月明りのもと、聖剣に手を伸ばす

 どこまでも長く続いている。そこは大理石で造られた回廊だった。

 幅広く天井も高い。部屋の窓との同じようなアーチ構造の天上となっていた。

 アーチ部分から所々に張り出した小窓があり、月の灯りだろうか、そこから冷たく青白く照らす光が差し込んでいる。ひんやりとした空気がリーセを刺し、彼女は身震いをした。

 実際には先ほどの出来事が原因で、身体は小刻みに震え続けている。

 どこに向かって進めばいいのかわからず、左右を確認する。どちらを見渡しても変化がないように思えた。彼女が出てきた扉と変わらない扉が、ホテルの客室フロアの廊下のように幾つも続いていた。

 ふと、どんどんと繰り返し何かを叩いている音が聞こえる。先ほどの男かと思ったが、それは遠くから聞こえた。

 正直に言えば、誰とも会わずに一秒でも早く、この奇妙な古めかしい建物から逃げ出したかった。しかし、誰かと会って話を聞かなければ、自分の置かれた状況を把握することはできない。

 男が言っていた、勇者一行のことを思い出す。彼らなら話を聞いてくれるかもしれない。しかし、何が目的かはわからないが攻めてきている以上、教主であるリーセを討とうとしている可能性がある。今はまだ会うべきではないと思った。

 彼女は音のする方へと歩き始める。


「痛いっ」


 足の裏に鋭い痛みが走った。男が割ったガラスを踏んでしまったのだろう。素足だったことを忘れていた。足の裏をさすり、刺さった異物を抜き捨てる。それが窓から差し込む光に反射して、小さくきらめいた。

 こんな小さな身体になって何をしているのだろう。目をこすり、少し顔を浮かして鼻をすすった。



 ドンドンと音が響く扉の前に立っていた。

 全て同じかと思っていた扉は、どの扉にも違いがあることに気がついた。リーセがいた部屋の扉は金の縁取りや細かい彫刻が掘り込まれ見事なものであったが、この扉は、シンプルな木の板を鉄の枠組みで補強してあり、倉庫を連想させた。

 耳を当てずとも物音は中から聞こえていることがわかる。騒音の主はリーセが近づいてきていることがわかっているのか、今は小さな音を出している。

 こちらは裸足で大理石の上を歩いているのだ。足音が部屋の中まで聞こえるはずがない。

 不気味だったので、立ち去ろうと数歩進むと、騒音が激しくなった。


「……」


 こちらの気配が伝わっているのは間違いなかった。

 ならば、どうして自分から出てこないのだろう。

 彼女は扉の前まで戻り、開くふりをして、立ち去る。

 そうすると、ドンドンドンとけたたましく叩かれていた音が、カーン、カーンというどこか哀愁のある音に変化した。木の板から金属へ切り替えたのだろうか。

 リーセの口元が緩んでいた。張り詰められていた緊張の糸が少し緩められた気がした。



 少しだけ扉を開く。

 覗いてみたが暗く何も見えなかった。埃とカビの匂いが漂ってくる。人の気配はない。

 内側から扉を叩いていたわけではないようだ。

 リーセがさらに扉を開く。廊下に差し込んでいた月明りが部屋の中まで差し込んだ。

 奥の壁にある窓には重厚感のあるカーテンにより窓が塞がれていた。全体的には彼女のいた部屋の半分ぐらいの大きさだろうか。中央に石の台座があり、さらにその上には棺のような箱が置かれていた。

 埃をかぶって白く見える。

 軽くとんとんと叩く音が聞こえる。騒音の主は棺の中にいるのだ。不気味で、悪趣味だとしか思えなかった。入り口のところでぼうっと立っていると、またとんとんと音が聞こえた。


「何をしているの? どうして出てこないの?」


 おそるおそる、リーセが声をかけた。

 トントン。と音が響く。棺の蓋の埃が舞う。

 閉じ込められて出られなくなったのだろうか。それともただの悪戯いたずらか。


「開けて欲しいの?」


 トントン。と音が響く。


 リーセが部屋の中へ足を踏み入れる。ザラリと埃を踏みしめる感触がつたわる。

 彼女が足を引くと、小さな足跡ができていた。

 その瞬間、言い知れぬ恐怖がこみあげてきた。

 部屋の入り口から棺のあるところまで足跡一つなく、埃が積もっている。棺の上にもだ。

 騒音の主はどのようにして侵入したのだろう。いや、一体いつから棺の中にいたというのか。

 躊躇っていると、再びトントンと音が響いた。

 彼女は数歩後退あとずさる。そして部屋の扉を締めようとしたとき、棺の扉がトントントントンと鳴らされた。聞こえてくる音は変わらない。しかし、どこか悲哀が漂うリズムだった。やはり、異様な感性を持った者に違いない。

 このまま、扉を閉めて、この建物を徘徊することを想像する。行くべき場所がわからない。リーセを教主と呼んだ男の発言からこの建物は宗教施設なのだと想像がつく。彼は自らを枢機卿だと言っていた。そして十二卿と呼ばれる枢機卿たちは勇者が攻めてくると聞いて逃げていったという。枢機卿たちが逃げた今、信徒たちも混乱しているに違いない。

 全く状況がわからない彼女では余計な混乱をもたらすだけである。

 リーセは口元を引き締めて、部屋の中へと入っていった。



 部屋に入ると、勝手に扉が閉まるという、趣味の悪いトラップもなかった。

 扉から差し込む淡く青白い光が、彼女に遮られ長い影を作り、その先端がちょうど棺の中央に差し掛かった。

 棺の蓋には剣が刺さっていた。わずかな刀身を残し、深く、棺の奥へと沈んでいた。柄の先端や、クロスガードの部分は装飾され宝石が散りばめられていた。明るい場所であれば、燦然と輝いて見えていたはずだ。

 リーセはため息をつく。この剣が刺さっているから、騒音の主は出られないというのだろうか。それだと、陳腐なマジックショーだ。中で体位を変えれば、いくらでもこの剣から逃れることができそうだ。

 騒音の主からの反応は消え、辺りは静まり返った。さらに近づいてもその息遣いも聞こえなかった。そういえば、この棺は隙間なく密閉されているように見える。酸欠にならないのだろうか。

 彼女は錫杖を台座に立てかけ、剣の柄に手をかける。

 力を込めて引き抜こうとしたが剣はピクリとも動かなかった。

 リーセは一旦手を離して、両手に息を吹きかける。そして次は両手で握りしめた。


「ぬをををををっ!」


 大きく息を吸い込んで、力いっぱいに剣を引き抜く。

 動き始めた気がした。柄を揺さぶると微かにだが動く。1センチほど抜けただろうか。そこで力尽きた。


「ぷはーっ!」


 柄から手を離し、両膝に当てて荒く息を吐きだした。


「私は英雄ではなかった……。これは無理だ。諦める」


 リーセは姿勢を正すと、反転し扉へと歩き始める。

 どんどんどんどんと激しく音が鳴らされて、彼女は立ち止まる。


「頑張っても疲れるだけ。誰か人を呼んでくる」

 どんどんどんどん!

「だって……、もしかして、中から抜けない様に押えていない?」

 とんとんとん……。

「やっぱり諦める!」

 どんどんどんどん!

「……」


 リーセはため気をついたあと、引き返して再び柄に手をかけた。

 足を開き、腰を鎮める。少女らしさの欠片もないポーズになった。そして大きく息を吸い込んで、肺を空気で満たす。


「ぬおおおりゃあああああっっっっ!」


 奇声を上げて剣を抜こうとしたが、やはり剣は動かない。


「ふんぬぬぬぬぬぬっ!」


 頭に血が上り、目の前がくらくらとする。こめかみに浮かぶ血管が今にも破裂しそうだ。

 さらに引き抜く手に力を込めると、僅かに剣が動いた。

 彼女を励ますように、ドンドンドンと騒音の主が音を鳴らす。


「ぐぎぎぎっ、きええええ────っ!」


 また、少しだけ剣が抜けた。その動きを止めないように最後の力を振り絞って柄を引き上げると、剣が一気に動き出した。そして棺から抜けた。

 リーセは剣を握ったまま、勢い余って後方へと転がって頭を打ち付けた。床に積もっていた埃が舞い上がり、部屋を白く染める。

 そして、その空気を吸い込んで激しくむせた。

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