12.勇者を地に落とす戦い(中編)

 円形闘技場が静まると、リーセは錫杖を音を立てない様に静かに地面に置いた。


「どういうつもりだ?」


 ヴィルトの問いかけを無視して、ケープに手をかける。脱ごうとしたものの、どこを外せばよいのか分からない。仕方なく思い切って引っ張ると、布地が裂けるようなブチッという音が響き、それがするりと首元から滑り落ちた。

 驚きの声を上げそうになったが、かろうじて平静を装いながらケープを掴む。そして丁寧に折りたたむと、地面に置いた。


「おい……」


 ヴィルトが再び口を開くが、それも無視する。帽子を取って、それも折りたたんでケープの上に置いた。

 そして、法衣に取り掛かるが、脱ぎ方が分からない。

 裾を掴み上げ、頭から引っこ抜こうとしたが、生地は想像以上に固く、引き上げたところで腕が引っかかり、それ以上抜けなかった。戻そうとしても、今度はそれすらできなくなった。

 めくりあがった生地で視界が塞がれ、バランス感覚を失ったリーセはふらつき、倒れそうになるが、何とか踏ん張って堪えた。

 鰻の気持ちになって滑らかに体をくねらせれば、するりと抜けるかもしれない。いや、イメージは出来上がっているのでやれるはずだ。そう考えて、身体をくねらせてみたが、法衣はリーセを縛り上げるようにさらに締めつけてきた。


「……」


 進退が極まってしまったが、今は誰の手を借りることもできない。

 脱ぐしかない。彼女は最後の力を振り絞って服を引き上げた。


「ふんぬっ!」


 またもや、布地が裂けるビリっという音が聞こえた。そして法衣は頭から抜けた。

 同時に安堵のため息が漏れる。そして、それも丁寧に畳み、ケープの上に置いた。



 リーセは、袖のないシャツと短パンのようなパンツだけの姿になった。

 法衣と似て、滑らかで白く光沢感のある素材だ。そこから、ほっそりとした腕と足が伸びている。わずかなふくらみがあるのは胸とお尻だけだ。服の素材に負けず、白く透明感のあるつややかな肌が太陽の光を受けて反射していた。

 教主なのに痩せているのは、たいしたものを食べさせてもらえなかったのだろうか。しかし健康そのものである肌の艶を考えると、彼女の体を気遣う料理人がいたのかもしれない。

 この見方によっては貧相と言える体は、これからすることを考えると都合がよかった。

 布地に手を当てると滑らかな感触が伝わった。

 肌の感触も伝わる。これが最後の布切れなのだ。

 リーセは自分のためらいを隠すように何度も衣装をなでる。この体は借り物だ。転移しているだけで、本当の自分の身体は別の場所にある。

 本当に続けていいのだろうか。本物のリーセなら、別の事を思いつくのだろうか。彼女の身体に宿った者としてはこの方法しか思いつかなかった。

 元老院の男が観客を黙らせているが、それも限界が近いのか、少しずつ喧騒が戻り始めていた。

 急がなければならない。


「本物のリーセちゃん、ごめんなさい」


 リーセは誰にも聞かれない様に小さな声で呟いた。

 シャツとパンツを脱いで、これまで脱いできた衣装の上に重ねた。

 そして、ヴィルトに向き直る。彼は今、どんな表情でリーセを見ているのだろうか。もはやどうでもよかった。

 ただ、地面を見つめ両膝をつく。そして腰を下ろしてお尻を踵につけた。

 両手を前につき、ふかぶかと頭を下げる。


「リーセは、ルセロ教団は、信者を騙し悪いことをしていました。ごめんなさいっ」


 声を張り上げた。


「でも、本当に知らなかったんです。お母さんが死んだあと、枢機卿の人たちは優しくしてくれたんです。彼らが信者を騙して財産を巻き上げているなんて知らなかったんです。そして、勇者様が来ると聞いてみんな逃げてしまったんです」


 ヴィルトからの反応はない。

 観衆がざわついているが、大きな声を上げることはなかった。ほとんどの者がリーセの話を聞こうとしていた。


「でも、彼らもまた教団のためを思ってしたことなのです。悪いのは私なんです。許してくださいっ」

「……」

「勇者様、人々を苦しめた私を処刑したいのはわかります。こんな事を言うのは卑怯なのかもしれません。でも、私はまだ生きたいのです。亡くなったお母さんの分も、生きて、この世界で暮らしたいのです」


 リーセは自分の衣装をヴィルトの方へ押し出した。


「私が身に着けていたもの、そして教会に残っている財産もすべてお返しします。どうか許してください」


 額を地面に押し付ける。


「貴様っ……、よくも、ぬけぬけと」


 ヴィルトが低く唸るような声を上げた。肩に背負った剣を抜いた。

 太陽の光を受け、刀身がまばゆく反射する。

 しかし、その剣がリーセに振り下ろされることはなかった。

 彼の隣にいた山塊のような大男がヴィルトの腕を掴みその動きを止めていた。


「勇者様のお怒りはもっともです。私は教主として何の責任も果たしてこなかったのですから。勇者様、観衆の皆様が私を許さないというのなら、私はこうしていますので、この場でお斬りください」


 ヴィルトは苛立ちを隠しきれず、舌打ちをした。

 彼はざわめく観衆を見渡す。しかし、誰一人として、勇者の前に蹲って命乞いをする少女の背に「処刑せよ」と叫ぶ者はいない。観衆の目にはそれがあまりにも痛々しい見世物として映っていることは明らかだった。そして、アリーナを包んでいた熱気とすり替わるように、重苦しい空気へと変化していった。

 そして、さきほどまで観客を制止して、場を仕切ろうとしていた元老院たちは次々と闘技場から姿を消していく。

 ただ、元老院の下の観覧席にいた世界教団の一人が、周囲に気づかれぬように喉元に手刀を当てて密かに合図を送っていた。

 それを見たヴィルトは、彼を制止しようとしていた大男の戦士の腕を振り払う。そして剣を握りしめて構えなおした。

 刃をリーセに向けるも、やがてため息をつき、剣先を地面へと落とした。

 それを見た大男が勇者の前に進みでる。


「もういい。去れ」


 大男の低く力のない声が響いた。しかし、リーセは頭を上げることをしなかった。


「二つだけお願いがあります」

「なんだ? 言ってみろ」

「一つは被害者の方への弁済です。教会には財産が残っています。しかしそれを管理していた枢機卿団はいません。私一人ではどうすることもできないのです。その返済は公正な判断力があり、皆様から信頼の厚い勇者様にお願いしたいのです」

「……もう一つは?」

「ここにある錫杖ですが、元は祖母のものであり、母が受け継ぎ、今は私の手にあります。いわばこれは形見なのです。これだけは持ち帰ることをお許しください」


 大男は黙ったまま、ヴィルトに視線を送った。しかし、ヴィルトは何も答えず、リーセの背中を睨み続けている。


「いいだろう。お前の願いを聞き入れた」


 ヴィルトの代わりに大男が答える。


「ありがとうございます」


 リーセは錫杖をそっと胸元に抱え、肌を隠すようにして立ち上がった。

 そして一礼をすると、向きを変えてノノがいる回廊へと歩き始める。


「まて」


 その背に大男が声をかけた。リーセは驚いたように足を止め、その場で振り返った。


「お前の衣装など、はした金にもならない。持っていけ」


 その言葉に頷いてリーセは服を拾い上げ、裸体を隠すように抱きしめた。


 リーセの頬を涙がつたう。

 それは、許しを与えてくれた観客や勇者への感謝ではなく、もちろん、枢機卿団の専横を許し教団の信仰を歪めた事への後悔でもなかった。それは、本来のリーセが感じるべきことだ。彼女の身体に転移した者としては何の関係もないことだった。

 なのに、何故観衆の前で裸になり、羞恥をさらして許しを請わなければならないのか。リーセの身体は自分のものではないのだから、なんでもないことだと思っていた。

 しかし、それは違った。今のリーセは自分だった。結末は自らが描いたシナリオ通りとなったとはいえ、耐え難いほど恥ずかしく、屈辱的だった。

 リーセは堪えきれず、涙を溢れさせた。もともとウソ泣きをするつもりだった。しかし、その必要はなかった。声を張り上げて泣いた。誰にもはばかることなく大声で泣いた。

 そしてノノの待つ回廊へと歩き始めた。


 その時、静まり返っていた観衆から割れるような大声が沸き上がった。

 それは激しい非難の声だった。再び石やゴミ屑が投げ込まれた。それはリーセに向けられたものではなく、勇者一行に向けられたものだった。

 立ち尽くしてリーセの背を見送るだけの勇者一行に罵倒の声、非難の声が浴びせられた。

 観衆の怒声と罵倒をくぐり抜け、ノノが待つ回廊へと歩いた。

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