第47話

夢宮はさっそく次の日に部室に訪れた。眼の下には隈ができていた。徹夜でもしたのだろうか。


「す、すいません。お待たせしました。こ、これができれば私も自信がつくと思います」


「拝見させていただくわ」


冬歩が夢宮からA4用紙の束を受け取る。その量から夢宮の本気が見て取れる。そして、一枚目を捲ると、冬歩の手が止まり、顔が真っ赤になる。そして、それを見た夢宮も赤くなった。


「す、凄いわね。夢宮さん」


「あ、その、はい。情熱が止まらなくて……」


「そ、そう」


冬歩は一回、コホンと咳をすると、灰銀を見た。


「唯煌さん、ちょっと、紅茶を買ってきてもらっていいかしら?」


「ん?今?」


「ええ。お金は私が出すから唯煌さんの分も買ってきていいわ」


「ほいほ~い」


冬歩からお金をもらうと、灰銀は教室を軽い足取りで出ていった。


「俺も出て行った方がいいか?」


灰銀は気付いていなかったが、冬歩は灰銀を露骨にこの場から退場させた。他の人間には聞かせてはいけない内容なのかもしれない。


「瑪瑙はいていいわ。彼にも見せていいわよね?」


「は、はい!覚悟は決まってます!」


灰銀を外して、俺は見ていいのか。冬歩は時折顔を赤くしながら、夢宮からもらったプリントに目を通した。俺は冬歩が読み終わったものを最初から読んでいく。


どれどれ。


タイトルを読んで俺も固まった。


『真君と熱い夜を過ごすための凌辱プラン』


「━━━」


絶句。なんだこれ……?


とりあえず、ページを見ると、どのように金城を押し倒したいか、責めるときのシチュエーション、金城の反応等々……


確かに、これは灰銀に見せられない。というか見せたら、発狂する。冬歩の英断によって灰銀は救われただろう。


「わ、私。進条さんに言われて気付いたんです」


え?これ読まされた後に真面目な話が始まるの?


「私はいつも真君に任せっきりで依存しているってことに……けど、それじゃあダメです」


夢宮が今の自分を否定した。


「恋人は互いに対等であるべきなんです。いつまでも真君の背中で守ってもらってたら、付きあった意味がないじゃないですか」


夢宮はしっかり最後まで言い切った。そして、金城の隣にありたいという覚悟を見て取れた。


「よ、要約すると、彼氏さんをデートでリードしたいということでいいのかしら?」


冬歩がマイルドに夢宮の言葉をまとめた。流石だ。


「そ、それはそうなんですが。その、夏休み前の最後の休みにお家デートをするのですが、その、両親がいなくて……」


「そ、そう」


冬歩のフォローは無意味だった。


夢宮が頬を赤くしながら語る。灰銀が聞いたら卒倒しそうな内容だ。灰銀が金城のはじめて(おそらく)を奪いたいなら、この二週間でNTRを完遂させなければならない。


「私が『お姉さん』としてリードできれば、自信につながると思うんです」


「『お姉さん』?」


「はい。私、4月2日生まれなんです。真君が3月20日生まれなので、ちょびっとだけお姉さんなんです。ちんちくりんで、ダメダメなので全くそうは思われていないようですが……」


申し訳ないが俺もそう思ってしまった。


夢宮の話を聞きながら、俺はA4の束を捲っていた。その中に『言葉責めがしたい』、『強引に唇を奪いたい』、『いじめたい』『屈辱にまみれた顔にを歪めたい』という願望がびっしり書かれていていた。見た目に反して、潜在的には超絶ドSらしい。


俺の中で夢宮は引っ込み思案な大人しい子というイメージだったが、評価を下方修正しなければならないようだ。


ただ、本当に困った。


今回の悩み相談に関してはレベルが高すぎる。そもそも、俺も(おそらく)冬歩も夜の経験がない。


その証拠に冬歩が珍しく、俺に視線で助けるように頼んできたが、俺もフォローのしようがない。


「お困りの用だね」


「は、灰銀さん?」


声のしたほうを見ると、灰銀がドアに背を預けて、腕を組んでいた。そして、席に座ると、冬歩に紅茶を渡し、自分はコーヒーのブラックを持っていた。


俺は若干、心配になった。


一体、いつから聞いていたのかと。


「どこから」


「皆まで言うなよ、瑪瑙君。夢宮ちゃんが何をしたいかは分かってるぜ」


嘘……だろ?


俺は世界に絶望した。神様は灰銀に対して酷すぎる。


だが、灰銀からは絶望感を感じさせられなかった。いつもの調子で夢宮を見ると、スタイリッシュに指を差した。


「デートで金城君をリードしたいんだろ?『お姉さん』として」


「は、はい」


良かった。全部は聞かれていなかったようだ。灰銀の命はギリギリ明日に繋がれた。


そして、灰銀はコーヒーの蓋を開けて、ゴクゴクと飲む。


あれ?それブラックだぞ?


すると、夢宮が目を輝かせて灰銀を見た。


「コ、コーヒーブラックが飲めるなんて凄いです!」


「そう?これくらい普通だよ。ブラックを飲まないと調子が出ないんだよね~」


「カ、カッコいいです!」


また、見え透いた見栄を張って……結局一杯しか飲んでないじゃん。


夢宮が尊敬の眼差しで灰銀を見ているので、真実を伝えるのはやめておく。ああでもしないと、プライドが保てないのだろう。


「それで、唯煌さん。夢宮さんをどうにかできるのかしら?」


冬歩が訝し気に灰銀に訊ねる。


「うん。二週間あるんでしょ?それだけ時間があるなら蚊を龍に昇華できる自信があるよ」


「それはヤバすぎ」


それとナチュラルに夢宮を蚊にしたな。この女。


「どう、夢宮ちゃん。私で良ければ、立派な『お姉さん』にしてやるぜ?」


「だ、そうだけど……」


「お願いします!」


夢宮は地面に頭が着く勢いで灰銀に頭を下げた。冬歩もどうすればいいのか分かっていなかったっぽいし、灰銀に一任しようというのだろう。めっちゃ不安そうだけど。


「それじゃあ、明日から特訓だ。放課後にここ集合ね~」


「は、はい!それじゃあよろしくお願いします!」


「ほいほ~い」


夢宮は俺達に挨拶すると、さっさと教室から出て行った。意欲的になっているところで悪いが灰銀というところが不安になる。


「どういうつもりだ?」


「んにゅ?」


コテンと首を掲げた。不意打ちすぎる。今のはノーカンだ。


「夢宮さんのことだ。いいのか、敵を助けちゃって?」


灰銀が夢宮を打倒し、金城を寝取ろうとしているのは知っている。いわば怨敵だ。そんな怨敵を助けるだなんて正気じゃない。


「ノープロブレムだよ。瑪瑙君。夢宮ちゃんがいくら頑張ったって、ステータスで私に勝てるわけがないんだから」


「そうか……」


既に大きな勝負で負けてるがな。


「私にもメリットがあるしね」


「メリット?灰銀さんが傷つく未来しか見えないんだが」


「君は私の心を揺さぶる天才だね。言ったでしょ?私は精神的な平穏を手に入れたの。デートやキス程度でいちいち揺らぐほど、私は器の小さな人間じゃないの」


そうか。二週間後に二人は大人になっているのだが、それを聞いても大丈夫なのだろうか。


「それに夢宮ちゃんを学ぶことによって、金城君の好みを完全に把握できるんだよ。つまり、あの女は最大の敵に背を向けたも同然なのだよ」


「灰銀さんがいいなら、それでいいよ」


まぁ大方予想通りだ。それ以外に夢宮を助けてやろうという動機はないだろう。俺としては嫉妬に狂わないか心配だ。


「あ、瑪瑙君。これやるよ」


「なんでやねん」


俺に飲みかけのブラックコーヒーを差し出してきた。


「ブラック飲めないから代わりに飲んでよ。知ってるでしょ?」


「飲めないのになんでそんなもん買って来たんだよ……」


「夢宮ちゃんに舐められたら終わりじゃん!」


そういうところだぞ。金城を落とせないのは。


「とにかく飲んでおいてよ!勿体ないし!」


「俺も得意な方ではないんだが……」


灰銀に無理やり押し付けられて、缶を握らされる。そして、飲みかけの缶を飲もうとすると、こっちを見ている灰銀を変に意識してしまう。


ヒドインとはいえ、容姿は日本最高峰の女だ。意識するなという方が難しい。


「気持ち悪いわね……」


「意識しすぎwww小学生かよwww」


「うるさいな……」


冬歩はゴミを見る目で、灰銀は腹を抱えて下品に笑っている。


いつかこのヒドイン共は泣かす。


「はぁ……貸しなさい。私が代わりに飲むわ」


「あ、おい」


冬歩は俺からブラックを奪うと、慣れた手つきで一気飲みした。


「す、すげぇ!冬歩ちゃん、ブラックコーヒー飲めるの?」


「当たり前でしょう?作家にとって、ブラックは心のオアシスよ。これがあれば寝る必要がないもの」


「お、おお」


「それはそれでどうなんだ……」


灰銀は感心しているが、俺は小説家の闇が垣間見えて、若干悲しくなった。今度差し入れしよ。


ガラ


「ん?」


不意にドアが開く音がして振り返った。


「おい~す。進条はいるか?」


ドアが開かれて、聞き慣れた声が教室に響く。深井先生だった。

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