9.冷え切った夜には、従者の温もりを

 ガチャン。

 錠前が回転する音が室内に響きわたった。


「どっ、どうしてっ!」


 リーセは扉の窓にはめ込まれた鉄格子を掴んで、去っていく看守に叫んだ。扉をどんどんと叩いたが戻ってくる様子はない。

 ツヴィーリヒトとのやり取りを思い出して、靴を脱ぎ、鉄格子を叩いた。カーンカーンと高い音が響く。鉄格子を叩きながら、胸の内に溢れる哀しみを訴えたが、看守が戻ってくる様子はなかった。

 リーセは思わず、靴を床に投げつけた。すぐに、ツヴィーリヒトが彼女の足にはかせてくれたことを思い出し、靴を拾い上げて抱きしめた。瞳にたまる液体のために視界がゆがんだ。

 転送石を使って街の外にあるオベリスクの前に移動したあと、リーセは錫杖を取り上げられてすぐに捕縛され、この牢へと連行された。

 塔のような建物の中である。漆喰のない剥き出しの岩肌。高い位置に小さな採光用の窓があるが、そこにも鉄格子がはめられていた。そこから冷たい風が入り込んでいる。それはリーセの身体の芯までしみ込んでいくようだった。

 その寒さを防ぐための防寒具はぼろきれのような布一枚しかない。黒く汚れているように見え、それで自分の身体を包む気にはなれなかった。

 リーセは壁を背にして腰を下ろす。壁は硬く、そこからも冷気がにじみ出てくるようだった。肩に手を当て自分の身体を抱きしめる。


 壁にもたれながら、リーセはこれまでの出来事を辿り始めた。

 このリーセの身体に転移してきたときは、暖かな灯り、暖かそうなベッドが用意されていた。

 そしてリーセを教主だと教えた枢機卿のベルナールが襲い掛かってきた。難を逃れたリーセは教会の中を彷徨ったあと、吸血鬼のツヴィーリヒトに出会う。彼は自らのことをリーセの一族に仕える眷属だといった。

 彼からリーセの教団は世界教団から分派したルセロ教団だと教えられる。そして、教祖であるリーセの祖母の教えを歪め、信者から財産を吸い上げていたのが、ベルナールたち十二卿と呼ばれる枢機卿団だ。彼らはリーセの母親を殺害し、リーセを傀儡とし実権を握り、教会を我が物とした。

 しかし、勇者一行が教会の悪行を聞きつけて攻めてきていることを知り、霧散するように逃げ去ってしまった。

 残されたリーセは教会に訪れた勇者ヴィルトに責任を問われることになる。

 リーセにとってはどうでもいい事だった。しかし、高圧的に振舞うヴィルトの態度、そしてリーセに仕えてきたというノノを乱暴に扱い怪我をさせたことを見て、だんだんと腹が立ってきた。

 そして、勇者一行に決闘を申し込み、その結果が投獄である。

 弁明や裁定の機会を与えられることはなかった。勇者が世界教団とギルドからの依頼を受け、悪と断じた時点でリーセは悪であり、ルセロ教団は邪教なのである。

 これらの出来事が一夜も経たないうちに起った。そしてその夜は終わることもなく、リーセの身体を凍えさせていく。


「リーセ様、リーセ様っ」


 月明りも届けてくれない小さな窓を見上げていると、扉から声が聞こえた。

 リーセが立ち上がって駆け寄ると、おさげの娘が覗いていた。


「ノノ!」

「リーセ様!」


 二人は鉄格子の隙間から手を伸ばし絡め合う。彼女の暖かさがその指先から伝わってきた。


「ノノはきちんとしたお部屋だった?」

「はい。ですが、リーセ様を置き去りにすることはできません。今夜はこの扉の前で眠ることにします!」


 ノノは握りこぶしをつくると勇ましくキリリと眉を釣り上げて見せた。それを見たリーセの表情も和らぐ。


「そんなこと言わないで、部屋に戻って眠って」

「そんなことではありませんよ。リーセ様」


 ノノはハンカチを取り出して格子の隙間から手を伸ばそうとしたが、リーセの顔までは届かなかった。

 彼女の行為でリーセは自分が泣いていたことを思い出した。頬を赤らめてハンカチを受け取ると、自分の涙を拭いとった。

 さらにノノは白い布に包まれたパンを取り出した。それにはソーセージが挟まれていた。


「リーセ様、これを」


 パンを差し出すノノとリーセのお腹が同時に鳴った。

 二人は自分のお腹に視線を送り手で押さえる。そして、ノノが照れるのを隠すように微笑んだ。

 ノノが自分の食事をリーセに渡そうとしているのは明らかだった。


「それは、ノノ、あなたに与えられたものだから、あなたが食べて」

「それなら、半分ずつにしましょう」


 リーセは首を振る。


「いいの。これが勇者のすることだから。私はそれを受け入れる。だから、ノノが食べて」

「でも……」ノノはわずかに口角を下げた「わかりました。部屋に戻ってから食べます」

「ダメ、ここで食べて。私はノノが食べるところを見ていたい」


 パンを部屋に持ち帰っても、リーセのことを考えて食べないような気がした。だから、ここで食べるように言った。


「……わかりました。では、頂きますね」


 ノノが小さな口でパクリとパンにかみついた。ソーセージをはさんだだけの質素な食事だ。だが、空腹は最高のスパイスだった。彼女が食べる様子を見ているだけで、リーセの口の中に唾液がたまっていく。その唾液を飲み込むとこくんと思った以上に音が響いたような気がした。そう言えばこの世界に来てから水を一口含んだだけである。


「リーセ様、これを」


 革袋を渡された。リーセはそれがなんなのか分からずに振ってみるとじゃぶじゃぶと音がしたので、水だと気づいた。詰め物の栓を抜き、口に含むと革のような不快なえぐみが口の中に広がった。不味いと思ったが、やはり空腹は最高のスパイスだった。止めることができず、喉を鳴らしながらごくごくと飲んだ。


「ぷあーっ」

「すみません。本当はグラスに入れてご用意したかったのですが、こぼしそうで……」


 水の味には文句はあるが、ノノの好意には文句を言うつもりはない。リーセは革袋の栓を戻すとノノに渡そうとした。


「いえ、それはリーセ様が持っておいてください。夜は寒いですが、日が昇ると暑くなるそうなので」


 この牢屋を作った者は罪人への心遣いに決して手を抜かない職人気質を持った人物のようだ。


「それで、勇者は私をいつまでここに閉じ込めておくつもりなのか、ノノは知っている?」

「明日の正午に決闘が行われるようです。その時までは……」


 ノノが小さく目を伏せた。


「ノノが気に病む必要はない。悪いのは全部勇者だから」


 リーセの言葉に、ノノは瞬き一つせずに目を伏せたままパンを握りしめた。


「あの……、リーセ様……」

「何?」

「リーセ様は、勇者様に、その……、わざと討たれるつもりじゃ……」

「どうして?」

「だって、いつものリーセ様じゃないんです。頭を打って記憶をなくしたのはお聞きしました。でも、いつものリーセ様は、なんというか、反抗的……いえ、甘えっこで常に誰かを側に置こうとします。それに、冷淡……ではなくて冷静と言いますか、いえ、今日のリーセ様はどこか温かいのです」

「そうだったの……」


 ノノが必死でリーセのことを悪く言わないでおこうと言葉を探している。元のリーセはあまり褒められた性格ではなかったようだ。相変わらずパンを握りしめているノノを見て苦笑いを浮かべた。


「私、枢機卿の方々がリーセ様に隠れて悪いことをしていたのを知っています。リーセ様はなにも悪い事なんかしていないのも知っています。勇者様が言っていることだってリーセ様が悪い訳ではありません」

「ノノ、それは違う。私は教主だから、信者の行動に責任がある」

「わかりません……、でも、それで、リーセ様はその責任を取って、勇者様に討たれようとしているのですか?」


 ノノが視線を上げ、リーセを見つめた。純粋で曇りのないものだった。リーセの小さな仕草一つすら見逃すまいとしているようだった。


「ノノ。私は反抗的で冷酷な娘なのでしょう? そもそも私は勇者に断罪されるような償うべき罪なんて背負っていない。信者でもないくせに教会にずけずけと上がり込んで来てお布施も払わない。そしてノノを突き飛ばした。その代償を払ってもらうだけ」

「……何かお考えがあるのですね?」

「考えというか……、とにかく、明日、私は教会に帰るつもりだからノノはその準備をしておいて」

「リーセ様……」

「分かったら、そのパンをきちんと食べて、宿できちんと眠るの。わかった?」

「はい」


 リーセが微笑むと、ノノは小さく頷いた。



 ノノが帰っていったあと、リーセは再び背を壁に預けて座り込んだ。

 目を閉じて背中をずるずると横へ滑らせて、ごろんと寝転がる。

 相変わらず冷たい夜だった。ノノがパンを食べる仕草を思い出す。心だけは温かく眠れそうだった。

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