邪神を祀る教団の教主に転生した ー美少女になってイケメンの吸血鬼、マッチョの人狼と一緒に再建だ!ー

波留 六

邪教の教主vs勇者一行

1.神の代理人が暮らすところ

 少女は頭に手をのせた。

 そこにあった布切れを手に取って眺める。ふちのない、白く滑らかな絹製の帽子。それは、光沢を帯びて柔らかく輝いてみえた。

 もちろんそんな帽子を被っていた記憶はない。そして白いケープを羽織っていることに気づき、さらに驚く。その下に着ているものも、やはり白い法衣カソックだった。一体、いつの間にこのような衣装を着たのだろうか。そう思ってじっと法衣を見ると、帽子と同じく滑らかで光沢のある絹製の生地には、白い糸で複雑な刺繍が施されている事に気づく。これは、なんの模様だろうと考えながらふと視線を上げる。

 周囲を見渡す。全く覚えのない、真白な漆喰の部屋だ。

 見上げると、天井は深い夜空のように蒼く染められ、その中に無数の金色の点が散りばめられている。それらはまるで遠い星々の瞬きに見えた。その中にひと際、大きな輝きを持つ星が壁との境界近くに対照的に配置されていた。

 視線を戻す。落ち着いた雰囲気の木の机に椅子。机には寄せ木細工で見事な薔薇が一面に描かれている。その上にはアルコールランプと銀製の水差し、そして切子ガラスのグラスが置かれている。

 少女はグラスを手に取り、じっと中を覗き込む。透明な液体で満たされていた。おそるおそる、少しだけ口に含むと、ひやりとした感触が広がった。


「冷たい」


 それはただの水だった。特に変わったところはない。

 だが、それよりも自分の声が妙に高く聞こえたことに、彼女は違和感を覚える。思わず咳払いをする。


「んんっ」

 自分のものとは思えない、可愛らしい声が漏れた。


 壁際には象嵌細工の施された家具や置物。中央には大きなサイズのふかふかのベッド。白いシーツがかけられており、飛び込めば最高の包み心地で迎え入れてくれるだろう。ベッドの四隅にある柱は天幕へと繋がっている。緋色の布の幕が垂れ下がり、その先には金色の房飾りが垂れていた。

 部屋を全体的に落ち着いた雰囲気へと調和させているのは、机の上や壁に備えつけられたランプの炎がほんのりと赤く照らしているせいだろうか。

 一面の壁には教会でみかけるような細長い長方形で上辺が円形で尖っている──ランセット窓が並んでいたが、外から差し込んでくる光はなく、今は夜のようだった。

 この部屋は、個人が使うものとしては広すぎないだろうか。

 部屋の中には少女のほかは誰もいない。全く見知らぬ世界に投げ出されたようだ。

 彼女は椅子から立ち上がる。随分と視界が低く感じる。

 さらに周囲を見渡して、銀の細工で縁取られた姿見が置かれていることに気づき、ひたひたと歩み寄った。

 素足だった。足裏に伝わる大理石の感触が妙に冷たく感じる。

 そして、鏡に映る自分の姿を見て、ぽかんと口を開いた。


「なっ、なんじゃこりゃあ!」


 大きな声で叫んでいた。

 姿見の中からこちらを覗いている少女は、ピンク色の髪の毛。それが頭の左右でそれぞれまとめられ、長く垂れ下がっている。

 ぱっちりとした瞳にも、ピンク色の差し色が混ざっていた。ランプの明かりにほんのりと艶やかに反射している頬と、小さな鼻の先。その下にはピンク色の薄い唇に小さな顎。左右に顔を振って見る。耳は普通だった。それよりも、シミ一つない美しい肌だ。

 一歩下がって顔全体を鏡に収める。小さな顔に絶妙なバランスで各パーツが収まっている。間違いなく美少女だ。さらにもう一歩下がって全身を収めてみる。痩せ気味のように見える。胸のボリュームも、お尻のボリュームも女性としては全く足りていない。年齢は13~15歳くらいだろうか。それならば、これからすくすくと成長するはずだ。

 くるりと回ると、髪が重力を忘れたようにふくらみをもって流れ、背中にふわりと舞い降りた。妖精かなにか、幻想生物の一種だろうか。あまりにも愛らしい。

 自分は今、この少女になっているようだ。夢にしてはリアルすぎる。頬をなでると、指先には想像した通りの滑らかできめが細かい肌の感触が伝わってくる。同時に、頬に少し冷えた指先の感触が伝わった。

 それにしても、この白い法衣のような衣装はなんなのだろうか。

 これは普段着だろうか。夜だから寝具だろうか。どちらにしても豪華すぎないだろうか。

 ふと、姿見の横に、身丈ほどの高さのある杖が立てかけられていることに気がついた。

 その木製の錫杖にも、衣装の刺繍と同じように細やかな彫刻が施されている。その先端には、手で包んでもおさまりきらないような大きさの水晶がはめこまれていた。

 その水晶を眺めていると、その中へ自分が引きずり込まれていくような奇妙な感覚に捉われる。

 この杖が、自分の精神をこの少女の中に引き込んだのだろうか。

 彼女が手を伸ばそうとしたときに背後の扉が開く音がした。



 入ってきたのは、やはりふちのない帽子に法衣を着た男だった。

 少女と違うのは、赤い法衣の色だった。

 男は姿見の前に立つ少女を見止みとめると、恭しく一礼をしたあと近寄ってくる。


「リーセ様、まもなくこの教会に勇者一行が攻めてまいります」


 彼のいうリーセとは自分の名前だろうか。この男は何者だろうか。そして、勇者が攻めてくるとは何事だろうか。しかも、男はこの場所を教会と言った。

 尋ねたいことが多すぎて、何から問いかければいいのかよくわからない。


十二卿じゅうにけい──私以外の枢機卿すうきけいたちはすでに逃げ出しています。私とあなたと、一部の信徒しか残っておりません」


 男が言った。また訳の分からない情報が追加される。ケーキバイキングで取りすぎて残されているケーキの山だった。もう食べきれないと脳が弱音をはいている。

 それにしても、こんな男が、頭を下げて敬語を使って話しかけてくる。そして、自分の事を枢機卿と言っていた。それよりも上位の者と言えば、どういった存在だろうか。


「リーセ様?」


 棒立ちでピクリとも動かない少女の反応が気になったのか、男もまた戸惑ったように、少女の顔の位置まで頭を下げて覗き込むようにして視線をあげる。

 くぼんだ眼窩の奥から放たれるぎらついた眼差し。

 そのぎらついた視線に息を呑む。背筋をのけぞらし、一歩後退あとずさりをしそうになるが、不快に思う気持ちを隠すためにかろうじてこらえる。

 とりあえず、自分の名前はリーセでいいようだ。そして、何かを言わなければ男はさらに迫ってくるだろう。


「それで、あなたの60歳のお祝いはどうするのですか?」

「……冗談を言う余裕があるとは思えませんが、私はとっくに60を超えております。」


 男は一瞬も笑わなかった。別に笑いを取りたかったわけではない。少しでも愛嬌のある笑い方をしてくれたなら、今の自分の状況をこの男に相談することもできたのにと考える。

 そして、男の姿を改めて眺める。背は猫背のようにまるまり、その顔には深いしわが刻まれている。しかし、その年齢不相応なランプの明かりも跳ね返すその脂ぎった肌が示す意味は何なのだろう。男が一歩踏み出すのと歩調を合わせるようにリーセは一歩、後退あとずさる。


「そ、そうだったかしら? でもそんな立派な赤い服を着ているから……」

「あなたが、教主である白い法衣を着ているように、我々は赤い法衣をまといます」


 彼が両手を広げた。赤いケープの裾が炎の揺らめきのように広がる。

 リーセは教主らしい。つまり、最上位の者だということだ。その上には神しかいない。

 つまり、彼女と男の関係は、何かの宗教集団の教主と枢機卿という関係だ。リーセに割り当てられた部屋も衣装も豪華なものだ。相当な信者と財力を持った教団に違いない。

 60歳を赤い衣装で祝うというしきたりもない。リーセは自分の常識の枠外にいる。


「そうでしたわね。それで、勇者を迎えるのに他の枢機卿がいないとは……」


 会話を終わらせて下がらせたい。しかし、会話を引き延ばして少しでも自分の置かれている状況を知っておく必要がある。背筋をつたう冷たいものは実際の汗ではない。


「彼らは怖気づいて逃げ出してしまったのですよ」

「しかし、あなたが残ったということは?」

「私にだって、勇者を退ける力などありません」

「では、あなたはどうしてここに残ったのですか?」


 リーセを連れて逃げるためだろうか。この男と逃げるくらいなら、攻めてきた勇者のところへ行った方がいいような気がした。それにしても他の枢機卿は何故、彼女を置いて逃げてしまったのだろうか。そもそも、勇者はどうして攻めてくるのだろうか。

 さらに神は何をしているのだろうか。どうして神聖な教会に攻め込んでくる勇者に神罰を下さないのだろうか。


「それは、これまでの私の働きの報奨を頂くため」


 気持ち悪く、口角を歪めて男が笑った。

 リーセの感じていた恐怖心は臨界を超えた。


「あなたの身体を最後の報奨としていただきます!」


 男が叫び声をあげてリーセへと迫り、彼女を捉えようと腕を伸ばす。

 腰の力が抜け背中から倒れそうになり、咄嗟に姿見を掴む。それを男に向かって押しつけようとするが、鏡はあまりにも重く微動だにしなかった。


「ひっ!」


 思わず鏡の後ろに隠れると、男は鏡面に頭から突っ込んだ。

 激しくガラスが割れる音が響き渡り、頭から血を流す男が、鬼の形相にかわりリーセを睨みつける。


「貴様ッ! 私がお前の親代わりとなって育ててきたことを忘れたかっ、大人しくしろ!」


 男の叫び声を受け、錫杖に手を伸ばした。躊躇っている時間はなかった。目をきつく閉じてその錫杖を振り回す。

 骨を打つ感触が手に伝わる。生々しい感触に思わず手を放しそうになるが、意を決して、さらに振りかぶって殴りつけた。


めろっ、めてくれ!」


 男は自分の頭を押さえてかばおうとするが、その上から何度も殴りつけた。

 恐怖の感情に捉われ、夢中だった。ただ、相手の反応を伺う事もなく錫杖を振り下ろし続けた。

 男が膝立ちになり、やがて、頭を抱えたまま蹲った。

 それを見たリーセは我に返る。荒い呼吸で肩が上下に揺れていた。

 頭には赤い帽子はなく、禿げ上がった頭を自らの血で染めていた。これまでは襲い掛かってくる男に戦慄していたが、今は自分のしてしまったことに戦慄する。

 しかし、彼もまた肩を揺らして呼吸をしている。死んではいない。少しだけホッとする。


「ご、ごめんなさいっ!」


 泣きそうになりながらも声を絞り出す。この場所に居続けることは、もうできなかった。

 うめき声を上げる男を残し、リーセは扉の外へと走り出した。

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