15.初めての異世界料理

 それは嵐のような出来事だった。

 凄まじい轟音と共に、鬼の形相をした女が階下から昇ってきた。


「うるせぇから、家の中では静かにしろって言ってんだろ!」


 先ほどのラメールの絶叫を超える大音量で一喝した。

 彼の身体を横に倍に広げたような体つきだった。彼女は手を腰に当て、顔を突き付けるようにして彼をにらみつけた。お腹と頬の肉がぶるんと揺れる。

 その迫力に押しつぶされるかのようにラメールはへなへなと腰を床に落とした。


「「ひっ、ひひ……」」


 リーセは膝をつきノノと抱きしめ合いながら震えあがる。

 彼女たちの小さな悲鳴を聞きつけた女は、鋭い視線を二人に投げかけた。


「何だぁ? お前ら……」

「あわわわ、わたしは……、えっと、えっと……」


 リーセは、咄嗟に自分の名前を言えることができず、くちをぱくぱくと震わせた。

 彼女の慌てぶりを見た女の怒りの表情が緩む。そして、目を大きく見開き、リーセを見つめた。


「あんた、昼間の闘技場にいた邪教の教主じゃないか……」

「へっ、へへぇ、おおお、おば……じゃなくて、お姉さま! あっしは邪教の教主をやらせていただいております、リーセってケチなモンですっ」


 女の顔がリーセへとググっと迫ってきた。

 リーセは身を引いて逃れようとしたが、なぜかノノが彼女の背後に隠れ、めいいっぱいの力でリーセの背中を押していた。

 逃げられなくなった彼女は頬と口元を硬直させて、ぷるぷると首を振る。


「まぁ、ケチなことやってるから恨まれて、あんなところに引きずり出されるんだろうね……」


 妙なところで女は納得して姿勢を戻す。

 そして机の上に置かれている布袋ぬのぶくろに目をつけた。彼女はその中を覗き込む。


「おや、三人分あるじゃないか。まだ食べていなかったのかい」


 そう言って布袋を抱え上げた。


「温めてやるよ。スープもつけてやるから降りてきな」


 女は顎で梯子を差すと、のしのしと歩いて降りていった。その巨体が梯子と階段をつかうと壊れて転げ落ちないかと思ったが、家はギシギシと規則正しく悲鳴をあげ続け、やがて静かになった。

 布袋はラメールが持っていたものだ。そしてリーセたちは彼と合流してから、どこにも寄らずにこの家までやってきた。


「もしかして、ラメールは最初から……」


 リーセがつぶやくと、彼はかすかに顔を赤らめながら頬を掻いた。


「まあ、ババアがスープをくれるっていうから下に行こう。普段は絶対にこういうことはねぇからな。こんなボロい建物なのに高い賃貸料を払わせやがってよ。ケチなのはどっちなんだよ!」


 ラメールは悪態をついて顔をしかめる。そして尻を払いながら立ち上がると、リーセとノノの手を引っ張って起きるのを手伝った。



 女はシェラーケと名乗った。


「シェラでいいよ」


 暖炉の火がちらちらと燃えて部屋の中を照らし、そして温めていた。

 リーセ、ノノ、ラメールの三人は質素なテーブルを囲んで座っている。シェラは彼女らから背を向けて厨房に立ち布袋の中身を取り出していた。


「あんたらみたいな、子供と決闘なんてやっぱりおかしいよ。それで、私もあいつらに石を投げたんだけどさ」


 彼女はリーセたちが去った後の闘技場の様子を語る。口は動くが、手もきちんと動いていた。彼女はパンにはさまれていた具材を取り出して、フライパンの上で焼きなおす。そして、パンは暖炉の上に置かれる。


「でも、あいつら、絶対に逃げないの。そして私たちをじっと睨んでくるの。観客ひとりひとりの顔を覚えるように睨んでいてさ、恐ろしいのなんのって……」

「ババァでも恐ろしい事があるんだなぁ……」


 相槌を打ったラメールの背中に野太い腕が振り下ろされ肘の一撃が炸裂する。


「うがっ」


 彼が背中をのけぞらせながら机の上につっぷした。それを見たリーセと背筋がシュッと伸びた。その隣にいたノノは鞭を打たれた馬のように起立する。


「シェラ様、ノノもお手伝いします!」

「そうかい? じゃあ、そこに木のジョッキがあるから、飲み物でも用意して」


 ノノは頷くと木製のジョッキを四つ並べて、小さな樽に入っていた液体を注いでいく。香草だろうか。独特な香りが広がった。

 シェラは火加減の様子を眺めながら、ジョッキの一つを奪い取るように掴みごくごくと飲み干した。その様子を見ているだけで、リーセの喉は渇きを訴え、お腹が鳴った。

 ノノがジョッキを机の上に並べるのももどかしく、リーセはジョッキを手にして口に運んだ。麦とハーブのような香りが鼻をつき、すこしの甘みとざらつきのある液体が喉の奥へと流れていく。


「ぷはーっ」


 半分くらい飲み終えて、ジョッキを机の上へと戻した。少し酒精のようなものが口の中にのこっていた。


「これは……、なんの飲み物?」


 リーセがつぶやくと、ノノとラメールとシェラがぽかんとした表情でこちらを見ていた。この飲み物の名前が知らないことは、そんなにおかしい事なのだろうか。彼女もまた、挙動をあやしくしながら、三人の表情を伺う。


「リーセ様、不肖ノノが、このエールを頂く前にお祈りのお勤めをさせていただきます!」

「お……おう。それはいいが、また怒られるから静かにな?」


 ラメールが若干引いた感じで返事を返す。リーセもまたノノの反応で、この飲み物がエールであることを、食べる前のお祈りをしなくてはならなかったことに気がついた。

 それにしてもこれがエールなのか。ジョッキの中の濁った液体を覗き込む。彼女が知る麦芽から作った飲み物とは随分違っていた。そしてアルコールの度数も随分と低いようだ。

 しかし、お祈りに関して言えばエールはシェラも飲んでいたから問題はないはずだ。そう考えたところで自分が教主だったことを思い出した。彼女はよくてもリーセは駄目だったのだ。

 そんな事を考えていると、シェラが机の上に温めたパンとスープを並べていった。

 ノノがちょこんと椅子に座る。そして、目を閉じると両手を組んで胸の前においた。


「ルセロ神様、今日も私たちをお見守り下さりありがとうございました。こうして温かい食事を頂けることを感謝します……」

「ルセロ神……、まあ、同じ神だからいいか……」


 ラメールはノノのお祈りの言葉に眉をしかめたが、彼もまたノノと同じ仕草をしてお祈りを始めた。シェラもそれに続いたので、あわててリーセも続いた。


 もうお腹が空きすぎて待っていられなかった。リーセは目の前のパンを掴むとすぐさま口へ運んだ。固い感触を突き破るとぱさぱさのパンの食感が加わる。さらにはそのパン生地にじゅわっとした液体がしみ込み広がっていく。噛み切ったあとを見るとパンはすこし茶色っぽく、それに挟まれた白身魚とキャベツに玉ねぎ、そしてカブだろうか。口の中ではニンニクの風味が広がっていた。

 夢中になって食べていると、口の中の水分がパン生地に吸われて飲み物が欲しくなる。エールを手にしようとしたが、せっかくなのでスープを口にする。それは、スープというより麦がゆだった。ミルクと塩で味付けをされているように感じだ。どんどんと口に運び込み、食べていると弾力のある歯ごたえのものがあった。噛むと甘みが広がる。何の味なのか気になってスープを眺めると干しブドウのようだった。

 様々な味が口の中に広がるが、喉は潤せなかった。ジョッキを掴んでエールをごくごくと飲む。

 ふと気づくと、やはり三人がぽかんとした表情でリーセを眺めていた。彼女はまた何かやってしまったのかと思い、食事の手を止めた。


「美味しいかい?」


 シェラが尋ねてきたので、リーセはこくこくと頷く。


「はい! とっても美味しいです」


 この世界に来てから水しか飲んでいない彼女には、なんでも美味しく感じられたので、その点は差し引かなくてはならないが、初めて食べた異世界の料理は格別だった。

 満足気に頷くリーセをシェラは奇妙に眉を歪めて見つめる。


「それならいいけど……。あんた身なりこそいいけど、本当に教主なのかい?」

「は、はい。ルセロ教団ってところで、教主張らせていただいてます」

「信者から金を巻き上げた教主ならもっといいのを食べるんじゃないのかねぇ……。あんた、勇者に騙されて教主に仕立てられて連れて来られたんじゃ……」


 シェラの視線がより険しいものへと変わっていく。ふと見ると、パンはリーセとノノとラメールの分しかなかった。ラメールは三人で食べるつもりでいたので当然だ。

 シェラの分はなかった。代わりにたくさんのスープを飲んでいた。彼女は横に育ちざかりなのだ。量が足らなくて不満に感じているのかもしれない。

 リーセはほとんど食べつくしていたパンの残りを彼女に差し出した。


「やっぱり、こんな子供が教主なんておかしいよ」


 シェラがパンを押し返してきた。そのやりとりを見つめていたノノがとんとジョッキを置いた。


「リーセ様は立派な教主様です。ノノはそう信じています!」

「あんたひとりが、信じていてもねぇ……」


 そうつぶやきながら、スープを口に運ぶ。シェラが納得をしていないことは明らかだった。

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