死ぬほどやらされるんだろうけど。
それでもいいと思えた。理由は単純だ。
それは――
「でも、ユーチューブはやらせてもらえるんですよね」
「もちろんだ」
そう、愚痴を吐けるネットコミュニティが出来ただけでも、心理的に負担が軽いのだ。
5
そして帰宅後、峰子は独りで正社員登用の記録を書いていると、インターホンが鳴った。
玄関を開けると、コンビニ袋を持った林華と大勢の姿があった。
「お邪魔してもいいですか。正社員になった記念会しましょうよ」
「もう……」
峰子は笑いながら二人を部屋の中へと招く。
「へえ、綺麗にしているんですね」
「女性の匂いがする」
そんなことを言った大勢に、峰子ら二人は「あんたは中学生か!」とツッコんだ。
「勃起してんじゃないの」
林華がそんなセクハラを言うので、峰子は咎める意味で彼女の頭部に空手チョップをした。「痛っ」
「それ、まじでセクハラだから」
「なんですかもう。冗談じゃないですか」
そんなことより、パーティしましょうよ、と言って机の上に勝手に缶ビールやらスナック菓子やらを並べ始める。
峰子は嘆息を吐き、林華と一緒に座った。共に準備していると大勢がまじで居心地が悪そうだった。それを見遣り、彼が笑ってくれればなと思って「あとでご褒美あげるから、今は手伝って」と言った。
すると彼は照れたように鼻元に手を当てながら「……はいっ」と喋った。林華は目を細めてこちらを見てくる。「どうしたの?」と彼女に問うも「別にぃ」とふくれっ面をした。
それから三人で乾杯をして、数時間の間、ひたすらに喋り合った。
そしたら林華の意識が酩酊しだして、床にコロンと寝た。峰子はブランケットを掛けてあげる。「ねえ、大勢君——」
彼の名前を呼んで帰らせようとすると、峰子のことを押し倒してきた。
え……
「先輩……初めて会った時から気になってました」
「ちょっと……どうしたの」
「俺じゃあ駄目ですか?」
峰子はどうしようかとテンパってしまった。
「駄目というか。その……」
するとスマホの着信が鳴った。「あっ、取らせて‼」
峰子は強引に体を起こして、電話に出る。
「あっ、峰子。正社員おめでとう」
「うん」
青峰からの電話だった。少しの間、問答したあと通話を切ると彼の姿がなかった。
ただ部屋に林華の寝息だけが聞こえた。
「意気地なし。いや、それは私か……」
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