5.教主に神と呼ばれていた娘

 聖堂内は壁や柱などの各所にそなえられたランプによって照らし出されていた。

 薄暗い回廊を歩いてきたリーセにとって、聖堂の中は光にあふれた別世界のようだった。

 中央には祭壇のように盛り上がった台座があり、その上に組まれた木の櫓を炎が焦がしていた。その炎のせいなのか、この広大な空間は温かく感じられた。

 見上げると首が痛くなりそうな天井。そこはやはり青の塗料で塗りつぶされて、その上に星や様々な人物が描かれていた。何の情報も持たないリーセにはわかりようがなかったが、先ほどツヴィーリヒトが語っていた神にまつわる物語の描写であることは予想できた。

 地上からは何本もの円柱が規則正しくそびえ立ち、上部ではアーチ型を成して、他の柱と繋がっていた。その円柱の間には、何体もの大理石の石像が飾られていた。

 その奥にはランセット窓が並び、その上にはステンドグラスとなった丸窓があった。


「この聖堂は十字型になっている。星の輝きを意味しているようだが、翼を広げた鳥の姿を想像するといい。私たちが入ったところは翼廊ようくろうと呼ばれる鳥で言う翼の部分だ。篝火がたかれている中央交差部、そこの天上がドーム型をしている。その左側が、鳥の頭の部分、祭壇だ。その反対側に身廊があり、外部へ通じる扉となっている」


 広い構内だった。視界に映る翼の部分だけでも全速力で走ると途中で息が切れるかもしれない。

 しかし、ツヴィーリヒトは、ここからでは見えない頭の部分から尾に当たる部分の方が長いという。

 勇者一行はまだこの場所には入ってきていないのだろうか。そう考え改めて周囲を見渡すと、壁に掲げられた絵画が目に入った。

 等間隔に並んだそれは、一枚目が幼い子供の姿、二枚目が夫人の姿、そして最後の一枚が老婆の姿。

 三枚の絵の人物はどことなく、リーセに似た面影があった。硬く結んだ握りこぶしを膝の上に置き、目を見張って正面をにらみつけている。緊張しているその姿は間違いなく、幼いリーセの姿であった。だとすると、真ん中の優しい眼差しを投げかけているのが彼女の母親だろうか。そして、厳しい眼差しをしているのが祖母だ。

 絵画を眺めながら、口を結び、錫杖をぎゅっと握りしめる。

 今、枢機卿団長のベルナールが目の前に現れたら、今度は本気で殴りつけてやるのに。

 そう思っていると、ツヴィーリヒトが彼女の肩を叩くように抱いた。


「鳥の胴の部分、身廊しんろうの方へ行ってみよう」

「ん……」


 リーセはもう一度、絵画を見つめたあと、身廊に向かって歩き始めた。



 身廊の部分には、教会のように長椅子が何列も並べられていた。そこには老若男女の人々がいた。数十人はいるだろうか。しかし、この聖堂の大きさから言えば少なく寂しい人数のように思えた。リーセやベルナールのように黒い法衣を着たものが数名いるだろうか。他は一般の信徒だろう。どこか野暮ったい衣装にみえたが、それがこの世界の一般人の服装なのかもしれない。


「リーセ様っ!」


 メイド服を着た娘が立ち上がった。一斉に他の者達の視線もリーセに注がれた。それを受けたリーセはひるんだように後退あとずさったが、彼女を見た信徒たちも同様におびえたような眼差しを返してきた。


「不貞の輩がこの教会に押しかけて来て心配をしていたのです。私はいつもと同じようにリーセ様にお仕えすると申し上げたのですが、ベルナール様はみんなをここに集めて待機するようにと言われていたので……」


 娘はパタパタと駆け足で彼女のもとへ近づいてきたが、となりに立つツヴィーリヒトの姿をみて、瞳を見開いて歩調を緩め、やがて立ち止まった。


「ま、まさか、ツヴィーリヒト、様……なのですか……」


 娘の声は少し震えていた。

 リーセもまた、無言のツヴィーリヒトに視線を送る。それで、改めて信徒たちを見渡すと、彼らの怯えた眼差しは彼に向けられたものだった。


「あなた、怯えられているけど?」


 リーセがツヴィーリヒトに話しかけようとすると、娘がリーセの手を取って彼女を抱き寄せた。


「リーセ様。何をおっしゃっているのです。彼はリーセ様のお母様を……、先代様を殺したのですよ!」

「な、なんですって! ツヴィーリヒトっ、あなた、私を騙したのっ」


 そう言っている間にも娘はぐいぐいと引っ張ってツヴィーリヒトからリーセを引きはがそうとした。そして長椅子に腰を下ろしていた信徒たちも、立ち上がり、彼女を守るように娘の周りに集まってきた。この場に残っている者たちは、純粋な信徒たちなのだろう。


「おい、私の言葉より、たった今、会った小娘の言葉を信じるのか?」

「あなただって、たった今、会ったばかりでしょ?」

「そうです! 私とリーセ様はずっと一緒です。誰があなたの言葉を信じますかって……、ん? 『あなただって』?」


 娘はツヴィーリヒトに畳みかけようとした動きを止め、首をかしげてリーセに視線を送る。

 リーセはどのような反応を返せばいいのかわからず、見つめ返す。茶色の髪は頭のうしろのうなじの上で三つ編みに結ばれている。少し垂れ目気味だろうか、ぱっちりとした目も茶色がかっている。年齢は20歳前後だろうか。もう少し若いのかもしれない。

 抱きしめられた部分が温かくて柔らかい。特に胸の部分が柔らかい。ずっとこうしていたい。そう考えていたが、娘のほうは違うようだった。

 ぱっと、抱きしめていた腕をほどき、リーセの肩に載せた。


「リーセ様……?」


 つぶらな眼差しが注がれる。


「ごめんなさい。実はあなたの事も存じ上げておりません」

「リーセ様ぁ!」


 ぶんぶんと肩をゆすられ、頭ががくがくと揺さぶられた。


「ツヴィーリヒト様、いえ、あの男になにか、酷いことをされたのですねっ!」

「いえ、何かをしようと襲ってきたのはベルナールの方でっ」


 揺さぶられ続けているので、舌を噛みそうになりうまく話すことができない。

 娘は寸劇のような態度で迫って来るが、彼女を囲む者達は違った。ツヴィーリヒトに怯えていたが、今では険しい眼差しを向けていた。

 一方のツヴィーリヒトは、特に動じる様子もなくリーセと娘のやり取りを眺めていた。いや、どちらかと言えば薄ら笑いを浮かべているようにも見える。彼はこの状況を楽しんでいるのだ。

 この聖堂に勇者一行の姿はないようだが、これ以上、騒ぎを広めるのはよくない。そろそろ納めなくてはならないと考えた。


「リーセ様、このノンナコチャの名前を忘れるなんて、あるわけがないですよね。ね?」

「あはは……、このリーセがノンナコチャの名前を忘れるわけがないでしょう!」


 リーセの言葉に娘の目が見開かれた。


「そ、そんなっ。リーセ様は私のことを愛情を込めて『ノノ』と呼びます。まさか本当にっ」


 リーセは、ノンナコチャ、いや、ノノを改めて見つめた。ツヴィーリヒトは「あちゃー」とでもいうように手のひらで顔を隠し、指先で額を抑えた。しかし、相変わらず口元が緩んでいる。絶対にこの状況を楽しんでいるのだ。

 こんな状況だからかもしれないが、ノノは彼女の主であるはずのリーセに狡猾な罠を仕掛けてきた。そんなことを知る由もないリーセはまんまと罠にはまり、混乱を広めてしまった。

 リーセは彼女の肩を掴み返した。


「ちょっと時間をください! ツヴィーリヒトも信徒の皆さんも、少しだけ時間をください。ノノもこっちに来てっ」


 リーセは声を張り上げて、ノノの身体を裏返すと、その背中を押して、先ほどリーセたちが入ってきた翼廊へと連れて行った。そして、彼女以外の視線がないことを確認し、おもむろに大きくため息をついて、小声でノノに話しかけた。


「ノノ、聞いて。勇者が攻めてきているの。そして、十二卿? 枢機卿たちはみんな逃げていったの。そして、私は頭を打って記憶がないの。ツヴィーリヒトはそんな私を助けてくれて、ここまで連れて来てくれた。だから今は敵ではないの」


 一気にまくしたてた。リーセの身体に転移してきた全くの別人であることは、解決できない余計な混乱を増やすだけなので、一次的に記憶を失っていることにする。全く別の人間であることは大問題だが、今は大した違いはないはずだ。よくよく考えれば、元の世界とこの世界の言葉は違う。それにも関わらず言葉を話すことができるのは、リーセの記憶があるからだ。いつの日か彼女が体験してきたこともわかるようになる日が来るかもしれない。

 ノノは目を白黒させた後、錫杖の水晶のヒビを見て息を飲んだ。


「リーセ様……、御労しいです。水晶に血の跡がついています。お怪我は大丈夫なのでしょうか?」

「え? あはは……。ツヴィーリヒトが治してくれたから、今は大丈夫かな?」


 乾いた笑い声しか出なかった。その血はリーセが殴りつけたベルナールのものだった。だが、都合よく誤解してくれたので、黙っておくことにした。


「あのね、ノノ。今は勇者が攻めて来ているし、枢機卿たちもいなくなってしまって、教団のみんなも不安になっていると思うの。だから、これ以上、彼らの不安を増やしたくないから、記憶がないことは黙っておきたいの。私にはノノの記憶がない。でも私の中の何かが、ノノは大丈夫、ノノを頼ればいいと言っているの」


 少し芝居がかった口調で、ノノにおねだりをしてみる。彼女はぽかんと口を開いてリーセを見ていたが、すぐに晴れやかな笑顔になって、リーセの手を取った。


「リーセ様っ、承知致しました! このノノ、リーセ様の為に粉骨砕身働かせていただきます。少しでも早く記憶が取り戻せるように協力させていただきますし、記憶がないことを皆さんにわからないようにお手伝いさせていただきます!」


 ぶんぶんと手を振られる。まるで友達のような振る舞いに彼女との関係を疑ってしまうが、これで、ひとまずはリーセの足りない部分は彼女が埋めてくれる。十年以上前の出来事に関しては、ツヴィーリヒトが補ってくれるだろう。

 リーセはホッと息をついた。

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