62.リーセは変わっていく、街はうつろい、世界も変わっていく
リーセは会議室の端の席に座り、今朝の出来事をずっと考えていた。
彼女を襲った男は、世界教団の指示を受けていた。大魔導士ウンエンドリヒ・カイザーが魔法を使って自白させたのである。
リーセにとって、暴行を受けたことはもちろん、魔法による強制的な自白にも驚きを隠せなかった。
「もっと、人道的な尋問を」
リーセはそう願った。
「殴って自白させる。長時間拘束して聞き出す。金銭を与え口を割らせる。お前のいう人道的とはなんだ?」
その問いにリーセは答えることができなかった。
「とにかく、この男を生かしておくことはできない。お前は殺されかけたことを忘れるな」
「そんな……、でも……」
「誰かが住民を殺そうとしたが幸いにして未遂に終わった。そのときにどうするんだ? 住民よりずっと命の価値があるお前を殺そうとした者さえ許せば示しがつかなくなる」
「そんなふうに人の価値を決めないで!」
「そうだな。お前の考える法による統治は、全ての人に平等な権利と義務を与えるものだったな?」
ウンエンドリヒがリーセのことを思っての言葉であることはわかった。
あの瞬間を思い浮かべるとリーセの指先が微かに震える。ノノがリーセをかばっていたため、ナイフが振り下ろされてもリーセは無事だったのかもしれない。しかし、ノノの命こそリーセにとってはかけがえのないものである。
ノノは決して咄嗟にリーセをかばったわけではない。彼女はこういった出来事を想定して、隠れて自分の身を捨てリーセを守る訓練をしていたのである。そのこともショックだった。
それに、ラメールから警告を受けていたにもかかわらず、大した護衛もつけず、同じ道を同じ時間に歩き続けた自分の不注意も悔やまれる。
幾つもの感情がリーセの中を渦巻き、結局、ウンエンドリヒの問いに何も答えることができなかった。
「もう一つ。お前は自分が弱者である立場を利用して強い者と対峙をしてきた。お前自身は何も変わっているつもりはないだろうが、今のお前の立っている場所は強者が立つべき場所なのだ。十分に理解したうえで振舞うことだ。いつの日か、お前が本当に守りたいと思っているものも守れなくなるぞ」
立場を失って項垂れるリーセに、ウンエンドリヒは軽く彼女の肩を叩いた。
「ごめんなさい……」
思わず声に出してそうつぶやいた時、会議に参加していた者たちの視線が一斉に集まった。リーセは回想から我に返り、自分の姿を隠すように身を縮める。
「何を急に謝りだしている?」
「な、なんでもありません。続けてください」
カークの視線は鋭かった。まるで全てを見抜かれているようで、リーセは思わず視線をそらした。
会議室に集まる者たちの顔ぶれは、議題によって変わった。これは専門性を求めたものではなく、より多くの者を政府運営に参加させるための方策である。リーセが目指しているのは寡頭制であり、最終的には彼女自身というべきか、ルセロ教団は政府から手を引き、街を色濃く包んでいる宗教色を薄めていくつもりであるが、選挙で選ばれるような政治力を発揮する者が現れるのにはまだ時間を要することだった。
ゆくゆくは投票で選ばれた者に委ねて行きたいが、リーセ、
「婚姻制度の導入についてはどう思っているんだ?」
ほとんど話を聞いていなかったリーセは、カークに意見を求められて慌てる。
「婚姻はルセロ教団が取り仕切ればいいと思う」
「ルセロ教団に影響力を与えるつもりか?」
その言葉にリーセは首を振る。
「逆、政治に宗教的な概念を持ち込みたくない。どうして婚姻制度を作るの?」
カークの目じりが僅かに吊り上がった。リーセはビクッとする体の動きを隠すように背筋を伸ばした。
そして、必死になってどういう流れでこの話題になったのか頭を捻る。
「たしか戸籍の管理について議論していた中で、結婚の扱いも問題になったような……」
おそるおそるカークを見るが、彼は無言のままリーセを見つめ返してくる。話を聞いていなかったことはリーセが悪い。しかし、怒りすぎだと思った。昨夜、毛を
「婚姻を政治の枠組みに当てはめてしまうのは、本来当人や家族、一族で自由にしていい『家族のあり方』を規定しすぎてしまう。それこそ個人によって変わる漠然とした価値観を規定するのはやめて、ここは範囲を絞り『財産の保護』と『子どもの保護』として分けるべきだと思う」
「それもまた面倒な話です。それこそ一つにまとめてしまった方がいいんじゃないでしょうか?」
委員の一人から声があがる。リーセは小さく頷いた。
「恋愛関係に政府が規定を設ける方が後々を考えるとリスクです。恋愛感情なんて常に変化します。時代が変われば大きく考え方も変わるでしょう。魔物と人間の結婚の場合はどうするんだとか、この法が出生に影響を及ぼすようなことも避けたいです」
リーセが答えると、再び全員の視線がリーセに注がれていることに気がついた。リーセは誤った発言をしてしまったのか思い、咳払いをしながら周囲を見渡す。
「……で、お前自身はどう考えている?」
「私? 私がどうとは……?」
カークに尋ねられリーセはわけが分からず聞き返す。
「もう15才だ。この街の支配者である自覚をもってもらわないと困る。魔王様に嫁ぐとしても、他の誰かを選ぶとしてもさっさと相手を決めろ。ぐずぐずするな!」
「ど、どうして、私の結婚の話になるの? 急に言われてもそんなの決められるわけないでしょ!」
カークに言い返すが、他の議員からも同じような圧力をかけられているような気がして、リーセはたじろぐ。
「別に一人に絞れないのなら、何人か見繕ってもよい。お前はそれが許される立場だ」
「ええっ? そんなの一人だけに決まってるでしょ!」
真っ赤になって答えるリーセに議員たちが安堵したようにため息を漏らした。
「なんだ。心に決めた相手がいるのか。だったら早く発表しろ」
「なんにも決まっていません!」
思わず立ち上がり、リーセは叫んでいた。
会議のあと、エクセシュに呼び止められる。
「今朝の男なんだが……、対処はどうするつもりだ?」
「処罰はウンエンドリヒに任せました。私は口を挟まないつもりです」
「そうではない。世界教団が暗殺者を送ってきたことについてだ」
彼に言われリーセは改めて首を捻った。
「この土地は魔王様が占領して私が統治を任されていた頃は、人間の街とは完全に切り離されていた。我々も人間どもも、互いに干渉することはなかった。しかし、こういう者を送り込んでくることを考えると、この街が変わったように、人間どもの考えにも変化が起きているということだ」
エクセシュのいう通りだった。この街について、今の流れを変えたいと考えているから、暗殺者を送り込んでくるのだ。
一つ考えられるのは住民の流入だ。フールハーベントの街の人口は1万人の街だった。南方の要衝となる街だ。帝都や王都などはもっと多くの人々が暮らしているはずだが、地方の街としては大きな部類に入るだろう。
リーセの街に暮らしている10万人は他の街から移住してきた者たちなのだ。その影響で周辺の街の人口が減少しているはずである。例えばフールハーベントの街から千人が移住してきたとなれば、一割もの人口が失われたことになる。とても許容できるものではないだろう。
街の住民を見る限り大商人や貴族といった身分の姿はない。労働で街の土台となる人々が移住をしてきているのだろう。
そう考えると、この街の発展に伴い周辺の街の労働力が減少し、生産力の低下を招いている可能性は高い。
「ふむ……、だからと言って、こちらも暗殺者を送り込むわけにはいかない……」
周辺の街とは交流も盛んにしていきたい。不用意な刺激は避けるべきだった。暗殺者を送り込まれたことを警告と捉えるべきか、手段として送り込んでいるのかも考える必要がある。
「少なくとも周辺の街の状況を知る必要がある。それに、やはり北の帝国と東の王国の動向も把握しておく必要がある」
「西の魔王の動向もね?」
リーセが付け加えるとエクセシュは気まずそうに頷いた。
「諜報機関……か。ゆくゆくは大使を送って仲良くしたいけど。どんどん政府が重くなる」
「仕方ねぇだろ。必要なものだ」
エクセシュは肩をすくめた。
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