8. 真実
「ホァの本当のお父さんもね、もうこの世にはいないんだ」
帰り道を夫と並んで歩きながら、ユエは語った。
「
男女が幸せな結婚をし子を成したが、産まれたのは三匹の猿だった。母親は子を抱えて吠え声をあげ、慄く産婆や夫を押しのけて密林へ消えて行ったという話。
とある老人は人から慕われていたが、独り身で一生を終えた。荼毘に付したところ、その頭骨は猿のものだった。そして、老人が若い頃に取った奇行が思い出される話。
「
「じゃあ、あの父親は偽物じゃないですか!」
「……偽物だけど、本物として生きて死ぬ。それが芝居なのか心まで成り代わっているのか、わたしにもわからないんだ。わたしは……あのお父さんを本物と扱った。少なくとも猿は、芝居を全うしてくれたから」
退治しなくていいのか、と夫が問う。野放しにして子供ができたら、その子供はいずれ人を襲うじゃないかと。
「しない。それに、あの村の人の何人かは、もう猿だと思う。奇行を取る間、お父さんが一度家を空けたって聞いたでしょ? たぶん……自分の家族か、群れの仲間を呼んだんだと思う」
だったらなおさら、と困惑する夫の腕にユエは手を添えた。
「
ユエはあの村に手を出すつもりはない。誰かの家族や友人に疑いをかけ、それを奪うことを、進んでやりたくはない。
「わたしの目的は、きみに取り憑いた幽霊を
沈黙がおちた。しばらくして「ねえユエさん」とクォンは言った。
「もし、私がその
夫の黒い瞳を見つめて、ユエは答えた。
「猿でもなんでも、わたしは愛してる」
きみが、人でもモノの怪でも、どちらでもいいって言ってくれたみたいに。
その時、背後の茂みに物音がした。
振り返った夫妻は、ひとりの少女が茂みから出てくるのを見た。
黄色の
「なあ、
「ホァ!?」
クォンが叫び、ユエは夫を制する。――お前か! と沸き上がる怒りを堪えて、ユエは言った。
「わたしがその化け猫だよ。きみの村のモノの怪を退治した帰りなんだ。だから、おうちに帰りな。お父さんが待ってるよ」
このまま立ち去れ。そして芝居を全うしてくれ。これは自分勝手で矛盾した憤りなのだから。――ホァを殺したのは、お前か。
しかし、猿はホァの姿で、
「お前、見た」
すっと身体が冷えた。
「ガノイで見た。お前、犬に喰われたのに生き返った。強い娘、あの娘」
「よせ! 帰って父親と過ごせ!」
警告を発するが、猿の声はやまない。
「お前の中のあの娘よこせ。あの娘の皮よこせ。お前の中身よこせ。お前の皮もよこせ。お前のかぶった猫の皮、よこせぇ!」
「クォン! 離れて!」
叫んで、夫から素早く距離を取る。合わせるようにホァの猿が駆けた。その姿から想像もできない身のこなしで、脛を狙って噛みにくる。
足を引いて避ける。素早く後ろに飛び退り、平笠を外して投げて牽制する。
「たらない、たらない、この皮ではたらない」
猿が額を指でつかんだ。
「見ないでクォン!」
皮が裂ける。
ぐぐ、とユエの喉から呻きが漏れた。お前、ホァを捨てたな!
(ユエ、いけるぞ!)
「んやぁぁあああ!!」
密林に猫の咆哮。猫の魔法「
首から上を真珠色の毛が覆い、口が裂け、牙が覗く。頭頂に三角の耳がピンと立つ。
化け猫ユエが、金と琥珀の瞳を怒りに
「芝居を全うできない、半端者の
地を蹴り、矢のように真っ直ぐ跳んだ。
猿が横跳びに避け手を伸ばしてくる。強い力で左腕をつかまれ、引き寄せられる。
(猫は!)
腕の長い猿は、強みを活かしてまず掴んでくる。二人の勘はそれを読む。
「すり抜ける!」
左腕をすぽんと抜いた。右手は猿の脇腹に触れていた。
「猫の爪は」
猫の魔法「引き裂く指」。指でなぞった所が、魔法の強さに応じて深く裂ける。
猿が飛び退く。もう遅い。魔法は発動している。触れられている状態で動けば、それは指がなぜるのと同じ事だ。
「――鋭い」
空中で、どす黒い血を撒き散らしながら、赫毛の猿が上下に別れた。
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