16.どうしても教会に戻りたい

「それで、あんたたちはどうするつもりなんだい?」


 食事を食べ終わり、木製の食器が水桶の上にぷかぷかと浮いている。

 テーブルの上にはエールのジョッキだけが置かれていた。


「教会に帰ります」


 シェラはリーセの答えに顔をしかめてエールを飲んだ。リーセもまたエールを口にする。牢屋に閉じ込められていた時の喉の渇きが残っているようだ。どれほど飲んでも、喉は渇きを訴える。


「ルセロ教会かい?」

「はい」

「行ったことはないけど、場所ぐらいは知っているよ。転送石をもっているのかい?」

「お土産に買って帰ろうと思ったんですけど、お金を忘れてきちゃって……」

「じゃあ、迎えがくるのかい?」

「いいえ」

「馬車の定期便もないよ。どうやって帰るつもりなのさ?」

「はい、歩いて帰ります」


 リーセが答えると、シェラとラメールが顔を見合わせた。


「ルセロ教会はどこにあるのか知っているのかい?」

「「こっちです」」


 リーセとノノがそれぞれ別の方向を差した。


「南はこっちだ」


 ラメールが、深くため息をついて二人が差した方角とは別の方向を差した。


「何日かかるのかわかっているのかい?」

「頑張れば3日で帰れると聞いています!」


 リーセは胸を張った。小さな声でノノが「リーセ様なら大丈夫です」と言っているから大丈夫なのだろう。


「知っていると思うが、ここは帝国領内の最南端の街だ。ここから南に小さな集落はあるかもしれないが、ルセロ協会は焦熱しょうねつ峡谷きょうこくの中にある。補給は難しいだろう。旅装はこの街で揃えていく必要がある」

「焦熱の峡谷……」


 ラメールの口から発せられた地獄そのもののような地名を聞いてリーセは息を飲む。流石に不安になった。ノノに視線を送ると、ただ目を輝かせているように見えるが、繰り返して「リーセ様なら大丈夫です」と言っているような気がした。


「枯れた峡谷だ。雨は降らず、赤い台地には草木の一本も生えず、水は谷底を流れている。昼間は身を焼くほど熱く、夜は凍えるほどに寒い。魔王配下の四天王の一人が支配する場所だ。当然魔物も出る……」

「どうしてそんなところに教会が……。一体誰がどうやって作ったの?」

「それは俺が聞きたい!」


 ラメールに突っ込みを入れられたが、リーセにはさっぱり分からなかった。ノノに視線を送ると「リーセ様のお力です」と言いたげにウインクを返してきた。


「まあ、これには噂もあるが」

「噂、とは?」

「ルセロ教団の信者に限っては魔物に襲われないそうだ」

「……」


 神はいない。いたとしても決して身近に感じられるものではない。だったら神の加護なんてあるはずもない。魔物がどんなものか知らないが現れたら信者であろうが分け隔てなく襲い掛かるだろう。ノノに視線を送ると、やっぱり「リーセ様なら大丈夫です」と言っているような気がした。


「そんなところに、最低でも三日分の食料と水、そして野営の道具を持って歩かなければならない。お前は体重の半分くらいの荷物を背負って歩くことになる」

「……」


 リーセには不安しかなかった。もうノノの顔を見たくなかった。しかし、ノノはずいっと顔を突き出してきた。


「リーセ様、お金ならあります。先ほどのお金でラメール様のいう旅装を整えてみてはどうでしょう?」


 施しでもらったお金のことを言っているのだろうか。リーセは先ほど帽子に放り込んでもらったお金を取り出した。茶褐色のコインを机に並べる。全部で8枚あった。


「銅貨か……、これはさっきのパン代だな」2枚の銅貨が机の上から消える。

「じゃあ、スープとエール代」3枚の銅貨が机の上から消えた。

「今日の宿泊代」さらに2枚の銅貨が机の上から消える。


リーセとノノは涙目になって1枚だけ残った銅貨を見つめた。


「あ、明日一日、あの場所で頑張れば……」

「何を頑張る気だ! 乞食はやめろ!」


 ラメールはそう言って取り上げていた銅貨を返した。


「とにかく、そんな服だとまともに旅もできないだろ。服も買わなければいけない」

「ふ、服はおいくらでしょうか?」

「銀貨一枚。その銅貨が100枚だ」

「ひゃ、百枚!」


 ノノががっくりと肩を落とした。


「ノノ、それは私の服を売ればなんとかなるはず」

「あてはあるのか?」


 ノノの代わりにラメールが尋ねてきた。


「あてはないけど、美少女が好きな男の人なら高く買ってくれるはず!」

「さっきから聞いてりゃ、アホな事ばっかり言いやがって! いい加減にしろ! 死にたいのか! 勇者も勇者だ! 何が勇者だ、こんなガキを街の中に捨てやがって……」


 ラメールが立ち上がった。


「俺は寝る。シェラ、すまないがガキどものおりを頼む。その分は今日の夕食代も含めて俺が払うから……」


 彼は肩を怒らせながら階段へと歩いて行く。それを見てリーセが立ち上がった。


「待って!」

「……なんだ?」


 彼は振り向かないが立ち止まった。


「今日の事はありがとう。闘技場でもあなたがいてくれたから、私とノノは安心することができた。決闘が終わって街に放り出された時も、気にして様子を見に来てくれた。どんなに心強かったか。本当に感謝しているの」


 リーセが深々と頭を下げる。ノノも立ち上がってラメールにお辞儀をした。


「あぁ……」


 彼はやはり背を向けたままだが、鼻を掻く仕草を見せる。


「ラメールさん、私とノノはどうしても教会に帰らないといけないのです。信者がいるのです。でも、さっき聞いてもらったとおり、私にはなんの知識も能力もありません。だからお願いです。旅の準備だけでもいいんです。手伝ってもらえないでしょうか」


 教会を立て直さなくてはならない。それには一度教会に戻り、教団の実態を把握する必要がある。財産や信者のこと、そもそもの教団の教えなどだ。この街にいてはそれができない。それに、教会が信者の他にも吸血鬼のツヴィーリヒトがいる。彼にもう一度会いたい。


「……お前……卑怯だぞ。それにお前たちのようなガキ二人を旅に出すことなんかできるか!」

「教会に帰ればお金はあります。お礼は必ずします」

「それは騙された信者に返す金だろ。お前は決闘で勇者に土下座して返すと言っていただろ!」

「あの勇者が信者たちの為に、教会までやってくるはずがない」

「代理の者が来るだろ」

「私は『皆様から信頼の厚い勇者様』にお願いしたのです。勇者が自ら来ないのであれば、代理人などが来ても追い返すだけです」

「お前……、金を返すつもりはないのか?」

「私は邪教の教主です」


 ラメールが振り返る。リーセは顔を上げると、二人でにらみ合うようにして見つめ合った。


「俺には仕事がある」

「もし、この件でラメールさんのお仕事が奪われるのなら、私が責任を持ってラメールさんを雇わせていただきます」

「お前みたいな奴が教主の教団なんか、未来など知れている」

「私はまだ、13歳……もしかして、14歳? あるいは15歳です」

「世間どころか、自分の年齢もわからないのか!」


 ノノがリーセの耳元に顔を寄せてきた。


「リーセ様は13歳です」

「そうなの? ところで、ノノは何歳なの?」

「私は17歳です」

「え? 仕事ができるし、大人びて見えたから20歳かと思った」

「リーセ様に褒めていただけるなんて、このノノは幸せ者です」


 二人のやり取りを無言で見つめているラメールの存在に気がついて、咳払いをする。


「私はまだ13歳です。今の私は子供でたよりなく見えるでしょう。でも、一年後の私は違います。その一年後だって。未来の私はラメールさんの想像を超えています!」

「……俺をルセロ教団に勧誘しているのか?」

「いやぁ……、別に入らなくてもいいけど。どうせ、世界教団とも同じ神様だし」

「……」


 ラメールは背を向けると階段に向かって歩き始めた。


「ラメールさん……」

「……一晩、考えさせてくれ」


 彼はギシギシと音を立てて階段を上って行ってしまった。

 その背中をリーセとノノが見送る。さらに背後からその様子を眺めていたシェラがエールのグラスをあおった。

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