63.軍事演習と料理研究

 街を包む平野は広大で、10万人の街とその耕作地をすっぽりと包み込むだけでなく、その20倍近い未開の土地が広がっている。

 リーシの街のほかにもいくつかの小さな街が点在していたが、いずれも数百人にも満たない小規模な集落である。そのすべてはリーシの街の影響下にあった。

 リーセは一万人の軍勢とともに街を抜けて、北西へ約1日進んだ先にある平原に到着していた。

 軍勢は人間の部隊5千と、魔族の部隊5千に分かれている。

 魔族の軍勢を率いているのは蜥蜴王リザードキングエクセシュである。軍勢の半分はリザードマンたちであるが、烏の魔物シュヴァイグラーベや様々な魔物が加わった混成の軍勢である。

 一方、人間の部隊を率いているのは、以前、フールハーベントの街が魔物に包囲された時に、雇われていた傭兵団の隊長だった。五百人を率いて街に訪れると街の住民となり、今ではリーシの街のエクセシュと並び副司令の座についている。総司令はリーセであるが、彼女には軍団を指揮する能力はない。そのため、実質的な人間側の最高司令官である。

 名をコンラートといい、黒髪、黒ひげの壮年の男である。


「あんなおぞましい、魔物の群れと戦いたくなくて、この街の兵になったのですがね?」


 コンラートは忌々いまいましそうに平原の先に横に広がって展開する魔物の軍勢を見つめて言った。


「これは演習だから。別に魔物と戦うわけじゃないからいいでしょ?」


 リーセはいつもの白の法衣カソックに錫杖、そして鳥かごを手にしていた。彼女の背後ではラメール、デンメルング、そしてノノが同じように魔物の軍勢に視線を送っている。

 コンラートは顎鬚をなでて、リーセに視線を送る。


「ですがね? こういう演習をするという事は、魔物に人間の軍と戦わせるか、人間に魔物を戦わせようとしているのかどちらかでしょ?」

「そこは深く考えないで」

「あなたが暗殺されかけたあとだと、いろいろと考えてしまいますよ!」

「私は、人の問題は人が解決し、魔物の問題は魔物が解決すべきだと思う。そのうえで、人と魔物が協力し合えたらいいなと思う」

「まあ、魔物の問題を人間が解決できるとは思えませんからね」


 コンラートは視線を戦場に戻す。


「あなたは魔物側につくと思っていました」

「私は人間だからっ!」

「はぁ……」


 コンラートは生返事をしながら、彼女の持つ覆いがかけられた鳥かご、そしてデンメルングに視線を送る。強力な魔物を従える彼女が、とても人間側の者だとは思えないのだろう。

 コンラートは深くため息をついた。

 平野部と言っても、起伏があり全てが平らだということではない。そして開拓の行われていない場所では、草木が生い茂り、湿地部になっている箇所などが大部分で、軍が展開できる場所は限られていた。

 最初は魔族の軍と人間の軍は、緩やかな丘を挟んで対峙をしていた。そしてお互いに丘を奪取するために軍を動かしたのである。

 軍団の隊列を乱さないように進行させるコンラートに対し、魔物の軍を率いるエクセシュは機動力の高い魔物に我先にと軍団を進ませ、丘を占領したうえで軍勢を整えたのである。

 勝ち目がないと判断したコンラートは兵を引かせ、魔物の軍と距離を置いた。

 それが今の状況である。

 敵の軍の両翼に侵攻され背後を取られないように、コンラートも両翼を広げ陣形を変化させる。

 そこで、両軍の動きは止まり、硬直状態となった。


「ふむ……」


 コンラートは顎鬚をなでる。


「これで終わり?」


 リーセがコンラートに問いかける。


「そうですね。丘を取られてしまいましたが、こちらもそれ以降の侵攻を防ぐことができました。向こうの優勢勝ちでしょうが、軍をさらに押し進める事ができなかった。エクセシュは歯ぎしりをしているはずです」


 コンラートが総括を述べ始めて演習を終わらせようとしているのをリーセが手を差し出してとめた。


「突撃を」

「はぁ?」

「魔物の群れに突撃を」


 リーセの言葉にコンラートは目を見張る。ラメールやデンメルングも驚いてリーセを見る。


「いくら演習と言えどあきらかな無能な采配を行うと、兵たちは上の者を信じなくなりますよ?」


 コンラートの言葉を遮るようにデンメルングが二人のあいだに割って入り、ラメールがリーセを引っ張っていった。


「元のリーセに戻ってしまったのか?」


 ラメールがリーセの肩を掴んで揺さぶると、囁くようにいった。


「私はリーセちゃんじゃない」


 だが、転移してきたリーセなのか、元のリーセなのか証明する方法はなかった。

 ノノが顔を近づけてじっとリーセの顔を覗きこむ。


「本物のリーセ様ではないようです」


 ノノにはリーセの入れ替わりを判断する超感覚的な能力があるのだろうか。

 ただ、言葉の綾だから仕方がないが、彼女に『本物ではない』といわれることにリーセの心は小さな棘を突き立てられたように傷んだ。


「副司令が終わりだといっているんだ。どういうつもりだ?」

「もしかしたら、帝国か、東の王国が攻めてくるかもしれない。不利な状況でも戦わなくてはならない状況もあるし、理性の利かない相手だとここで戦いが収まらないかもしれない」


 ラメールの問いかけにリーセは答えた。

 その隣で話を聞いていたコンラートが首を捻る。


「武器を鳴らし合う戦闘の訓練はもっと小さな集団で行ったほうが怪我人も出にくくなりますし、効果的だとは思いますが……。いや……、一度リーセ様に見てもらいましょう」

「どういうことだ?」


 ラメールがコンラートに問い返した。


「言葉の通りだ。リーセ様にこのような状況で無理に戦いを仕掛ければどのような結果になるのか、訓練のうちに知っておいてもらったほうがいい」

「いや、リーセはそんなことを知った上で戦いを続けさせようとしているんだ」

「それならそれで、お見せしたほうがいいのでは?」


 リーセは自分の考えをみんなに伝えようとしたが、止める間もなく物事が進んでいく。

 コンラートはリーセたちの元を離れ、軍団の前に進み出ると振り返った。そして、横に広がる軍勢を見渡した。


「聞けっ! 我々の背後には絶対に守らなくてはならない街があるっ。敵に丘を取られたままこの地を譲り渡すことはできない。これより奪還の作戦を試みる」


 彼の声が軍勢に響き渡る。その声を押し返すように兵士たちから歓声が沸き上がると、冷えかけていた戦場の熱が一瞬にして変わった。



 演習が終わり、夜営の準備が進められていた。

 太陽は西に沈みかけ、その残滓を残すように地上を赤く染めている。

 リーセは兵士たちと同じように炊き出しの列に並ぶが、暗殺未遂事件があったこともあり、前後をラメールとデンメルングが固め、他の兵が話しかけることも難しい物々しさだった。そのために先に通されてビスケットと干し肉と麦を溶かしたスープの入ったお椀を受け取る。

 そしてコンラートやエクセシュの他にカークたちが輪になっている場所を見つけて近づいた。


「何だったんだ? あの無謀な突撃は?」


 他の者たちと同じように地べたに座り込んだ途端にカークが尋ねてきた。


「もし、帝国や東の王国が攻め込んでくるとすれば、この場所を通過するかなと思ったの」


 リーセはビスケットをスープに沈め、スプーンでつつく。

 ビスケットは小麦粉、水、塩を混ぜて低温で焼いたあと、水分がなくなるまでカチコチに固めたものだ。彼女の顎の力ではかみ砕けるものではないし、単体で食べると微かな塩の風味はあるものの、粉のようなものが口の中にはりついてとても美味しいものだとは言えなかった。


「あの場所を占領された場合にどうなるのか試したかったということか?」


 いくら広大な平野でも敵がリーシの街に攻め込んでくるルートは限られている。西側は水耕地帯としているため沼地に近い環境だ。街の包囲に一時的に踏み込んで来る可能性はあるが、大軍の移動や陣地を構築する場所としては適していないだろう。

 そして海から来るのにも大軍を乗せるための船が必要だ。この世界では転移石による移動が一般的なため、近隣の海で漁をするための船はあるが、街から街へと移動するための船は多くは作られていないようだった。

 そうなると、西側から回り込むのが妥当である。そのときのルートや陣営を築き易い場所となるのがこの場所だ。


「とにかく、もう何度かこの場所で演習をしたい」

「何度やっても結果は変わらないと思うがな」


 カークの言葉にコンラートやエクセシュも頷いた。

 今日のコンラートの作戦は、右翼を先頭に巻貝のような螺旋を描きながら進み、丘の上の敵を包囲するというものだったが、右翼の動きは敵の左翼に封じられて行き詰っている間に、敵の右翼にこちらの左翼の後方に回り込まれてしまった。結果として逆に包囲されてしまったのだ。

 魔物の前線を務めるリザードマンたちは、人の数倍の力を有しており、鉄壁の硬さであり、烏の魔物たちが空から戦況を俯瞰し伝え続けたため、人間側はなすすべもなく完封された。


「そうやって、人が魔物に勝てないことを周知するつもりか?」

「違う。まだ上手くは言えないけれど……」


 そう言ってリーセが椀の中のビスケットをつつくと、いい感じにスープでほぐれていた。

 彼女はそれをすくって口に運ぶ。


「旨いな……」


 リーセと同じように、スープを口にしたコンラートが呟いた。他の者たちも同じように頷く。


「でしょ?」


 リーセが嬉しそうに笑った。


「そういえばスープの中に木の棒を突っ込んでいたな」


 カークが首を傾げる。


「木の棒じゃないっ! 乾燥させた昆布で出汁をとったの! わざわざ、北の街から取り寄せて、少しでも美味しくなるようにうちの料理長と研究をしたんだから」

「くだらないことに気を遣いやがって……、糧食隊に運ばせる気か? あんなものを運ばせる気ならもっと干し肉を乗せろ」

「くだらなくはない! 街の発展には、多くの人の胃袋をしっかり掴むことが大切なの。それに、大遠征なんかするつもりはないから、別にいいでしょ?」

「他の街を攻めるつもりはなくても、その準備をしておくのが軍のありかたであり、周辺の街に変な気を起こさせないための抑止力だぞ?」

「うーん……」


 リーセは唸る。そしてスープを掬って口に運ぶ。この世界の食べ物は、うま味があまり重視されていないと感じていた。どんなに美味しくても、どこか物足りなさを感じていた。チーズや肉、干ししいたけに含まれるうま味を上手く引き出せていないのである。そして、このスープは料理長と試行錯誤を繰り返してようやく完成したものなのだ。

 そう考えていると、コンラートが彼女の肩を叩く。


「運ばなくてはならない糧食は場所や距離によっても変わる。邪魔にならないのなら加えてもいいかもしれない。飯が不満で脱走する兵を減らせる」

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