おうち(教会)に帰ろう

14.物乞いになった邪教の教主

 勇者との決闘が終わり、ルセロ教団の教主であるリーセとその従者のノノの二人は円形闘技場コロッセオを離れ、城門近くの城壁の陰に座り込んでいた。


「お腹がすいた……」


 リーセはがっくりと頭を落としてお腹をさする。

 思えば彼女の身体に転移をしてから、まだ一度も食事をとっていなかった。

 体を包む法衣もまた、リーセのひもじさを現わすように薄汚れている。

 視線を上げると、オレンジ色に染まった街並みが広がっていた。石畳に白い漆喰で塗り固められた家々が立ち並ぶ。異国情緒あふれる古く美しい街並みであったが、異邦人を寄せ付けない雰囲気が漂っていた。これから夕食の準備にとりかかるのであろう人々は、せわしなく彼女たちの前を通り過ぎていくが、誰も二人を気に留める様子もなかった。

 厳密にいえばリーセの姿を目に留めると一瞬驚いたように目を見開く。しかし、腫れ物に触るかのように視線を逸らし去っていく。

 闘技場では同情を得て解放されたリーセだが、自ら進んで邪教とされたルセロ教を広める教主に関わりたいと思う者はいないのだろう。

 リーセが空を見上げてため息をつく。昼間は暑かったが、今はまた気温が下がり始めている。ただ、昼間でも建物の陰や日除けの布の下は涼しく感じることができた。

 闘技場の舞台アリーナや牢屋の中が異常だったのだ。

 隣で石畳の道をじっと見つめていたノノがリーセへと視線を移す。


「申し訳ありません。宿で頂いた食事を残しておくべきでした」

「ノノに食べてと言ったのは私だから」


 すっかり肩をおとしてしょげ込むノノにリーセは慌てて首をふる。


「それにしても、まさかお金を持って来なかったなんて……」

「リーセ様が、どんどんと歩いて行ってしまうものだから、てっきりお金を持っているのかと思っていました……」


 フールハーベントの街とルセロ教団の教会は速足でも三日はかかると聞いていた。リーセもまた彼女のお世話を名乗り出たノノが当然準備をしてくれると考えていたのだ。

 しかし、リーセは教会で勇者一行に啖呵をきったあと、勢いに任せて先陣を切って教会を出た。ノノが準備をするための時間はなかったのである。


 つまり、着の身着のまま、お金も持たずにこの街に来てしまったのだ。


 もちろん、この街に連れてきた勇者一行に頼ることもできなかった。

 とりあえず、街を出て一歩でも教会に近づくために歩くという手段も考えたが、あまりにも無謀に思える。さらに、街の門番には住民でない彼女たちが一度街を離れると、再入場するのには税金を払わなければならないと言われ、進退が極まってしまった。


「ヴィルトにもう一度、裸で土下座をすれば……」


 そんなことをすれば、今度こそ彼はリーセを殺すかもしれない。彼の殺気のこもった眼差しを思い出し、リーセは今更ながらに震えあがる。

 その時、リーセの頭にのっていた帽子が落ちた。車輪のようにころころと転がって、二人の前で、ぺたんと倒れる。

 拾い上げる気力もなく眺めていると、通りすがりの男が帽子の中に何かを落としていった。

 チャリンと音が響く。それはお金だった。

 それを皮切りに何人かの住民が寄ってきてお金を入れていく。


「おぉ……」


 その様子を、リーセとノノは口をぽかんと開き目を丸くして眺めた。

 そんな二人の前に立ちふさがる者が現れる。厳めしい顔をした中年の男である。皺の刻まれた眉間にしわを寄せ二人を見下ろす。布袋を抱え麻地の上下の服を着ており、雰囲気が変わっていたが、短く刈り込んだ髪は見覚えがあった。彼は闘技場で彼女たちの世話をしてくれた騎士だった。


「おい! こんなところで何をしている?」

「いやぁ……、教会に帰りたいんだけど旅の路銀がなくて……」


 リーセが頭を掻いた。


「乞食のような真似をするな」


 騎士はそう言ったが、今のリーセとノノは乞食そのものだった。

 リーセもノノもどうすればいいのか分からずに騎士を見上げる。


「ついてこい」


 彼はそう言って顎で示すと、背を向けて歩き始める。

 リーセとノノは二人で顔を見合わせたあと、立ち上がって彼の背中を追った。



 建物の外観ファサードは白い漆喰で綺麗にみえたが、中は石のブロックと木の梁があらわになったくたびれた建物だった。

 男はカンテラを取って狭くて急な階段を上る。古いのか、それとも出来が悪いのか、彼が一段を踏むたびに、悲鳴のような音が響いた。

 リーセがそれに続こうとすると、ノノがそれを止める。


「リーセ様、私が先にまいります」


 口元を固く結んでいるが、心なしか青ざめているような気もした。高いところが怖いのだろうか。

 ノノが踏み出すと階段がギシリと音を響かす。気をつけなければ板を踏み抜いて転げ落ちるかもしれない。


 最後ははしごだった。男は4階まであがる。その部屋は膝の高さくらいまでの壁しかなく、三角形の屋根の骨組みがむき出しになった屋根裏部屋だった。

 男は手にしたカンテラの灯を柱につけてある、ランプに移した。


「屋根裏部屋かぁ……。思ったより広い部屋ね」

「まあ、隅っこの方は使い物にならないからな」


 興味津々で激しく視線を動かしているリーセに男が答えた。


「でも、騎士なのにこんな安部屋にくらしているの?」

「いいんだよ。高い部屋を借りても、戦争が始まったらその部屋では暮らせないんだ。それに、騎士といっても俺は下っ端だぞ?」

「そうなの? いい年をしたおっさんじゃないの?」


 リーセの言葉を受けて男の体が硬直した。そして肩をふるふると震わせた。


「俺はおっさんじゃねぇ……」


 男は絞り出すような低い声で答えた。


「そうなの? 40歳くらいかと思った」

「俺は25歳だ!」


 叫んだあと、慌てたように口を塞ぎ、自分の唇の上に人差し指を立てた。


「おっと、暴れるのと大声は禁止だ。この前、仲間と騒いだせいで追い出されそうになっているんだ。頼んだぞ」


 そして顔をしかめて、頭を書く。


「まあ、その辺にある椅子に座ってくれ。汚い所だが、掃除はきっちりしている。牢獄の看守とは一緒にしないでくれよな。……まあ、お前たちから見たら奴と同じおっさんだろうけどな……」


 男は深くため息をついてがっくりと肩を落とした。


「それで、俺はやっぱり老けて見えるのか?」

「んー……、おっさん、……いえ、お兄さんは、顔は老けて見えるけど、不細工ではない。どちらかと言うと渋い感じがする。気にすることないんじゃない?」

「ああ、自己紹介が遅れたな。ラメールだ」


 ラメールが差し出す手をリーセが握り返そうとしたとき、ノノがリーセの腕をつかんで止めた。


「ノノ、どうしたの? って、え? すごく青くなっているけど、熱でもあるんじゃ……」


 階段を上るときから青ざめているように見えていたが、もはや白くなっていた。

 リーセにとってもそうだが、ノノにとっても昨夜からの一連の出来事は異常なものだった。絶えず緊張していたことは想像に難くない。その疲労がピークに達したのだろう。

 先ほどから静かだったのはこのためかもしれない。

 しかし、そうしたリーセの心配をよそに、ノノはくるりとラメールの方へと向き直った。


「ラメール様、ノノは覚悟ができていますっ」

「ん……、何の覚悟だ?」

「殿方がこんなところに女性を連れ込んですることといったら一つです。でも、リーセ様、リーセ様の貞操だけは勘弁してください!」


 ノノが頭を下げた。そして、リーセとラメールが顔を見合わせる。


「こんなところと言うが、ここは俺の部屋だ! おまえらみたいなガキンチョを連れ込んで、相手にするつもりなんかねぇ!」


 ラメールの叫び声が、建物中に響きわたった。

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