4.母娘三代は其の教えに異を唱えた

「教会の入り口まで案内してほしい」

「逃げるのなら、裏口のほうがいい。お前のいた部屋にも外へ出る秘密の抜け穴がある」


 ツヴィーリヒトの返答にリーセは首を振った。

 それよりも、外部への抜け道と聞いて、逆に外部からあの部屋へ入ってくることができるという事に、寒気がした。

 枢機卿団長のベルナールは、その抜け道を使うためにリーセの部屋を訪れ、行きがけの駄賃として彼女を襲おうとしたという可能性に思い至る。ならば、一層のことその抜け道は塞いでおかなくてはならないと考えた。

 先ほどまでのツヴィーリヒトとの会話で大体の状況は整理ができたような気がした。

 当面の問題は勇者一行が攻めてきているという事だ。なんとしてでも帰っていただかなければならない。

 これまでの話を聞いて、この部屋でツヴィーリヒトと会話を続けていても、無駄に時間を過ごすだけのような気がした。無駄というのは言い過ぎかもしれないが、今は後回しでいい。

 枢機卿のベルナールは、信者が残っているといった。彼らの存在も気になった。もし、この教会に残って勇者一行と戦おうというのなら、神はいないと教え無駄な争いは避けなくてはならない。

 信じていたものが嘘であるというのは嫌な話だが、死ぬよりはましだろう。



 回廊をツヴィーリヒトと肩を並べて歩く。

 といっても彼の肩の位置は随分と高い。

 少しでも見栄えがいいように、少し踵を浮かして歩く。そうすると、三歩も歩かないうちに彼が立ち止まった。


「少し待っていろ」


 ツヴィーリヒトはリーセのいた部屋へ入っていくと、しばらくもしないうちに戻ってきた。

 彼の手には一足の靴が握られていた。


「ベルナールはいた?」

「いや、鏡面が砕けた姿見と、血まみれの床はみかけたが……」


 そういいながら、ツヴィーリヒトはリーセの前にかがみこむ。慌てて自分で履くと言おうとしたが、それよりも早く、彼は彼女の足を取った。


「よろけそうなら、私の肩を持つといい」


 そう言いながら、靴を足に合わせる。リーセは彼の肩に手をおいた。華奢きゃしゃな感触を予想していたが、予想以上に筋肉質な硬い感触に驚く。きゅっと強く握ってみたが、彼はなにも言わなかった。


「ツヴィーリヒトは、私がリーセでないことをどう思っているの?」

「死なれては困る。追い出す方法があれば、さっさと出て行ってもらう」


 彼の肩から伝わるわずかな熱の量と同じで、その言葉を冷たく感じて、なぜか寂しく思えた。


「しかし、これも何かの縁なのだろうな」


 靴を履き終えて再び歩き始める。

 この教会は、住居区と礼拝堂がそれぞれ独立した建物になっているようだ。勇者一行は礼拝堂の方へと向かったようなので、リーセたちもそちらへと向かっている。

 どれほどの財が使われたのだろうか。この豪華な内装を誇る建物の外観は一体どのようになっているのだろうか。想像もつかない。

 住居区だけでも壮大で、大理石の長い回廊が続いている。薄暗く人影がないせいで、静寂がやけに肌にまとわりつく。ケープを羽織っているとはいえ、冷気が忍び寄ってくるようだ。身震いをすると、ツヴィーリヒトが自分の外套を脱ぎ、リーセの肩にかけた。彼女にとっては長すぎたため、裾をずるずると引きずる形になる。

 外套を返そうと肩に手をかける。


「気にするな。汚れても構わない」

「でも……」


 返事を返そうとしたときに、外套を踏みつけてしまい頭から床に突っ込んだ。

 リーセの体が、ツヴィーリヒトの差し出された腕によって抱きとめられ、床への衝突を免れた。ゆっくりと元の位置に戻される。

 特別なことではない。少し逞しいだけの筋肉質な男の腕だ。おかしいのはリーセの身体だ。彼に触れている部分が熱を持っている。そして、彼女を包む外套からもまた熱を受け、思考をじんわりと鈍らせていく。


「やっぱり、いい」

「そうか」


 リーセは外套を脱いで、ツヴィーリヒトへ押し返した。

 彼は外套を着こんだあと、腰にカンテラをぶら下げていたことを思い出し、それに火をつけた。温かみのある灯りが周囲を照らし、二人の背後に長い影を作った。


「この教団は、一体どういう集団なの?」

「世界教団を知っているな?」


 聞いたこともない名称だった。リーセは首をふった。


「この世界の起源を紡ぎだした者だ。いつの日かこの世界に降臨し、すべての民を救済し統べる。そして、その者を神として崇めるのが世界教団だ」

「その人物を実際に見た者は?」

「それは数えきれないほど。この教会にもその姿を描いたフレスコ画がある」

「それは本当の話?」


 ツヴィーリヒトの答え方があまりにも軽く感じた。眉をひそめて問いを返すと、彼は微かに口角を釣り上げた。


「さあな。少なくとも私は会ったことがない。これからも会う事はないだろう。だがこの世界のほとんどの住民はその存在を信じようとしている」


 要するに唯一の神を信じ、その神による救済を待つという宗教集団だ。その信仰はこの世界に広く伝わっている。

 だが、その神の存在は明らかではなく、少なくともツヴィーリヒトはその存在を信じていない。


「そして、もう一つ、ホモ・ルミナスの説明を覚えているな?」


 リーセは頷いた。この世界の人間には魔法が使えない多数派のホモ・サピエンスと、魔法が使える少数のホモ・ルミナスとう二つの種が存在している。


「魔法というより魔力というべきか、魔力を持つ種と、持たない種がいるのは人間だけには限らない。全ての生物がそうだ。世界教団は魔力をもつ存在を魔族、あるいは魔物と呼んだ。そして神の救済がないのは魔物がそれを阻害しているからだとしている」

「10年前の情報だよね?」

「そうだ、しかし多くは変わっていないだろう」

「……なるほど。世界教団の事はわかった。それで、ルセロ神だっけ、私の教団が祭っているのは? その世界教団と何か関係があるの?」


 ルセロ神がホモ・ルミナスなどの魔力を持つ種の救済をしようとしているという事だろうか。


「世界教団の崇める神と、ルセロ神は同じ神だ」

「え?」

「リーセの祖母は、神は魔族も同様に救済すると考えた。そして、神は遠い場所からではなく、身近なところ、例えるなら夜空にある星の様に近い所から見ていると。そして救済は自らの意思で、自らの手で始めなければならないと言った。隣人に手を差し伸べること。それは大きな事ではなく、小さな手助けだと」


 星に例えるとはまた遠い所に神はいるものだと、リーセの感覚では思えた。それで、彼女の部屋の天井画を思い浮かべた。やはりあれは星空なのだ。そして低い位置、対象になる位置に描かれていた、ひと際大きな星の事も思い出した。あれこそが神の照らす光なのだろうか。


「それで、ルセロ神を崇めるからルセロ教でいいのかな? 隣人の手助けにしては財を集めすぎているような……」


 二人は階段を降る。鈍く輝く金属製の手摺の先には、黄金色のフクロウのような姿をした彫像が飾られていた。大きく見開かれた瞳には奇妙だがどこか目を惹きつける愛嬌があり、思わずその頭を撫でる。


「その彫像は、お前の祖母も母親にも好かれている。彼女たちも通りがかるたびにそうやって頭をなでていた」


 何気ない仕草を目ざとく見られていたことに、リーセは恥ずかしさを覚える。


「と、とにかく。その考えが広まってこんな大きな教会ができたのね」

「いや、お前の祖母が始めたことは、とても質素でささやかなものだった。しかし、彼女が死んだのち、枢機卿たちが、教団へ多額の喜捨する者に免罪符を与え始め、信者たちから財を巻き上げた。そして、まもなくこの教会が建てられた。お前の母親は枢機卿たちと長く対立を続けたが、やがて殺され、お前が教主となった」

「それが10年前なのね?」


 ツヴィーリヒトが顎を下げた。


「……それって……」


 邪教じゃないのかと言いかけて口をつぐんだ。いや、始まりは違ったのだ。何があったのかはわからないが途中で捻じ曲げられてしまったのだ。勇者一行が攻めてくるほどに。

 正さなくてはならないと思ったが、なにを正せばいいのかわからなかった。ルセロという存在が嘘なのだ。嘘と言うのは言い過ぎかもしれないが、少なくともツヴィーリヒトは信じておらず、教団がこのような状況になっているのにも関わらず、神は姿を現すこともなければ、何かの御徴みしるしを残すような事もない。強いていうなら勇者一行をこの教会に向かわせたことが神罰といえようか。


「この奥は教会の聖堂だ」

「聖堂? 礼拝堂ではないの?」

「似たようなものだが、ささやかなものではない。大聖堂と呼ぶべき大きさだ」


 二人は大きな扉の前に来ていた。ツヴィーリヒトの倍はある大きさで、一面に荘厳な彫刻が施されている。その中に厳めしい面構えで二人を見下ろす彫像があった。あれがルセロ神だろうか。

 気がつくと、ツヴィーリヒトもまたリーセを見下ろしていた。威圧感はない。彼女の確認を待っているようすだ。

 頷き返すと、彼は扉に手をかけた。

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