第7夜 三馬鹿

 さあっと冷たい空気が吹きこんで、浴室に立ちこめていた湯気が脱衣所に流れこむ。

 夜特有の空気の冷たさに一瞬身震いしながらも、巴は手早く体の水気を拭き取った。


 棚に置かれた藤蔓で編まれた籠には、真新しい着物がていねいにたたまれて入れられている。本紫色をした矢絣やがすり模様の小袖は、返り血で汚れてしまった着物の代わりにと聖が用意してくれたものである。

 派手に返り血を浴びてしまった薄紅梅色の小袖は、さすがに処分せざるを得ないだろう。


――結構気に入ってたんだけどな。


 恭介にわがままでも言って、新しいのを買ってもらおうか。彼ならよろこんで買ってくれそうな気がする。


 慣れた手つきで着物の袖を通し、汚れた小袖と帯を包んだ風呂敷を持つと、巴は脱衣所の戸を開けた。


「巴ちゃん」

「あ……、綾部さん?」


 暗がりの中、廊下の角の壁にもたれかかった聖が小さく手を振っていた。隊服から着流しに着替えた彼は、目を細めて微笑んでいる。高い位置でくくられていた髪は、今は無造作に下ろされており、こうして見ると暗がりでは女に間違えられてもおかしくはないだろう。結んでいるとわかりづらかったが、長い髪は若干癖毛のようで毛先が広がっている。


「ここの連中みんな熱いほうが好きだからさ、ちゃんとゆっくりつかれた?」

「あ、はい。ちょうどよかったです」

「そ、よかった。こっちは隊長格しか使わないけど、一応ね。なんたって男ばっかりだし」


 どうやら聖は、巴の入浴中にほかの者が立ち入らないように見張ってくれていたらしい。もしくはそれを建前として、彼女の行動を監視していたか。


――さすがにそれは考えすぎか。


 彼は巴の正体を知らないのだから。

 巴は何度目かの礼を言うべく、静かに戸を閉めると、そろりそろりと聖に近寄った。


「ごめんね、うちには女物の着替えがこれしかなくて」

「いえ、助かりました。けど、本当によかったんですか? 女中さんたちの予備の着物なのに……」

「気にしないでいいよ。備品の着物だし、予備ならまだあるから」


 そう言って聖は笑みを浮かべたまま、階段下の納屋を指さした。

 個人の所有物でないのなら、拝借することに気兼ねがない。さすがに血濡れの着物を着て帰るわけにもいかないのでありがたい話である。


「なにからなにまで、ありがとうございます」

「ふふっ、そんなにかしこまらなくていいのに」

「あの、綾部さん」

「あれ? こんなところに女の子がいる……?」


 ふと聞こえた第三者の声に肩が揺れた。声色は徹也のものではない。そもそも彼は、巴がここにいることを知っている人物である。

 誰だろうかと思い、巴は声のしたほうへと視線を遣った。

 中庭に面した廊下の奥の暗がりから、三人の男たちが連れだって姿を見せる。


「……あ、三馬鹿……」

「ぷっ……」


 思ったことがつい声に出てしまった。

 隣にいる聖が、吹き出しそうになるのを顔をそむけてこらえている。時おりにやにやしながらこちらを見てくるものだから、巴はなんだか羞恥で居たたまれなかった。

 別におかしなことを言った覚えはない。巷で呼ばれている三人組の呼称を口にしただけである。


「聖、お前まさか連れこんだのか?」

「違うよー。ちょっとしたお客さん」

「なぁなぁ! おれ、亀岡哉彦かめおかやひこってんだ! よろしくな!」

「あ、はい。山科巴です」


 三人の中で一番小柄な哉彦が、握手を求めるように巴に手を差しのべてきた。

 小柄と言っても巴よりは背が高いのだが、まわりの人間と比べてしまうとどうしても小さく見えてしまう。黄橡きつるばみ色の短髪を無造作に跳ねさせ、騒々しくも無邪気に歯を見せて笑う彼はきっと印象のままの人柄なのだろう。


大江龍三おおえりゅうぞうだ」

「はぁ、どうも」


 続くように、聖としゃべっていたはずの男が名乗る。背は彼らの中では一番高い。胡桃くるみ色の少し長めの短髪の彼は、真面目に隊服を着る気がないのか。それとも詰所に帰って来たからなのか。詰襟の合わせは大胆に開け放たれており、下に着こんだ白い洋装の襯衣シャツが見えていた。もちろん、襟元のボタンはふたつほどはずされている。


「ボクは峰山耕平みねやまこうへい。よろしくね」


 そう言って自己紹介をした彼はなにを思ったか、ふわり、と巴を両手で引き寄せた。



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