64.リーセと総力戦研究所

 リーシの街は平野に流れ込む川の河口部につくられた街である。

 中州部に大改修を加えて拡張し、幾層もの曲輪を持つ総構えの城塞都市である。

 リーセの知る限りこの世界に存在する都市の防御は、街を城壁で取り囲むという造りであった。この街づくりの思想を持ち込んだのはこの街を支配するルセロ教の教祖であり転移者であるリーセが持ち込んだものである。彼女の構想を短期間で現実のものとしてこの世界に生み出すことができたのは、魔王に仕える魔物たち、そして奴隷たちの採算を度外視した実行力である。

 元々は五千人程度の人が暮らす小さな街であった。しかし、建設されてから二年という僅かな期間で十万人に達しようとしていた。

 市街区の建物はほぼ石造りの建物が並ぶ。そこから一段、曲輪を登ると本曲輪に達するまで、一変して木造の建物が増える。

 曲輪とは、堀や土塁によって区画された防御区域である。その基本的な目的は、敵の侵入を防ぎ、内側から迎え撃つことである。しかし、それだけでなく、一つの曲輪が突破された場合に備え、守備側はさらに内側の曲輪へと撤退し、そこから攻撃を仕掛けることで敵を撃退する戦略的な構造となっている。

 そのため市街の建物は生活の利便性を優先するために石造りとなっているが、それ以降の曲輪の建物は木造が主である。それは、曲輪に侵入してきた敵を討ち取る際の障害とならないよう、早急に解体できるようにするためであった。

 そのため、必然的に兵士や街の要人は木造の建物に住まざるを得なかった。木造の建物について、彼らからの評判は良いものではない。

 リーセはラメール、ノノ、デンメルングを連れて、その木造の建物の中へと入っていく。

 そして、手にしていた鳥かごから一羽の蝙蝠を解き放った。

 蝙蝠はゆらゆらと宙を舞い、黒髪の男の姿をかたどる。


「……」


 一体、何がどうなって小さな蝙蝠が吸血鬼ヴァンパイアへと変化するのだろうか。それを幾度となく目にするが、やっぱりわからなかった。

 リーセがツヴィーリヒトの変化する様子を眺めていると、奥の扉が開いた。


「おい、そんなところで何をぼうっと突っ立っている! 会議が始められないだろ」


 カークの声が響いた。



 その施設は『総力戦研究所』と名付けられていた。

 戦争における「物資・経済・軍事」を総合的な視点で研究する機関である。そこには研究員の他に、コンラートやエクセシュなどを含む街の軍事部門のトップたちが集められていた。


「それで、帝国と王国が連合を組んで軍を動かしたというのは本当なの?」


 リーセの言葉にカークが頷く。


「間違いない。帝国軍が七万、王国軍が三万だ」

「十万……?」


 リーセのつぶやきとともに会議に集められた者たちの息を飲む声が響く。


「どうして……」


 軍が動いた後になって気づくことになったのか、という問いかけをリーセは飲み込む。周辺の街の怒りに気づいたのはリーセが暗殺されそうになったつい数日前の出来事なのだ。

 それまでは、市民が自らの商業活動の為に情報を得る程度で、外交員を派遣したり、諜報員を放って情報を得るようなことをしていなかったのだ。


「戦争なんて最後の手段でしょ! 特使を派遣してまずは交渉じゃないの?」


 リーセの言葉にカークは眉を寄せる。


「普通の街ならばそうだ」

「魔物が暮らしていることと、ルセロ教が支配していることがその判断に至ったということ?」


 人と魔物は共存できないと世界の人は考えている。そして、帝国や王国の領民を含め多くの人が世界教団であり、その世界教団はルセロ教を邪教と認定している。つまり、交渉の余地はないとされたのだ。

 リーシの街はルセロ教の信者のために築き、十二卿による搾取の被害にあった人々を救済するという目的があった。ルセロ教の信者でなくとも税金を納めさえすれば、どのような神を信じていても住民となることができるが、実際には税を徴取するための手段を設けておらず、結果として住民はすべてルセロ教の信者とみなされる。宗教的対立を防ぐために意図したものである。


「それで、その十万の兵が攻めてくるとどうなるの?」


 リーセの言葉に一人の青年が立ち上がる。総力戦研究所の研究員である。


「はい。一ヶ月以内に陸上からの軍が平野の北側で合流し、南下してきます。我々はその頃までに収穫は済ませ、平野部に点在する住民を市街に収容します。そして街の守りを固め三万を守備兵として配置します」

「王国軍は海から兵を回り込ませて来ないのかな?」

「航海に耐えうる船と兵士に不足していると思われます」


 リーセの問いかけに青年が答えた。この世界には転送石という空間転移装置が存在する。少人数での街間の往来が容易である。そのため、交易のために大規模な街道を整備する必要もなく、また、大型船を用いた通商も発展していない。大規模な人数の移動は、せいぜい兵員輸送に限られる。特に船団を率いて艦隊戦をする場合は、大型船を造船しなければならず、その維持や運用のための技術の維持、航路の開発、水上戦のための兵員の訓練と莫大なコストがかかる。リーシの街でも二年で大型船を二隻準備した。しかし、それを運用するためには湾内に寄港のするための港も必要となってくる。遠くの街に向けるというのは、まだ夢の段階であった。


「それで、戦闘の見通しは?」


 リーセが顔を傾け考えに浸っていると、エクセシュが待ちきれなくなったのか問いかけた。


「結論から言えば、守備に徹するなら連合軍はこの街に有効な打撃を加えることができず、撤退することになるでしょう」

「農地は?」


 リーセがたまらず口を挟む。


「荒らされるでしょう。来年の収穫に影響がでるかもしれません」

「じゃあ、こっちからも兵をだして平野の北側で追い払えばいい」


 再びエクセシュが口を挟んだ。


「十万に三万の兵が勝てるの? こっちの三万は訓練も終わっていない兵も混ざっているんでしょ?」


 リーセが反論すると、全員の目が青年に注がれた。


「実はそれでも我々が勝つと予想しています。敵味方の相当数の被害が考えられますが、こちらは烏合の衆でも敵の機動を止めてしまえば、エクセシュ殿率いる蜥蜴男リザードマン部隊ほか、こちらの魔族の部隊を敵は抑えることは不可能でしょう」

「それでも、向かってくるのかな?」

「我々の街が魔族と共に暮らしているという事実が気に入らないのでしょう」


 もともとは魔族が支配する街だったのだ。そのときは見過ごされ、今になって攻めてくるというのは、人口の増加と人が首長になったからだろうか。この土地の価値が見直されたのかもしれない。

 戦いを避けるためにこの地に移り住んだというのに、結局は目を付けられてしまう。リーセはため息を突きたくなったが堪える。


「人間の部隊だけで迎え撃つとしたら?」


 リーセの言葉に、青年は手元の紙をぱらぱらとめくる。


「まず、十万の軍を抑えるための、数を揃えることが難しいです。魔族の部隊を戦闘に参加させずに街に籠るのは、戦略的に見ても適切ではありません。街を出て会戦という手段になるかと思います。その場合の勝ち筋は……ありません。人間のみで構成した部隊が戦いに敗れ街まで撤退することになります。そのとき、包囲する連合軍と対峙することになるのは魔族の部隊です」

「うーん……」


 リーセは天井を仰ぎ見るように顔を上げた。

 やはり、こちらは魔族の部隊を全面的に押し立てて立ち向かうしかなさそうだ。しかし、そうなると人間対魔族という構図になってしまう。遠い昔から繰り広げられてきた人間と魔族の歴史に新たな一章を刻むことになり、大きな禍根を残しそうであった。今後を考えるとそういった対立構造は取り除いておきたい。

 しかし、状況としては連合軍が侵攻を開始したと言う時点で詰んでいた。

 周辺の街の感情に目を向けることを怠ったという失点は、とてつもなく重い。商業を通じて市民レベルで活発に繋がりを広げていく心づもりはあったが、外交をして街レベルで交流をするという概念が完全に抜け落ちていたのだ。

 そう考え込んでいるうちに、椅子の前脚が浮き、背後に倒れかけた。リーセは慌てて姿勢を戻す。

 ゴトンと大きな物音が会議室に響き渡る。リーセは恥ずかしさを隠すために小さく咳払いをしながら法衣カソックの裾を直すふりをした。


「謝りに行けば許してくれるかな?」

「また、裸になるつもりか」


 ラメールにすかさず突っ込まれた。


「それで許してもらえるなら……」

「バカなことを考えるなっ! そんなことをすれば今度は俺たちが許さないっ。お前に頭を下げさせた連中の首を、この街の城門に晒してやる!」


 リーセを怒鳴りつけたのはカークだった。リーセは少し涙目になって恐る恐る様子を伺ったが、会議の参加者たちはリーセと目を合わせないように机を睨みつけているが、怒りの感情を抑えていることは明らかだった。

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