第6夜 要らぬ世話

「大丈夫か?」


 目の前に立つ徹也を無言で見上げる。次いで男がいるであろう地面に目を向けようとする前に、聖に手を引かれ道の反対側へと誘導された。今は男たちが転がっているであろう後方には目を向けないほうがよさそうである。


「あの、ありがとうございます」


 巴は徹也と聖に向かって深々と頭を下げた。都合よく現れた彼らを利用こそすれ、おかげで助けられたのは事実である。

 一方で礼の言葉もそこそこに、巴は早々にこの場から立ち去るつもりだった。これ以上は彼らに関わりたくはない。


 しかし、どうやらそれは叶わないらしい。「帰る」と口にした瞬間、すばやい動作で聖に両手をつかまれる。


「だめだめだめ! そんな格好のまま帰せないよ!」

「え……?」


 聖にそう言われて初めて、巴は自身の身なりを確認した。着物の右袖はべったりと返り血で汚れ、白い帯には斑点のように不規則な模様が染みこんでしまっている。


「あ……」


 普通は悲鳴を上げるべきなのだろう。血の感触とにおいに慣れすぎてしまっていて、まさかこんなにもひどいありさまだとは思わなかった。

 あいにくと、巴はそこら辺のか弱い町娘ではない。いまさら血を見たくらいでうぶな反応などできるはずもなく、ずいぶんと落ち着いた様子で再度感謝の言葉を告げ、やんわりと帰る意思を伝える。

 しかし聖のほうも、断固として譲る気はないようだ。


「怖い思いさせちゃったお詫びくらいさせて?」

「あの、えっと……」


 覗きこむように目線を合わせて小首をかしげた聖と目が合った。眉尻を下げた申し訳なさそうな表情に、なんと言っていいかわからなくなる。

 返答に困った巴は、黙ったままそばに立っている徹也を見上げた。


「はぁ~、こいつは言いだしたら聞かねぇんだ。悪いが、一緒に来ちゃくれねぇか?」


 そう言って彼は、懐から取り出した手ぬぐいで巴の頬を軽くぬぐった。まだ固まりきっていなかった返り血が、薄く施した化粧とともに拭き取られる。

 できれば無茶を言う聖を止めてほしかったのだが、どうやら逃げることは叶わないらしい。

 巴は小さくため息をつきながら、彼らの言葉にうなづくしかなかった。




「はぁ~……」


 湯船に身を沈めた巴は、これでもかと盛大にため息をついた。

 結局、なかば強引に唐樋町からひまちにある輝真組の詰所にまで案内されてしまった。そのうえ、こうして風呂までいただいてしまっている。夜警に出ていた者たちのためにと沸かされていた湯であるのに、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいである。


――隊士は大風呂を使うから気にするなって言われても……。


 たしかに案内された浴室は二、三人ほどが入るのがやっとなほどの広さだが、それでも湯が張られていたのだから誰か入る予定だったのだろう。


――あの優男が意外にも頑固だったんだから、仕方ないじゃない……。


 そう自分に言い聞かせ、巴は湯の中で膝をかかえる。体を丸くして鼻先まで湯に顔をつけると、ゆっくりと息を吐き出した。

 ぶくぶくと気泡が浮き上がっては、弾けて水面に波紋を広げていく。


――やっばいなぁ、帰ったら絶対、八木さんに怒られる……。


 関わりあいになりたくないと思っていた矢先にこれである。今日はなんだかついていない。聖に声をかけられ、浪人に絡まれた挙げ句、輝真組に保護までされてしまったのだ。なりゆきとはいえ、散々な一日である。

 きっと神田屋では、帰りの遅い彼女を心配して恭介が暴れていることだろう。事情が事情なだけに、帰宅早々に大目玉を食らうに違いない。

 恭介に騒がれるのも厄介だが、それ以上に創二郎の説教のほうが何倍も恐ろしい。恭介いわく、足の感覚がなくなって頭がおかしくなりそうなくらい長いのだ。いったいいつ息継ぎをしているのかと思うほどに延々とまくし立てられるのは、正直たまったものではない。できればそれだけは回避したいところであるが、どうあがいても無理な話だろう。


「はぁ~……」


 顔を上げて深々とため息をつけば、視界を覆っていた湯気が晴れていく。


――さっさとお礼言って、早く帰ろう。


 そうと決まれば善は急げ。おかげさまで体もあたたまったことであるし、こんなところに長居は無用である。仮にも敵の陣地内であるし、どうにもそわそわして落ち着かない。

 そそくさと湯船から出ると、巴は脱衣所へ通じる木戸をひらいた。



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