6.神の代理人と、民衆の代弁者

「それで、よろしいのでしょうか?」

「へ、何のこと?」


 ツヴィーリヒトや、他の信者のいるところへ戻ろうとしていた。これから勇者一行が来た時の対策を考えなくてはならない。リーセには何のアイデアもないけれど、数十人の信者がいる。

 このような巨大な教会に、たった六人で乗り込んでくる勇者一行。それを知って逃げ出す枢機卿たち。勇者一行の戦闘力や能力は全く分からないが、戦いになれば勝ち目はないのだろう。話し合いで解決しなければならない。何としてでも帰っていただかなければならない。

 数十人の信者がいるのなら、勇者一行の6人を知恵で上回ることができるはずだ。

 正直にいって教会の事など知ったことではないが、今もまた親子三代が並ぶ絵画を見ている。

 険しい眼差し、優しい眼差し、そして緊張した眼差し。

 彼女たちの居場所であったこの場所を守らなくてはならないような気がした。心の中にそうした誓いを立てた時、彼女の背中にノノが声をかけた。


「その……、申し上げにくいのですが、勇者一行はもう来られています」

「え……」


 頭の中が真っ白になった。

 何だろう、どうしてこうも落ち着かないのだろう。

 異世界に転移してから、それほどの時間も経っていないはずだ。

 すでに、十分に濃密な時間を過ごしてきた。夢ならばとっくに覚めてもいいはずだ。せめて熱いコーヒーか紅茶を飲んで一息つきたい。そして、熱いお風呂に入って、あのふかふかの暖かそうなベッドに飛び込みたい。

 ぐっすりと眠れば、なんてことはない平和な朝を迎えることができそうな気がした。


「それで、誰が来られたって?」

「はい、勇者一行です」


 何かの聞き間違いかと思い、時間をおいて聞き直してみたが結果は変わらなかった。

 リーセは大声をあげて、ルセロ神とやらに向かって叫びたくなったがかろうじて堪える。


「そう……、分かった。それで彼らは一体どこに?」

「はい、扉を開けて聖堂の中へ入って来ようとされていたので、今はリーセ様も、枢機卿さまがたもいらっしゃらないからといって出て行っていただきました」


 まじまじとノノの顔を見る。彼女はのほほんとしているが本当はものすごく有能ではないだろうか。

 彼女に勇者一行の対応を任せておけば、彼らは一生中に入って来ないのではないだろうか。


「それで、彼らは帰っていったの?」

「いえ、待たせてもらうと、扉の外側にいます」


 聖堂のフロアの構造を鳥に例えると、尻尾の位置に当たる部分にひと際巨大な両開きの扉がある。金属製で、鋳物なのか彫刻なのかわからないが、やはりいくつもの誰なのかよくわからない人物が並んでこちらを見つめている。少し風変りに感じるのは、中央に星が十字型に輝いているように見える紋章が刻まれ金箔で彩られていることだ。そして反対側となる鳥の頭の内陣ないじんとなる部分の壁は巨大なステンドグラスがはめ込まれており、それは複雑な幾何学模様で彩られているが、やはり中央には同じ星形の印があった。この十字型に輝く星がルセロ教団のシンボルなのだろう。

 扉へと視線を戻すが、その扉こそが教会と外界を隔てる障壁なのだ。

 その反対側には勇者が立っている。

 一体どんな人物なのか興味がわいてきた。


「では、勇者一行に入ってきてもらいましょう」


 リーセの言葉に、ノノが瞬きをして、彼女を見つめた。


「なにかおかしなことを言った?」

「いいえ。でも、こういったことは全てベルナール様や他の枢機卿様がされて、リーセ様が自ら何かをされることはありませんでした」


 それを聞いてリーセは心の中で頷く。やはり実権は枢機卿団が握っていたのだ。ものをいう教主だったリーセの母親を殺して、ものをいわない幼いリーセを教主に据えたのだ。そして、彼らの行った成果が、今夜の勇者の訪問だ。彼らの雇い主は搾取を受けた民衆か、それともルセロ教団を異端視する世界教団か。


「……まあ、そうだったんでしょうね。でも今はベルナールも他の枢機卿たちもいないから」

「そうでした。では私は勇者ご一行を迎えにいってまいります」


 リーセが頷くと、ノノは早足に扉の方へと向かっていく。その背中を見つめながら、もっとゆっくりでもいいのにと思う。

 この期に及んで神は助けにくる気配はない。

 振り返ると、燃え上がる篝火の奥には聳え立つような男の像が立っていた。白い石膏で作られた像である。この聖堂に入る扉に彫られていた男と同じだ。厳めしい顔で見下ろしていた。その男は人差し指を立てて天を差している。その像の背後にあるステンドグラスの星を差しているようにも見える。月明り挿し込む今でも幻想的に見えるが、日の光差す昼間なら、もっと荘厳に彩ったことだろう。

 リーセが像を眺めていることに何かを感じたのか、信者たちが像に向かって膝をつき、腕を組んで祈りを始めた。

 まさに、神が顕現してその神威を見せる最大の機会だ。

 しばらく待っていたが、やはり石像は石像だ。口元を歪めるリーセの隣に黒い影が並んだ。


「ノノに勇者一行を迎えに行ってもらった」

「我々に勝ち目はない。彼らと相対すれば逃げることも不可能だ」


 まさか今の状況に自嘲しているのだろうか、ツヴィーリヒトが笑みをこぼす。


「そもそも、『勇者』ってなんなの?」

「十年前は、魔王を倒す存在と言われてきたが……、今も変わっていないだろうな」


 勇者の気配を探ったように、魔王の気配も探ったのだろうか。しかし、ツヴィーリヒトは先ほどの勇者一行の気配を探った時のようなしぐさは見せなかった。


「魔王なんて存在がこの世界にいるの? 神はいないというのに……」

「いる」


 ツヴィーリヒトはすました顔で答える。ルセロ教団は魔王を倒すための行きがけの駄賃として潰されようとしているのだろうか。


「魔王のような遠くの存在より、今は勇者一行だ。どう対応するつもりだ?」

「今逃げたとしても、どうせ逃げ切れない。戦うつもりはない。教会の財産で方がつくのならそれで許してもらいたい」

「どうだろうな。凄まじい殺気だ」

「私に何かがあったときは、ここにいるみんなをお願いしたい」

「それは不可能だ。リーセの身に何かが起れば、私の命も尽きる」


 驚いてツヴィーリヒトを見上げようとしたとき、背中に冷気があたった。

 振り返ると、聖堂の扉が開け放たれており、ノノと6人の人影が見えた。



 異形の者たちだと考えていたが、彼らは普通の人間に見えた。

 しかし、ツヴィーリヒトの息を飲む音が聞こえた。吸血鬼の男がそうするくらいの連中なのだ。

 彼らの歩行に合わせてマントがなびく。甲冑を着た男が二人。ビキニ姿の女が一人。女とは思えない隆々とした筋肉だ。この三人は大剣を担いでいた。そして灰色の服に身を包んだ軽装の男が一人。広いふちを持つ帽子をかぶる、黒いローブの女が一人。最後にリーセに似た僧服をまとった女が一人。

 全員20代だろうか、若く見えた。

 堂々とした足取りで、まっすぐこちらへと向かってくる。

 先ほどまで神像に祈りを捧げていた信者たちは、今は祈りの手を止めて勇者一行を眺めている。彼らの登場になにをすればいいのか分からず、戸惑っている様子だ。

 甲冑を着た二人組の一人、ほっそりとした体躯の男──といっても、もう一人の山塊のような戦士と比べればという意味で、精悍な顔立ちからは、百戦錬磨の戦士を想像させる──が、彼らを代表する様にリーセの前に迫った。

 その進行を妨げるように、ノノが彼の前に割って入る。


「リーセ様、彼らが、その勇者一行──、キャッ!」


 彼女が紹介を終える前に、男が腕を振るってノノを払いのけた。

 ノノは床に叩きつけられるように倒れ、近くにいた信者が彼女を助け起こそうと近寄った。

 一方の男は、燃え上がるような蒼い髪、そしてぎらつく蒼い瞳でリーセをにらみつけた。


「お前が、ルセロ教の教主リーセだな?」


 リーセは彼の言葉を無視して視線をノノに落とした。


「ツヴィーリヒト、ノノをお願い」


 その言葉が届いていないのか、ツヴィーリヒトの動く気配はなかった。リーセが振り返ると、彼は正気をただすように視線だけ寄こしてきた。彼女が頷くと、彼は少しだけ肩をすくめてノノに向かって歩き始める。

 それを見た勇者一行の者たちは先頭の蒼髪の男を除き、重心を下げ、獲物に手をかける仕草をみせた。その動きを制するように蒼髪の男が腕を後方に向けてわずかに上げると、全員の動きが静止する。

 彼らはこの聖堂の中でツヴィーリヒトの戦闘能力が、特段に高いことを見抜いているのだ。もちろんリーセにはその感覚が全くなかった。それは、他の信徒たちも同じである。勇者一行が武器を取ろうとしたことに怯え、信徒たちは皆、恐怖に身をこごめ、彼らに立ち向かおうとする者は一人もいなかった。

 そのような状況で、ツヴィーリヒトは周囲の反応を無視するようにノノの傍らに蹲(うずくま)る。そして、棺のあった部屋でリーセにしたように、ノノに手をかざす。リーセはその背中を眺めた。


「ここに居る者たちに怪我をさせたくない」

「今更だな。それは偽善か?」


 視線を先頭の蒼髪へと戻した。ツヴィーリヒトのような均整の取れた美を備えた顔立ちではない。野性味を感じさせる容貌だが、彼もまた美青年の部類に入るであろう。なによりも、蒼い髪と瞳が、彼の内面から沸き上がる激情を映し出し、その生きざまを物語っているように見えた。リーセにもわかった。間違いなく、彼こそが勇者だ。

 しかし、彼から向けられたのは射抜くような鋭い眼差しだった。それが悲しかった。

 彼女は勇気を絞り出すように、錫杖を握りしめた。

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