4. 子供
翌日。クォンが酒を納品し、ユエが
荷台の上、ホァが首を傾げてクォンを見上げる。
「もんちゃん? この馬っこの名前か?」
「そうですよ。ほら、
「
ホァが目を丸くして、荷台から身を乗り出し、手を伸ばしたのをクォンがつかまえた。
「ほらほら、落っこっちゃいますよ」
「
「だめだよ、ホァ」
ユエが振り返ってたしなめる。手は
不服そうな山笠の少女に向かって「脅かすと危ないから、触っちゃだめ」と付け加えた。
ベェヘーヒェ! と甲高く鳴いたモンチャンに、ホァの方が驚いて荷台に尻餅をついた。
生者として扱っているからか、今日はずいぶんと活動的で機嫌がいい。しかしホァは幽霊だ。触れた生き物から生気を吸ってしまう。影響は小さいが、
(それにしても、かなりはっきりとした幽霊だな)
「そうだね。多分――時間がほとんど経ってないんだ」
死んでからの、とは口にしなかったが
「ユエさん、疲れたら代わりますからね」
「うん。よろしく」
荷台の夫に微笑みかけた。物理的な意味でも、生気の吸収を受けないという意味でも、ホァに問題なく触れるのは、ホァに憑りつかれていて、かつお
どうせなら予備を作っておけばよかったな、とユエは思った。
午後の陽は相変わらず暑い。ホァはしばらく大人しくしていたが、荷台の上をうろちょろしたり、ユエの荷物に興味をしめして止められたり、車輪の様子をのぞき込んだりした後で
「なあ、ユエ姉さんは人間なのか?」
そんなことを訊いてきた。
「どう思う?」
振り向くと夫がどこかおろおろとしていて、ユエはおかしみを感じる。前に同じ話をしたな、と思った。
荷台の前板に小さな手とあごを乗せて、ホァが難しい顔をしている。
「わかんねえ。でも、毛の色も肌の色もこの世のもんとは思えねし、目ぇなんか片っぽが猫みてえに
「そうだよ」
「ほしたら、姉さんもモノの怪だったりするんか?」
(おやおや)
「だったら、夜中にきみを食べちゃうかもね」
歯を剥き出し、手で鉤爪を作ってやったらホァが固まってしまった。
「嘘だよ。食べたりなんかしないよ」
ほーっ、と息を吐く様子を見届けて前を向き、しまったなぁ、と思った。
(情を移さぬ方が良いのだろう?)
「そうだね。そうなんだけどさ」
昨晩の自分の台詞をリールーに言われてしまう。
食べたりなんかは、しない。けれど、この道行きが上手くいかなければ、猫の爪で切らねばならないのに変わりはない。
「なあ、誰としゃべっとるん?」
しかし、邪険に扱うには関わり過ぎた。ユエは覚悟したように短く小さく息を吹くと、「右目と」と答えた。
答えたのをいささか後悔した。
「しゃべるのか!? 猫の目しゃべるのか!?」
と始まり、聞きたい聞きたいとゴネられた。リールーの声はユエにしか届かないのだと説明しても、それなら耳を目にくっつける、試させろと言い出す始末だ。触れられて生気を吸われるのは嫌だ。それが
「だめ!」
しつこいので強めに言ったら静かにはなったが、しょんぼりされてしまって、ユエはどうしたらいいのか、今まで味わった事のない気持ちになる。
「ホァちゃんホァちゃん、ユエさんね、右目殿がとっても大事なんですよ。ホァちゃんも目を触られたらいやですよね?」
「いやだ。さわったら痛い。……ユエ姉さん、ごめんな」
「いいよ。わかってくれれば」
ホァがはにかむように笑って、ユエも驚くほど安堵した。顔が緩んでしまうのを感じた。同時に、腹をくくった。
クォンの道案内で歩みを進めていく。
ホァがうとうとし始めたあたりで、馬引きを交代した。
出発が遅かったから、到着は夜になる見込みと夫は言っていた。距離は大した事ないはずなのだが、子供連れだとひどく長く感じる。
クォンはホァの村へ行ったことがあるらしい。米もそうだが、良い米粉を作る村なのだそうだ。
「モノの怪退治と引き換えで、今年の粉の買い付けにひと噛みできればいいんですがね」
「それなんだけど、退治するモノの怪はいないと思う。たぶん何事もなく終わるよ」
「あれ? いろいろ準備されてたんで、私てっきりあるものかと」
「ごめん、ないはず。準備はいつもどおりにやっただけ」
(この辺り、見覚えがあるな)
「あれ、ほんとだ。クォン、ここってどの辺り?」
「どこ、というほどの所でも……。強いて言えば、ガノイの荘園が近いですかね」
「ガノイ!」
(ガノイか!)
「え、知ってるんですか? たしか、だいぶ前に人喰いのモノの怪で何人もやられたところですよ。あ! たしかユエさんに初めて会った年で……あれ、もしかして?」
「そう! そのモノの怪わたしが喰ったの。懐かしいな」
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