18.初めての冒険、初めての戦闘

「この辺りは、あまり雨は降らない。どちらかと言えば冬場の方が雨は多い」


 ラメールが目を細め、照りつける太陽を見上げたあと、フードで顔を隠す。

 彼は、リーセとノノが追いつくのを待って再び歩き始めた。


「そ、それで……、今は夏なの?」

「もちろん夏だ。冬はずっと寒くなる。といっても日中は温かくなることもあるが……」


 ノノが眉を寄せリーセの様子を眺める。リーセは最初こそ息を荒くして汗を垂れ流していたが、今は一歩の歩幅こそ狭いものの安定した歩調で進んでいた。

 しかし、口は開ききったままである。


「おい、なるべく鼻で呼吸をしろ。口の中が乾燥すると余計に喉が乾く」

「ん、わかった」


 リーセは固く口を結ぶ。ラメールはそれを見て苦笑いを浮かべる。


「絶対に口で呼吸をするなと言っているわけじゃない……」


 リーセの歩調に合わせているため、疲労がたまっているのは彼女だけだった。彼女はノノも自分と同じように音を上げるものと考えていたが、彼女は健脚だった。

 いつしか黒っぽかった土の色が、赤褐色の乾いた砂地に変わっている。

 灌木が周囲に生えているが、視界を遮るほどでもなければ、地面を覆いつくすほどに生えているわけでもない。これが街から見えていた森林だった。

 振り向くと、随分と小さくなってはいたが、まだフールハーベントの街の城壁が見えている。


「街の人たちは、小麦を育てているの?」

「俺たちが抜けてきた場所は、今は牧草地帯になっているが、豆類を育てたり、小麦の栽培もおこなっている。しかし、耕作地の中心は街の北側になる。そこではオリーブや葡萄を育てている」


 クリスタルのオベリスクの事を思い出す。転送石をつかっての移動がたやすいのだ。その仕組みをつかった交易がおこなわれているのならば、全てを自給自足にこだわる必要はない。

 この地域に特化したものを育て、他の街へ送り込めばいいのだ。

 瞬間移動が可能なら、腐敗の心配をしなくてよい。


「転送石を使えば、どんな遠い所にでもいけるの?」

「使用者の魔力も使うそうだ。あまり遠い場所や人、物を運ぶことはできない」


 そう言えば、魔法の素養がないと転送石を扱えないとツヴィーリヒトが言っていたことを思い出した。魔法が使えるホモ・ルミナスがいなければ移動ができないとなると、交易は随分と限定的になる。世界教団は魔力を持つ存在を排除するような教えだった。魔力を持つ者たちの社会的な地位はどうなっているのだろうか。


「魔力を使い切ったらどうなるの?」

「俺はホモ・ルミナスじゃないから分からないが、枯渇すると昏倒するらしい……」


 ラメールは片方の眉をわずかに上げ、目を丸くして、リーセを覗き込む。


「お前……、本当に何も知らないんだな……」

「りっ、リーセ様はっ」


 慌てて口を開き、喋り始めようとするノノに、リーセは手のひらを広げそれを止める。


「実は……、記憶がないの」

「はあ……?」


 リーセの言葉にラメールは眉をよせる。


「枢機卿の一人が『勇者が攻めてきている』といって逃げてしまった。それ以前の記憶がないの」


 実際には別の世界からリーセという少女の中に転移してきたのだが、話がややこしくなるだけなので、ノノ同様にラメールにも記憶喪失だということで押し通す。

 彼は助けを求めるようにノノに視線を送る。


「はい、リーセ様は私の事も覚えていませんでした」


 ノノは少し涙目になり鼻をすする。そこまで悲しむことなのだろうかと思ったが、リーセも大切な人に忘れ去られるのは嫌なことだった。


「それで、訳のわからないことばかり言っていたのか……」

「その自覚はあったけど……」


 二人の視線がノノに注がれる。


「お前は記憶があるのにな!」

「わ、私は訳のわからない事なんかしていません!」


 否定しようと振った手をラメールが掴んで引き寄せた。

 その突然の彼の行動にリーセとノノが驚く。


「ラメール! 一体何をっ」

「おい、そっちへ行くな!」


 ラメールはリーセの手も引こうとしたが、彼女は逃れた。しかし、背嚢に体をゆすぶられ、足をもつれさせてしりもちをつく。

 彼女の視界に赤茶色の砂地が埃の様に舞い上がる。その隙間、近くの岩陰から頭を出す蛇の姿が見えた。


「ひぇっ、へ、へ、ヘビっ!」

「慌てるな。ただの毒蛇だ。落ち着け」

「ただの毒蛇かもしれないけど、毒蛇はただの蛇じゃない!」


 ラメールがリーセのローブを掴んで引きおこす。そして、彼女たちの前に立つと、ナイフを手にした。

 蛇はそのあいだにもするすると岩を這い、頭をあげると牙を剥いた。リーセの腕の長さほどあろうかという大きな体だった。

 蛇は素早く動いてラメールの足を狙ったが、彼のナイフの動きのほうが早く、その脳天にナイフを振り下ろす。蛇はのたうち暴れた。


「へ、ヘビがっ! 腕にっ!」


 リーセはラメールの腕に体をからめていく蛇を見ながら、ノノの腕に自分の身体を絡めていた。ノノもまた息を飲んでその様子を見つめている。怯える二人に気にする様子もなく、ラメールは蛇の首元を掴み、ナイフで頭を落とした。

 その頭がコロコロとリーセたちのもとへ転がっていく。


「首がっ、クビーッ!」


 リーセがノノの首を絞める。


「リーセ様、落ち着いてください。蛇はこのノノが!」

「おいやめろ! 蛇はもう死んでいる!」


 蛇の頭を踏みつけようとするノノをラメールが止めた。そして背嚢を下ろして、麻袋を取り出すと、その中に蛇を放り込んだ。


「まったく、勇者を前にしてもほとんど動じなかったのに、こんな小さい蛇を見て何をびくついているんだ……」

「勇者には理性があったでしょ! 毒蛇には何考えているのか分からないじゃない」

「まったく、何を考えてるんだ……」


 ラメールはため息をついた。


「それより、そんなものをしまってどうするの!」

「栄養たっぷりだ」


 ラメールは笑みを浮かべながら、芝居がかった感じで舌なめずりをする。


「まさかっ、食べる気なの!」

「水炊きにする。鶏肉に似ていて旨い」

「食べ物は背負ってきてるんだからそれを食べればいいじゃない!」

「お前の足だと何日かかるかわからん。荷物は軽くならないが背嚢にあるものは保存が効くから取っておいた方がいい」

「……!」


 さらに文句を言いたいが、それ以上言葉は出てこなかった。ノノの助けを借りようと視線を送ると、彼女が目を見開いて視線を向けている先はリーセだった。


「リーセ様……、何度かお食事に出したことがあるのですがお忘れですか?」

「なっ、この娘……、いえ、私は毒蛇なんか食べていたのっ? それは虐待でしょ!」

「毒蛇ですが火を通せば毒は消えます。それに、リーセ様は毒蛇のスープがお好きでした」

「……ノノがそういうのなら、まぁ……、調理しちゃえば姿なんか分からなくなるし」

「いえ、こんなに大きいのを見たのは初めてですが、リーセ様はよく毒蛇の尻尾を掴んでぶんぶん振り回して私をよくぶってました……」

「そ、そんなの子供の頃の話じゃ……」


 衝撃のリーセの逸話を聞いてたじろいでいると、いつの間にか、毒蛇を背嚢にしまい終えたラメールが背後に立っていた。


「おい、騒いでないで進むぞ」


 声をかけられてリーセは歩き始める。しかし、ラメールの背嚢にいる毒蛇の事が気になって仕方がなかった。

 好き嫌いは無いつもりだった。元の世界でも、幼少の頃はなんでも幸せそうに食べる子だと言われていた。しかし、食卓に並ぶものにゲテモノはなかった。

 毒を持つ蛇だというのは気になるが、鰻だと思えば頑張れるような気がした。しかし、そのうちバッタなどを捕まえて、「鍋にいれよう」などといわれたら卒倒する自信がある。それは断固として拒否しなくてはならない。


「水の音が聞こえてきたな」


 ラメールがつぶやいた。リーセも耳を澄ませるでもなくその音は聞こえていた。川が近いからか背の高い杉のような木が増えている。そして、道の周辺には雑草も生えていた。


「少し歩けば河原に出るはずだ。今日はそこで休もう」


 その言葉を聞いて、リーセは空を見上げた。まだ太陽の位置は高く、少し傾き始めたばかりだ。


「ラメール、私のことを気遣っているのなら、いらない心配だわ。まだ歩ける」

「いや、今日は初日だから体を慣らすだけにしておくべきだ。十分に休息して明日にそなえよう。その代わり、明日は早朝に出発しよう」


 ラメールの言葉にノノが頷く。


「リーセ様、ノノは少し疲れてしまいました。それに野営や食事の準備をしなくてはなりません。ラメール様のいう通りにしましょう」


 ノノの言葉はリーセを気遣ってのことだとすぐに分かった。リーセは彼女たちにゆっくりと頷いた。

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